(016〜020)

(016)雲に黴が生えて赤い雨が降るようになる。蓮っ葉な女の髪のような雨が街のあちこちに流れ込み、香水のような甘い匂いがあちこちに立つ。粘性のある雨が電線に垂れ下がって向こう側が透けて見える薄い幕が降り、曖昧な人々が抱き合って口づけを交わす。


(017)古ぼけた旅館に夜もだいぶ更けてからようやく到着した。こちらです、と案内された部屋には女が一人座っている。伏せている顔を見ようと懐から鏡を取り出し、色々と角度を工夫してみるが暗くてわからない。外はバケツをひっくりかえしたような雨。


(018)父親が二階で眠っている。起こさないように出発しなければいけないのだが、どうしても必要なカバンが父の寝室にあるのだ。とにかく冷静に、落ちつかなくては、と懐からタバコを取り出して一服する。時計の音がことさらに大きく聞こえる。


(019)灰色の犬が暗いところから現れる。私を見たので思わず壁際に顔を伏せて避けた。後ろ向きになってしまったのでわからないが、犬はまっすぐに私に向かって歩いてくるようだ。こんな受け身の、しかも無防備な姿勢になってしまったのを後悔するがもう遅い。


(020)微睡んでいると、天女が現れて私を包み込むように抱き、口づけを交わし、ふわりと宙に浮いて、そして私が死ぬ。抜けだした魂が希薄なヴェールとなって彼女の身体にまとわりつく。置いてきぼりにされた私の身体にさよならを言おう。

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