07 エクラの問題②

 だが夜風に話せることはあまりなかった。野犬がどこから来たのかも、襲われていた男性の素性も、それまでの経緯もなにひとつわからない。

 それでも実動隊員は夜風は気が動転していると思ったのか、同じことを何度も尋ねてきてそのうちに限界がきてしまった。魔装具使用の反動がぶり返したのだ。その場に倒れた夜風は、赤紙を受けて駆けつけていた治癒団の同僚に診療所へ運び込まれた。

 午後の往診は代わりの治癒師が行くことになり、夜風は落ち着くまで休んだのち家に帰ることとなった。半休扱いだそうだ。


「まあまあ。それは大変だったわね」


 視線で湯を沸かせそうな夜風の目をやんわり受けとめて、下宿先の大家・玉響たまゆらは静かに茶をすする。すっかり白に染まった髪をきれいに巻いて、水畑みずばたけ作業用のエプロンを身につけた老婦人はまだまだ不満顔の夜風ににこりと微笑む。


「でも夜風が無事でよかったわ。最近なにかと物騒だから」


 そこで唇を引き結び玉響は窓を見た。実動隊か保安官だろう。拡声器を通して旧市街島の住人に注意喚起する声が夜風にも聞こえた。硬質な男性の声は日中野犬が出没したことを伝え、戸締まりをしっかりするようにと呼びかけている。


「それは、そうですけど……」


 笑うとえくぼができる玉響のやさしい表情とおだやかな声に夜風は弱かった。老婦人の青がかった灰色の目に見つめられると、体から抜けていく毒気に気づき幼さを自覚する。

 毒を持った野犬に噛まれていたかもしれないと思えば、赤毛の犬の粗相は些細なことだ。


「最近、多いですよね。野犬」


 夜風はひざに置いた手をぎゅっと握る。


「そうね。群れが山から下りてきたんじゃないかってお茶飲み友だちが言うけれど、ここは島なのにねえ。犬って海を渡れるのかしら」

「海を渡るイノシシやシカの話を聞いたことがあります。それに犬は賢いですから、本土と島を繋ぐ橋から来ているのかもしれません」


 納得した顔で深くうなずいた玉響は、困ったように眉を下げた。


「また抗議デモが起きるわね」

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