X4―6 ヤンデレと宿敵 その6

「別に……恋心なんて大なり小なり気持ち悪いものだろ」


「武永先生……」


 涙目で俺を見上げる浅井先生は、まるで宗教画を崇める敬虔な信徒の眼差しだ。

 目が輝きすぎてちょっと怖い気もするが、そこは指摘しないでおこう……


「ほら、俺も足首フェチが気持ち悪いとか言われるしさ。一般性癖だと思うんだけど」


「ごめんなさい。それは割と気持ち悪いわ」


「……正直は美徳だよ」


 ちょっと傷ついたけどここで喧嘩したら台無しだ。我慢できる範囲のことはなるべく我慢しよう。


「ちゃんと話したら少しスッキリしたわ。ありがと、武永先生」


「気にすんなよ。俺からの告白の返事とかも、落ち着いてからでいいからな」


「ええ。カミングアウトついでに軽いお願いを聞いてもらえないかしら。ちょっとしたことなのだけど……」


「おう、なんだなんだ? 俺にできることなら」


「武永先生の……その……腋汗を舐めさせてもらってもいいかしら」


「キッショ!!」






 浅井先生と話していて、疑惑が確信に変わったことがある。そうと決まれば「彼女」に会いに行かなければ。

 バイト帰りだから今はもう22時を過ぎている。とりあえず連絡を取ってみて……


「お呼びでしょうかナガさん」


「えっ!? ちょっ、どっから出てきたの?」


 リーちゃんは突然真後ろに現れた。それこそ「突然」としか言いようが無いほど唐突に。

 「会って話したいことがある」と連絡したのがついさっき、それから10秒も経ってないんじゃないだろうか。

 瞬間移動でもしてきたのか? 信じ難い話だが、リーちゃんなら有り得そうでちょっと怖い。


「それで、話とは」


「狼狽しててそれどころじゃないんだが……リーちゃん、いつからそこに」


「ついさっきです」


「さっき? まさか俺の背後にワープしてきたわけじゃないよな?」


「そのまさかです」


 真顔で答えるリーちゃんを見て、思わず後ずさりしてしまう。ニコリともしない彼女の表情は、暗い夜道だと3割増しで不気味に感じる。

 これまでは発言や動きが愛らしいゆえにリーちゃんに好感を持てていたが、言動まで不穏になると彼女の無表情はただおっかないだけである。


「な、なんでそんな嘘を……」


「ナガさんを眺めていたいと思い続けた結果、わたしの想いがアルタイルに届いたわけです」


「はいはい……どうせずっと俺のこと追跡してたんだろ。怖いからやめてくれ」


「では以後は見つからないよう頑張りますね。隠密性、上げていきます。ニンニン」


 リーちゃんは忍者のごとく印を結んだが、いつものおふざけも今回ばかりはどうにも不気味だ。

 それに、一つ気にかかっていることがある。


「いつもの下手くそな追跡はどうしたんだよ。今日はやけに隠れるのが上手だったじゃないか」


「たまたまです。外れ値というやつですね。スミルノフ・グラブス検定で測ってみてはいかがでしょうか」


 リーちゃんは両手を広げて自らの小さな身体を見せつけた。清廉潔白を証明するポーズのつもりだろうか。

 しかし俺にはわかっていた。彼女は怪体なセリフで煙に巻こうとしているのだ。


「リーちゃん。俺はな、椿に追い回されてきた分気配には敏感な方なんだ」


「そうですか。それは結構な格好でお利口さんですね」


 感心するでもなくリーちゃんは淡々と答える。


 彼女のストーキングはこれまでお粗末なものだった。椿と違って気配も姿もまったく消せていなかったぐらいだ。

 特殊技能を持たないリーちゃんが、隠密の天才である椿に及ばないのは当然ではある。


 しかし、それにしても下手くそすぎた。利発な彼女にしてはありえないほどだ。

 その不自然さに気づかないほど俺も鈍感ではない。


「リーちゃんがいつも俺を追跡してるのは30分ぐらいだっけ?」


「そうですね。わたしも多忙なので」


「何で忙しいんだ?」


「部活とか、部活とか、あとはまあ、部活ですね」


「勉強しろよ……」


 雰囲気だけはいつもの軽妙なリーちゃんに戻ってきた気がする。

 しかし彼女の発言の矛盾は見過ごせない。


「最近な、椿以外の人間にもつけられてるような気がするんだ」


「それは大変。捕まえて拷問しないとですね」


「発想が物騒すぎる。中世か?」


「きっと危険人物でしょうからね。わたしも捜査に協力しましょう」


 俺の前に歩み出たリーちゃんは、両手を出して俺の左手を包もうとする。俺は即座に手を引っ込め、一歩後ずさりした。


「実は犯人はわかってるんだけどな」


「それは興味深い。ちなみにどなたですか?」


「とぼけてんじゃねえよ……」


 リーちゃんは自分の顔を指でさし、首をかしげた。本来可愛らしいその仕草がやけに白々しく見える。


「わたしにそんな大それたことできるでしょうか。いや、できまい」


「じゃあなんで俺のバイト終わりの時間がわかったんだ?」


「それは……」


 生ぬるい風が俺たちの間を吹き抜ける。夜の冷えもずいぶんとマシになってきたが、湿度の高さがかえって不快に思えてきた。


「ガイアの導き、ですかね」


「また誤魔化そうとしてるだろ。正直に認めちまえよ、朝昼夜と関係なく俺のことストーキングしてたって」


 そう、リーちゃんにとって30分間の下手くそなストーキングはカモフラージュだったのだ。

 俺に「30分間だけ」という印象を植え付けることで、他の時間はリーちゃんのストーキングは無いものと思い込ませる。


 まったく効果的な作戦だ。何せ俺はまんまとその作戦にハマっていたのだから。

 さっき突然リーちゃんが現れなければ、俺はずっと気づかないままだっただろう。


 リーちゃんは黙ってこちらを見つめている。無表情なのでわかりにくいが、答えに窮して焦っているのかもしれない。

 友人である彼女を追い詰めたくはなかったが、胸襟を開いてくれないことにはこちらも容赦できないのだ。


「そこまで看破されては仕方ありません。神妙にお縄につきましょう」


「別にリーちゃんを罰したいわけじゃないさ。ただ、事実を確認したかっただけだ」


「そうですか。やはりナガさんは優しいですね、嫌になるくらい」


 最後の言葉は聞き取りづらいほど小声だった。

 それに言葉こそキツかったが、俺に対する悪意は感じなかった。

 どちらかと言えば、彼女自身に対する皮肉というか……


「極力バレたくはなかったんですけどね」


「それなら、どうして自分から飛び出しきたんだ?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る