18 慌ただしい朝③

「すみません! 本当に時間なくて! 逃げるようで悪いですけど、お礼は後日必ずしますから!」

「あらあら。でもお礼は私じゃなくてね」

「では失礼します!」


 髪を振り乱して一礼し、強引に会話を切り上げた朝陽は玄関扉に飛びついた。視界の端に自分が寝ていた敷物が映り、せめてきれいに畳めばよかったと後悔しながらも外へ駆け出す。

 さっとあたりを見回すと、道は舗装されておらず土が剥き出しの地面で、道路を挟んだすぐ向かいには水畑の緑やせせらぎが見えた。ここは旧市街島だ。

 そして老婦人の家は黄土色の壁に灰色と白のまだらになった屋根だと頭に刻みつける。もし迷ったら近所の住人に聞けばわかるだろう。


「たしか本社で訓練だったよな?」


 今日の予定を思い出す片隅で、朝陽はまだシャワー浴びる時間あるかなとのんきに考えた。

 エクラ精霊魔装具会社セキュリティ部門実動課は時間厳守。規律の厳しい世界だ。遅刻の罰則は腕立て伏せ百回と決まっている。連帯責任として巻き込みを食らう隊員たちに、さてどう言い訳しようかと悩みながら、朝陽は前を走る水色髪の女性を追い抜かした。




 あんの無能上司がー!

 と、内心で憤怒の炎を燃やし走る夜風の手には、上司から今朝届いた赤紙がくしゃくしゃに握り潰されていた。


『緊急の用件があるので三十分早く出勤してくること。昨日のごたごたで言いそびれたわ。めんご』


 これがいつも通り起床した夜風の枕元にあった手紙の内容である。めんご、ではない。ごたごたがあろうと夜までに手紙を飛ばしてくれさえいれば済んでいたことだ。上司のうっかりで夜風は朝飯を食いっぱぐれ、全力疾走で橋の袂の水上バス停留所に飛び込むはめになった。

 ところが、時刻表には見慣れない文字が赤々と殴り書きされている。


『ストライキ決起中! 子どもたちに美しい水を!』


 夜風はしばし思考が停止し、何度も文字を読み返した。だがどう見ても昨日の野犬騒動を受けた反エクラ派による抗議活動だった。

 つまりここでいくら待っていようと、バスがやってくることはない。

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