09 キスの余韻①
うなずくと玉響は気遣わしい表情をして、玄関まで夜風を見送ってくれた。お互いに、おやすみなさいと微笑みをかわす。
玄関扉の向こうに玉響の姿が消えると、夜風は人知れずため息をついた。納屋を改装して作られた自分の宿をちらりと見やる。玉響に伝えた通り体は疲れていたが、胸中は眠れる状態ではなかった。
悶々とした心を抱えて夜風はあてどなく歩き出す。頭を占めるのは助けた赤髪の男。その彼が残していった不本意なキスだった。自分を覆った暗い影、近づく体温、触れたやわらかな感触、耳をなでていった謝礼とそのまま目も合わせずに去っていく背中が何度も脳裏でくり返される。
「はじめて、だったのに……」
冷気を感じたそこに触れると心がくしゃりと潰れた。
はじめてのキスははじめてのデートで、と思い描いていた。帰り際、楽しかった分だけ寂しさに引き寄せられ自然と唇が重なる。身を離して見上げた先にはちょっと照れた彼がいて居心地悪そうにしているけれど、喜びと慈しみにあふれた目に自分が映っている。そしてその夜は、世界で一番暖かなぬくもりに満たされて眠るのだと夢見ていた。
しかし夜風が大事に守ってきたものはわけもわからないうちに奪われて、そこに愛はおろか互いを思いやるわずかな絆さえない。男はそっけないお礼の言葉だけ残し、振り返りもしなかった。
「よりによってなんで、あの時の男の子なの」
もっと悪いことは、赤髪の男が幼少期に助けた男の子らしいということだ。夜風の中で男の子を助けた思い出はささやかな誇りであり、今の自分を形作る大切なひと欠片でもあった。困っている人を放っておけない性分と、そのために奮い起こせる勇気が自分の中に眠っていることを、いつまでも褪せない記憶が教えてくれた。
なのに気づかせてくれた本人が土足で踏み込んできて、思い出の写真をめちゃくちゃに荒らされた気分だ。
「別に相手はなんとも思ってないだろうし? キスもあごだったからセーフと言えばセーフだし?」
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