25 産業医・鏡花③

 しばし勤務表とにらめっこしていた夜風だが、鏡花に呼ばれてついに観念した。


「今回だけ。二週間だけ我慢すれば終わる」


 呪詛のように言い聞かせた夜風は、終わったら絶対休みをもぎ取ってやると誓った。


「……あの、鏡花さん。なにしてるんですか」


 ひと通りの説明が済み、いよいよ十五連勤がはじまると身構えた夜風だったが、鏡花はなんとまた爪を磨き出した。

 自分から指示を聞きに来いという無言の圧力かと悩む夜風を振り返り、鏡花はピンクのエメリーボードを差し出して「やる?」と聞いてくる。

 騙されるな。これは勤務態度を試す罠だ。


「いっぱいあるから夜風ちゃんにも一本あげる」


 だが夜風の疑念を裏切って鏡花はただ気前のいい人だった。


「夜風ちゃんて、どうして治癒師になろうと思ったの?」


 それは世間話のように問いかけられた。夜風は患者用の丸イスをひねって鏡花を見やる。彼女は爪に視線を落としたままだった。


「あー……。その、制服と魔装具がかわいくて……」


 不純な理由を恥ずかしく思い、ぼそぼそ答えると鏡花は鈴が転がるような声で笑った。


「わかるわ! もう少し早くローレライ治癒団ができてたらあたしもそっち選んだかも」


 理解を得て夜風は内心ほっと息をつく。

 ローレライ治癒団が設立された当時、制服と魔装具のデザイン性は話題を呼び、中でも若い女の子たちの関心を集めた。治癒師は一躍、女性の人気職業一位に踊り出て憧れの存在となっている。

 夜風もそんな流行に流され憧れた女の子のひとりだった。特に地方の娘にとって、治癒師の制服や魔装具はおしゃれで素敵な都会の印象そのものだ。


「あと私、田舎の出なんですけど、地元にはパッとした仕事がなかったんです。でも治癒師は初任給もいいし、福利厚生も充実してますし。人助けの仕事だって言ったら両親も納得してくれて」


 夜風の脳裏に田舎で小さなカフェを営む両親の姿が思い浮かんだ。ひとり娘が都会に行くことをひどく心配していたが、それと同時に畑ばかりの村でくすぶる娘の心も理解している親だった。

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