「理解」しなくていいから、僕に構うな。

 僕のことを「理解」してほしいわけじゃない。

 ただ、僕が恋愛しようがしなかろうが、性別が何だろうが、放っておいてくれ。

 今ここに書いていることそのものと矛盾しているように思えるだろうが、僕は、「理解してくれ」と言いたくてこのエッセイを書いているのではない。「僕に構うな」とそれだけ言いたくて、書き連ねている。

 なぜなら、僕は、放っておいてもらえないからだ。


 僕に「女性らしさ」を押しつける人がいて、僕がそれを拒否する。すると、なぜか僕が理由を問われる。

 告白を断ると、必ず説明がいる。時が経てば、あるいは関係性が変化すれば、脈があるのではないかと思われないために、僕は自分がアセクシュアルであると伝える。そして、また僕が理由を問われる。


 僕は自己防衛のために、必死に説明する。もう二度と、相手の文脈に組みこまれてしまわないために、僕自身への誤解を防ぐために、僕は説明する。

 その度に、僕はひどい虚しさに襲われる。

 なぜ説明を連ねて、納得してもらわねばならないのだろう。

 僕は相手が異性愛者であることを説明されなくてもその行動で了解して、その理由を問わずに納得しているのに、僕は了解されないし、納得してもらえない。

 僕が異質だから、僕が目の前の相手に「理解」を求めなくてはならない。それって、相手が説明を求めるー僕が説明するという権力勾配が出来上がっていないか。わかりやすく言うと、生殺与奪の権を握られかけてはいまいか。


 そう思うようになってから、僕は問いかけてくる人に容赦しなくなった。

 これは現実だ。

 僕は教科書に出てくるケーススタディでもなければ、あなたに認めてもらわないといけない弱者でもない。

 その不躾な問いを、鏡のごとく返してやる。

 そうして自分のしていることの暴力性に気づくといい。

 気づかないのなら、あなたと僕はそれまでだ。


 一方で、「僕に構うな」と言いたいがためにエッセイを書くことは、僕を「理解」しようとする動きを加速させてしまいもする。「僕に構うな」と言いながら、書いて発表することは、矛盾している。

 それでも、僕は、下手な自己防衛を続けていた頃の僕に、一つの事実を伝えたかった。僕のあり方という事実。

 それは、いつかの僕が知りたかったことだから。

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