X4―3 ヤンデレと宿敵 その3

「さあ先輩、今からでも蛇娘の誘いを蹴りましょう。大丈夫ですよ、それだけであの子との関係が切れるわけじゃなし」


「それもそうか……? しかし……」


 俺が答えあぐねていると、椿は急に険しい顔になって俺を睨み始めた。

 なんだこのヒリついた雰囲気。気のせいか、背中からも殺気を感じる。

 今日は快晴。もう3月に入って春の陽気が漂いはじめたはずなのに、また厳しい冬に戻ったかのような冷たさだ。


「な、なんだよ……」


「どうして」


「だからなんだよ」


「どうして貴女がここにいるんでしょう」


 椿の目線は、よく見ると俺の真後ろへと注がれていた。

 驚いて振り向くとそこには。


「お兄、その人の言うことに耳を貸しちゃダメだよ」


 椿を睨む千佳が立っていた。レアを腕に巻きつけ、さながら臨戦態勢の様子だ。


「忌まわしい……もう少しだったのに」


「お兄の優しさにつけ込むなんて最低だね」


「何とでも仰いなさい。狡かろうが汚かろうが、勝った人間の勝ちなんですよ」


「そういうところ本当にキライ」


 俺の頭越しに火花を散らす二人。久しぶりに会ったせいか、いつにも増して険悪な雰囲気だ。

 もはや慣れっこだが、俺は半ば置いてけぼりである。俺の優柔不断な態度が招いた状況だし、ここは介入しておかないとな……


「千佳、急にどうしたんだ? 前もって連絡をくれれば……」


「明日で一週間経つから。待ちきれなくなって」


 照れながらツインテールの片端をいじる千佳は愛らしかったが、待ちきれないからと片道4時間を駆けてくるのはちょっと重い気が……

 それに俺の答えがNOだったらどうするつもりだったんだろう。無駄足になってしまうような。


「じゃあお兄、今から部屋探し行こっか。やっぱり駅の近くがいいかな。大学は山の途上だし、平地で探すべきだよね」


「待ちなさい蛇娘。先輩は貴女と住むとは言ってないでしょう」


「アナタが余計なこと言わなきゃお兄はウチと住んでくれるはずだったし。部外者は引っ込んでなよ」


 千佳は八重歯を見せて威嚇した。その動きと連動するように千佳の白蛇・レアも牙を剥き出しにする。

 その姿を見ても椿は余裕を崩さず呆れた顔でため息をついた。


「まるで獣ですね。まったく品が無いというか」


「うるさいな……ケガしないうちに帰った方がいいよ」


「そうやって脅しに走るわけですか。血は争えないってことですかねえ」


 その瞬間、椿が突然うずくまり、地面を転がり始めた。

 なんだ? 何が起こった? 一瞬すぎてわからなかったが、千佳が何かしたのか?


「アナタに、アナタに何がわかるの!」


 足首を押さえ、苦痛にあえぐ椿を見下ろしながら千佳が怒鳴った。

 何にキレているのかわからないが、とにかく何かが千佳の逆鱗に触れたらしい。


 以前俺の実家で会った時ですら、千佳は問答無用で攻撃したりはしなかった。

 椿の吐いた台詞がよほど癇に障ったようだ。何て言ってたっけアイツ……「血は争えない」とか何とか……


「ぐ……うぅ……くっ」


 地面に横たわった椿は痛みに顔を歪めている。ぼーっと見てる場合じゃないか。

 毒蛇に噛まれたのか? それなら対処法は……


「動くな椿! じっとしてろ」


「ぐっ……ふぐぅ……」


 足首にできた傷口を押さえる椿。その手をどかすと、赤い筋が丸く二本走っているのが見えた。

 俺はタオルで椿の太ももを縛った後、傷口に吸いついて毒の混じった血を吸い出して吐いた。

 こんな処置で良かっただろうか。救急車も呼んでおくか?

