僕は、「寂しい」がわからない。

 最近の僕が、仕事と勉強しかしていないので、A and Xとは別の話をしようとして、リングフィットの話くらいしか思いつかなかった。それで、エディタの前で水を飲みながら、どうしたものかと考えている。

 仕事も勉強も、ちゃんとそれぞれ時間を決めてやっているから、やりたいソシャゲとか、食べたいものを食べるとか、そういうこともできてはいるのだけど、何より体力がないので、すぐに疲れて眠りに落ちる。


 小説は、練り直しては消し、を繰り返している。締切を設定しないことには本気にならない僕のことなので、公募に送ると決めて、周囲に宣言しまくる方向でいる。


 僕はセクシュアリティとかそれ以前に、ひどく人間不信なんだと、アニメ『ブルーピリオド』を観ていて実感した。決してあたたかいばかりではないけれど、僕が思っているよりは人々は優しくて、本音を言い合っている世界だった。

 すごいな、と思いつつ、フィクションだと線を引く僕自身を自覚する。

 本音を言わない(言えないのではなく、言わない)で、適当に放棄した関係性のいくらかは、僕がもっと本音を言えばまだ続いていたのかもしれない。後悔はないけれど、たしかにある時点の僕自身が何かを捨てたのだと、遅ればせながら知る。

 でも僕は臆病だから、人の本音は知りたくない。それでいて、嫌だなと思いながら僕と関係性を続けるような人は嫌だ。理想は、嫌だと思ったら、何も言わずに去ってくれる人だ。僕の視界からただ消えて、僕もいずれ相手を忘れるような、そんな終わり方がいい。

 不動産はいずれ手放すものと教わってきたけれど、関係性もいずれ手放すものなんだろう。不変も永遠もないから、今が尊いのかもしれない。


 僕は、「寂しい」がわからない。ホームシックも、友人との別れでの涙も、何も理解できない。いずれ失われるとわかっているのなら、失われたところで大して困らない。

 何もかもが期間限定だ。

 いつかは終わる。

 初めから「期間限定です」と言われているものだから、期間が終われば、「はいそうですか」と言うしかないだろうと僕は思っている。


 それはそれとして、フィクションにおける「寂しい」は、いいものだ。もうその人がいないことを折にふれて思い知らされながら、生活を立て直して、生きていく。その営みを観るのが楽しい。

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