X4―5 ヤンデレと宿敵 その5
枯れ木のように細い椿の手が迫ってくる。
逃げないといけないはずなのに、俺は「あること」をどうしても確かめなければいけない気がしていた。
「お前はさ、なんでこんなに俺に執着してくるんだよ」
「前にも言ったでしょう? 特に深い意味なんかありませんよ。私を先輩を愛しているんです」
伸ばした手で俺の頬を撫でつつ、椿はニヤけ面を浮かべた。
ヤツの頬はいつも以上に鋭くつり上がり、不吉を絵に描いたような表情だ。
「嘘つけ。きっかけとかあるだろ」
「ありませんよ。先輩の思い過ごしじゃありませんか?」
「いいや、嘘だね。お前は嘘をついてる時に必要以上にニヤニヤする癖があるんだよ。自分で気づいてなかったのか?」
椿は伸ばした手を下ろし、小さくため息をついた。ようやく会話が成立しそうだ。
「先輩、私と初めて会った時のことを覚えてますか?」
「えーと、大学のキャンパス内で……」
「違います」
椿の口調は落ち着いた、断定的なものだった。
いつものおふざけではなさそうだ。これは真剣に思い出した方がいいな……
「それよりも前にどっかで会ってたっけ? 気づいた時に追い回されてたような……」
「覚えてない、ですか? 本当に?」
呆れ返った表情で椿が呟く。俺に語りかけているというより、ほとんど独り言のような口調だった。
「もういいです。私は帰りますね」
「お、おう……さっさと帰れ」
「どうせもうすぐ終わるんですから。全部」
椿は俺に背を向けて歩き出した。気のせいか、どことなく哀愁を背負っているようにも見える。
真っ黒なワンピースは身体を細く見せる効果があるらしい。ただでさえ細い背中が余計に頼りなく見えた。
何より引っかかったのは去り際に呟いた椿のセリフ。その言葉は今までになく不吉な響きを孕んでいた。
「た、武永先生……お疲れ様」
講師控え室で鉢合わせた浅井先生は、引きつった笑みで俺の挨拶に応えた。
しかしその後は俯いたまま、俺と目を合わさないよう自らのカバンをまさぐっている。
もう我慢ならない。ほとんどフラれた関係だからって露骨に避けられると心が痛むのだ。
付き合えなくてもいいから、どうにか元の関係には戻れないだろうか。良き同僚として、気兼ねなくバイトがしたいのだ。
無意識のうちに、浅井先生の後ろに仁王立ちしてしまう。
我ながら不審者然とした立ち振る舞いだが、もはやなりふり構っていられない。
「あの……武永先生?」
「なあ浅井先生、どうしてそこまで俺を避けるんだ? いっそキッパリとフッてくれた方が、お互い楽なような……」
「違うの! 私、本当は武永先生ともっと仲良くなりたくて……でも、ほら、おし……」
両手をブンブンと振りながらだんだんと語気が弱くなっていく浅井先生。モゴモゴ話しているせいか最後の方はほぼ聞き取れなかった。
「武永先生のことは素敵な人だと思ってるの。だからこそ私なんかには勿体ないというか」
「そうか……悪いな。気を遣わせて」
「気遣いとかじゃなくて! 武永先生のことは尊敬してて……」
「尊敬してるけど生理的には無理か。喜んでいいのかどうか」
「うぅー……そうじゃなくて……」
浅井先生の優しさは身に染みるが、やはり胸の痛みの方が勝っていた。
浅井先生はきっと俺のことを男として見れないのだろう。どう考えても優柔不断な俺が悪いので、彼女を責める気にはなれなかった。
クソっ……時間が巻き戻せるならやり直したいところなのだが。
俺が半ば頭を抱えてうずくまっていると、カシャッ、とシャッター音がした。
顔を上げるとそこには、スマホを構えた浅井先生。
「え? なんでいま写真撮ったんだ?」
「き、気のせいじゃないかしら……」
「いや絶対撮ってただろ。なんで?」
「見間違いって可能性もあるんじゃないかしら」
「まあスマホを確認すればわかることだしな。見せてくれ」
突き出された俺の右手を無視して、浅井先生はそっとスマホを自分のカバンにしまった。
ごまかし方が下手すぎる。正直者の彼女らしいと言えばらしいが、見逃してやるほど気持ちに余裕はなかった。
「……動きが不穏すぎるだろ。その写真を椿に売るつもりなのか?」
「そんなことは……」
また下手な言い訳が飛び出すかと思ったら、浅井先生は観念したようにガックリ肩を落とした。
まるで推理小説でトリックを見破られた犯人のようだ。絵に描いたような意気消沈の姿。
「わかりました。全部洗いざらい話すわね……」
「私ね、武永先生のことが好きなの」
「ゲフッ……!」
バイト先からほど近いカフェで話し始めたは良いものの、いきなりのカミングアウトに俺はコーヒーを吹き出してしまった。
「ゲホッ、ゴホ……」
「困るわよね、こんなこと言われても」
「困るというか、何と言うか……」
浅井先生に好かれていた事実は嬉しい。嬉しいのだが、それなら何故避ける必要があったのか。
正直に言えば混乱する気持ちの方が大きい。
「まさか『人として好き』とかそんなひどいオチじゃないよな」
「いいえ、異性として好きよ。武永先生の写真に毎朝おはようのキスをするくらいには好き。さっきのも、初めて見た表情だったから思わず盗撮しちゃって」
「えぇ……キモ」
「だから言いたくなかったのに!」
思わず素の反応をしてしまった。いや、よく考えれば浅井先生ならキモくはないか?
でも反射的に気持ち悪さが勝ってしまうんだよな。想い人の写真を無許可で飾るだなんて、まるで……
「本庄さんみたい、でしょう」
「……」
返す言葉が無かった。俺も即座に椿を連想し、嫌悪感を催してしまったからだ。
それを自覚しているからこそ、浅井先生も俺を避けていたのだろうか?
「ご想像の通りよ。私が本庄さんのような気持ちを抱えていると知ったら、きっと武永先生に嫌われちゃうって思って」
「そんなことは……」
そんなことは無い、と言いきれないのが自分でも情けなかった。
浅井先生が椿化、もといヤンデレ化するなんて想像もしていなかったからだ。
「武永先生は『推し』とかってわかる?」
「ああ、アイドルとかに対する感情だよな。恋愛感情とはまた違う感じの」
「そう、私にとって武永先生は尊くてやんごとない存在なの。崇敬の念すら覚えているの。それこそ足の指先の爪から毛細血管の一本にいたるまで愛おしく思うのだけど、だからこそ嫌われるのが怖くて」
相手が好きだからこそ避ける「好き避け」なんてのがあるらしいが、それの究極版ってことか?
極端な方向に走りがちな浅井先生の性格を考えれば、妙に納得のいく話ではあるが。
アイドルどころかモブかそれ以下の俺にそんな感情を持つ人がいるとは思わなかったが。
「ごめんなさい。こんな気持ち悪い私で」
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