X4―2 ヤンデレと宿敵 その2

「出ていかなくていいだろう。一生ここにいれば」


「いや、そういうわけには……」


「なんだ? もしかして気に障ることでも? 何でもするから、ボクを見捨てないでくれ……!」


「なんでそんな必死なんだよ……」


 村瀬は途中まで塗ったネイルを放置して、俺のシャツの裾を掴んだ。そして涙ながらに訴えてくる。付き合ってもいないのに痴話喧嘩の様相だ。


 最近村瀬から「一人暮らしは寂しかったが人がいると安心できる」といった話を何度も聞かされていたので、この展開は予想できた。

 それにしても大げさすぎるように思えるが……


「武永くんがいなくなったら誰がこの家の掃除をやるというんだね……重いものの買い物や搬送は?」


「俺を家政夫か何かと思ってない?」


「メイド服も似合ってるしね」


「なんでアレ男性用のサイズがあるんだろうな……」


「需要があるからだよ」


 村瀬が引き留めてくる理由はわかったが、それならなおのこと俺は出ていかなければならない。

 このままでは村瀬が駄目人間になってしまう。甘やかしすぎると元の一人暮らしに戻れないだろうしな。


 家に泊めてもらってる引け目から色々家事を引き受けてきたが、こんな副作用があったとは。

 「姫子」という名前の通り、元々がお姫様気質なのだろう。至れり尽くせりの環境を手放したくないわけか。


「お前が自立できなくなったら罪悪感があるんだよ」


「じゃあ家事はやらなくていいからここに居てくれ。ヒモでいいから、ね?」


「なんでそこまで引き留めたいんだ」


「それはだな、その……」


 村瀬は赤面して俯いた。なんだコイツ、やっぱり俺に惚れてるのか? それはそれでリアクションに困るんだが……

 女装を強要してくる恋人とうまくやっていく自信も無いし。


「とにかく、出ていかれると困るんだよ……ボクのためだと思って」


「お前のためにはならんだろ。自立しろ」


「そう言わずに」


 宥めすかそうとしてくる村瀬に反論するが、互いに譲らないため話は平行線のまま夕食を取ることになった。

 今日はすき焼きを作ったのだが、調理をしている間は話さなくて済んだのでありがたい。煮込み料理にして正解だった。牛肉の焼けたほの甘い香りが食欲を刺激する。


 まあ、一時休戦したところで顔を合わせれば元通りのだが……


「ああ美味しい。とても美味しいなあ」


「わざとらしいんだよ。昨日まで黙々と食ってたくせに」


「無言のうちに感謝の念を飛ばしていたのだが、気づかなかったかな?」


「嘘つけ。お前はほんと現金な奴だな」


「メイド服の男の子がボクのために料理してくれるんだぞ! 悦ばないわけがなかろう!」


「逆ギレすんなよ……」


 こんなねじ曲がった性癖の人物と一緒に暮らしていては、そのうち俺もおかしくなってしまう。さっさと出ていかねば。

 そろそろ約束の一週間が経つし、千佳に返事をしないとな……







「先輩、聞きましたよ。蛇娘と住む計画があるらしいですね」


 スーパーまで食材を探しに行こうとしていた道すがら、不穏な幽霊に遭遇してしまった。

 今は春休みだというのに何故しょっちゅうコイツに会わねばならんのか。迷惑極まりない。


 とりあえず、椿の出方は窺っておきたい。また不意打ちを食らいたくないので、コイツの腹の中を探っておかないと。


「テメェ……それどこで知った」


「さあ?」


 椿はとぼけて見せたが、その反応を見ておおよその見当はついた。

 おそらく村瀬だな……アイツ、なりふり構わず俺を引き留めるつもりか。


 椿としても、千佳のところに逃げられるより村瀬の家の方が攻めやすいという意図があるのだろう。

 利害が一致したからといって村瀬が俺を売るとは……アイツもよほど切羽詰まっているようだ。


「お前には関係ないことだろ。俺がどこに住もうと」


「関係ありますよ。何故なら私と先輩は前世からの因縁で繋がって……」


「用件はそれだけか? 俺は忙しいんだよ」


「まあまあそう言わずに。忠告してあげようと思いまして。私は親切なので」


「要らん。帰れ」


 当然そんな台詞で椿が退散するわけもなく、スーパーへ向かう道を塞いで俺を通そうとしない構えだ。


「蛇娘に深入りするのはやめた方がいいですよ。先輩が思っている以上にあの子は厄介ですから」


「お前が千佳の何を知ってるんだよ」


「私の口からは言えませんが……とにかく、あの子と関わると先輩は人生を丸ごと捧げることになりますよ。その覚悟はおありですか?」


 また思わせぶりなこと言って俺を惑わそうとしているのだろう。

 他にもスーパーはあるし、そっちに行ってみるか。


 俺が踵を返した途端、椿はわざわざ回り込んできた。その目は、いつになく真剣で。


「もう一度訊きますが、先輩には蛇娘を救う覚悟はありますか? 半端に踏み込んだら蛇に噛まれて死にますよ」


「大げさなんだよ。千佳と住むだけでそんな……」


「村瀬さんのせいで感覚が狂っているのかもしれませんが、異性がひとつ屋根の下に住むというのは非常に重い行為なんですよ」


「それは……」


 反論する言葉が喉まで出かかったが、ハッキリ声にすることができなかった。


 言っている人間が椿だから信用ならないだけで、話の内容自体は至極真っ当な指摘だったからだ。


「蛇娘の人生全部に責任を取る覚悟はありますか? すべてを捧げる、というのは文字通りすべてなんですよ。心も、身体も、時間も、お金も。先輩の目指す教師にだってなれないかも」


「そ、それは誰と一緒になる場合でも同じだろ……」


「いいえ、そうとは限りません。私と結婚するならより多くの自由を約束しましょう。浮気以外の全部を赦しますよ。働かなくてもいいし、逆に働きまくってもいい……尽くす女ですから」


「貪り尽くすの間違いだろうが……」


 椿と結婚するなんてのは論外だが、確かに俺はこのまま千佳と同棲していいのだろうか。


 村瀬は異性とはいえ「友達同士」という建前があったが、もし千佳と住むことになったらそのまま流れで彼女と懇ろになることは避けられない。千佳自身も結構強引なところあるしな……


 千佳の育ってきた背景も知らず、軽率なことをしていいのだろうか。


 クソっ、椿ごときの言葉に惑わされるなんて……

 でも不義理なことはしたくないし……


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