06 エクラの問題①

 男の子はひざをすり剥いて血を流していた。そこで家にじょうろを取りにいく時に言ったのだ、助けると。男の子は涙を我慢して夜風を待っていてくれた。傷口を水で洗ってハンカチを巻いてあげることくらいしかできなかったけれど、男の子は立ち上がって自分の家に帰っていった。

 ひと時の郷愁から夜風を引き戻したのは米神の汗を拭うやさしい手だった。気がつくと男性がまぶたを開いて、浅瀬のように鮮やかな水色の目で夜風を見上げている。


「お前は、あの時から変わってないんだな」


 ハッと思い出に色がつく。泣いていた男の子の髪は背後の夕陽に溶けるような赤色だった。


「あなたは、あの時の……」


 言葉を遮るように米神にあった指が口元へ滑り下りた。思わず口を閉じた夜風に影が落ちる。男性の鼻先がそっと頬をくすぐって、あごにやわらかなぬくもりが触れていった。


「サンキュ」


 無愛想な礼を耳打ちして男は立ち去ろうとする。


「待ってください! まだ……っ」


 解毒も止血もきちんとできたか確認していない。そう言いたかったが、夜風は目眩を感じてふらついた。魔装具の無理な使用による反動だ。ひどい乗り物酔いをした時のように視界が回り、嘔吐おうと感がのどを競り上がってくる。

 深い呼吸でなんとか落ち着けながら顔を起こした夜風は、パーカーのフードで鮮やかな赤髪を隠し足早に人混みに紛れていく男性の背中を見つめることしかできなかった。

 無意識に触れたあごは、夏風に吹かれて少しひやりとしていた。




「信じられますか!? 助けたのに逃げられたんですよ! しかもあんな急に、キ、キスするとか最低です!」


 紅茶が入ったマグカップをテーブルに叩きつけて、夜風は砕いたナッツをカラメルで固めたせんべいにかぶりつく。このお茶請けはあまりにも固くて普段は遠慮するのだが、やつあたりには打ってつけだった。

 昼間、助けた赤髪の男が立ち去ったあと、夜風は通行人から通報を受けたエクラの実動隊にことのあらましを根掘り葉掘り聞かれた。

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