 でも事件化したら千佳が逮捕されたりするのかも。あるいは噛んだ蛇が殺処分とか……

 クソっ、厄介なことになってきた。


「千佳、やりすぎだ!」


「ご、ごめん……その……」


「いくらなんでも毒蛇に噛ませるなんて……!」


「いや、毒の無い蛇に噛ませたんだけど……」


「え?」


 椿の足首から離れて顔を上げると、ヤツは軽く舌を出してニヤついていた。とにかく腹が立つ表情だ。


「演技かよ……心配して損した」


「痛かったのは事実ですよ。ずいぶん酷いことしますねえ、蛇娘は」


「煽ったお前も悪いだろ。まったく……」


 椿は俺に口づけされた傷を愛しそうに眺めている。どこまでも気色悪いやつだ。

 それより、さっきから千佳が静かだな。椿の陰湿な演技に呆れてるのだろうか。


 立ち上がり千佳の顔色を見てみると、彼女は顔面蒼白で立ちすくんでいた。急に体調でも悪くなったのだろうか。


「どうした千佳、大丈夫か?」


「ごめん、なさい……」


「千佳?」


「ごめんねお兄、ウチ、駄目かも……こんな暴力的な子と関わりたくないよね。ごめん……」


 青ざめた表情の千佳はブツブツとうわ言のように謝罪していた。


「き、気にすんなって。さっきのは椿が悪いんだからさ」


「でも、お兄、ウチ……」


 千佳は両手で頭を抱えたまま、グラリと体勢を崩した。

 とっさに彼女の細い肩を支えると、白蛇のレアが俺の肩に飛び移り、心配そうに千佳の顔を眺めた。


 思い返せば、千佳が俺を守るために蛇をけしかけることはあっても、自らの都合で椿を攻撃したことはなかった。

 それは彼女なりに超えてはいけないラインだったのかもしれない。

 椿の悪質さを思えばまったく気に病む必要はないと思うが、罪悪感というのは他人の慰めで簡単に和らぐものでもない。


「慰謝料請求しなきゃですねえ。私に噛みついたあの黒い蛇、害獣だから保健所に殺処分してもらわなきゃ」


「うるせえ! お前は黙ってろ!」


「酷いなあ先輩まで。私は被害者なんですよ。私の言葉で傷ついたなら言葉でやり返せばいいものを、暴力に訴えるだなんて……恐怖で人を支配する、蛮族のやり口そのものですよねえ」


「コイツ……」


 椿は水を得た魚のように雄弁と語り出す。この態度だとどっちが加害者だかわかんねえな。


 心配になって千佳の方を振り返ると、案の定というか、彼女の目にはうっすら涙が浮かんでいた。


 してやられた。これまで千佳を煽ってたときから、椿はずっとこの機を狙っていたのだろう。

 千佳に攻撃を受け、彼女の心に傷を残す機会を。


 いっそ毒蛇にでも噛まれて深く反省すれば良かったのに。


「ごめんね……お兄はこんな暴力的な相手と一緒に住めないよね」


「だから気に病む必要はないって!」


「ううん。お兄は優しいから我慢してくれるかもだけど、ウチは自分が許せないから。じゃあね」


 千佳は俺の身体を優しく押し離すと、涙目のまま無理に笑顔を取り繕った。

 そのまま、白蛇のレアと椿に噛みついた黒蛇を引き連れて去っていく。


 その背を追いかけようとするが、一歩踏み出す前に椿が羽交い締めを仕掛けてきた。


「放せバカ……! 俺は千佳を……」


「蛇娘をどうするつもりですか? 追いかけて、説得して、それで彼女が救われると?」


「何をするかはともかく、あのまま放っておくのはダメだろ!」


「いいえ、何をどうするか具体的に決めてから追いかけてください。それなら私も放してあげますよ」


「俺は……」


 俺は千佳を、どうしてやりたいのだろう。


 思い返せば、ここで迷ってしまった時点で俺の負けだったのだろう。

 もう千佳の姿はとっくに見えなくなっていた。


 背中から「うふ、うふ、うふ」と椿の薄気味悪い笑い声だけが聞こえてくる。


 またか。また俺は、失敗したのか。



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