(066〜070)
(066)そう、いまもあの湿った暖かい布団の中で、いやほとんどはみ出して、一頭の巨大な牛が横臥しているのだ。人は牛を殺すのが宿命と誰もが言う。しかしそんなのは御免蒙りたいのだ。冗談じゃない。しかしあの布団は、優しく温かく俺を包むあの布団を手放すのもやはりできない相談だった。
(067)東京の空の上を飛行機で差し掛かった時、ちょうど眼下で雨が降り出した。白くけぶるビル群を見ながら、あの窓窓の向こうで、いったいいま何人があくびしているだろうかと思う。昼の三時で、お茶を飲んで菓子を食べ、ひとしきり笑い声が上がる。一人でその空気から離れてあくびしている誰か。
(068)都へ向かう街道にむき出しの心臓が転がっている。どくどく脈打っているそれは王の胸から抉り出されたもの。緑色の風が渡っていき、銀色の雲を見やりながら勇者がやってくるのを心臓は待っている。けれども実際にやってくるのは、業突く張りの婆あ、破落戸の類だけだ。
(069)舗装が途切れて裸の地面の方々に点々と草が生えている道とも言えないような平面を歩いて捨てられたように建っている病院の自動ドアの前に立つが電源が落ちているようで開かない。中には見たこともないような黝い樹体が繁茂しており無数の猿が歯を剥き出しにして笑っている。
(070)腐った魚の臭いに包まれて、港に堆く積まれた木箱にもたれた男が海をじっと眺めている。脳裏には故郷に置いてきた、いやむしろ捨ててきた少女の姿がある。少女の髪はいまやすべて蛇である。くねくねとゆらめく蛇の口から、次々に赤茶色に錆びたの硬貨が零れ落ちる。
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