言語は、人を形作る。
日本語も英語も、好きにも嫌いにもなれない。
フランス語は、割と苦手だ。
日本語は、一人称が多彩で、それは言語として一つの豊かさではあると思う。僕も今ここで、「僕」と自分を指して書いている。普段のように、「私」を使うのとは、違う雰囲気になっているだろう。
一人称の違いは、多くの場合において、性別を連想させる。ビジネスシーンでは性別を問わず使われる「私」も、プライベートになれば、女性の一人称と認識される。逆に、「オレ」や「僕」は男性の一人称だ。
一番フィットするのが「私」だから、普段は「私」と自分を指して話すものの、英語で言う「I」のような、それだけでは性別のわからない一人称が、日本語にあってくれたらと常日頃思っている。
だが、日本語にも、長所はある。敬称だ。一律に「~様」「~さん」「~君」のどれかで統一して呼べば、性別を規定されることはない。
国会では国会議員を名指すときには、必ず「~君」と呼ばれているし、大学などでも、性別問わず、「~さん」と呼ぶことになってきているところもあるようだ。
だから、日本語は、好きとも嫌いとも言い切れない。
英語の一人称は性別を規定しないことについては褒めたけれど、逆に、英語の敬称や文法などは性別を規定するものばかりだ。
敬称は、女性が未婚か既婚かまで示そうとしてくる。最近では、日本語で言う「~様」「~さん」にあたる「Mx.」なる敬称があるから、少しはましになっているだろうか。
しかし、英語の性別の規定は、割と多いように思える。「誰の」物であるのか、「誰」なのかを明確にしていく方向性であるためか、対象者の性別を日本語よりも規定している部分が多い。
フランス語は少しやった程度だけど、難解さと例文との合わなさで、放棄したので、ちょっと苦手、とだけしておく。
言語は、人の価値観や考え方を形作っていく。どの言語がいいとまで、僕は言い切れない。でも、自分の性自認とフィットする言語としない言語っていうのは、あるのかもしれない。
言語学習は、言語の比較という概念をくれるから、おもしろいのだが、大変ではある。
それから僕は言語に興味はあれど、その言語を話す人とのコミュニケーションには興味がない。
僕自身の一人称は、基本的には「私」で、書くときには、「僕」も加わる。他人から呼ばれるときには、性別を規定しない敬称の使い方を望んでいる。
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