D5―3 涸沢之蛇 その3

「何を迷う必要があるんですか。あんな奴を雇い入れたら使用者責任で太一さんまでしょっぴかれますよ」


「リスクがあるんはわかるけど……雇わんかったらそれはそれで危ない気もするんよなあ」


 太一さんは難しい表情のまま立ち上がり、隅にある小さな虫かごを開いた。

 そのタイミングを見計らってか、天井裏からヒバカリがにょろりと現れる。


 太一さんが素手でミルワームを数匹取り出すと、ヒバカリは即座に食いついた。

 間近で見るとなかなかショッキングな光景だが、いい加減慣れつつある自分が恐ろしい。


「危ないってどういう意味ですか?」


「んー。ほら、屋敷に火ぃとかつけられたら困るやん。もしくは腹いせに、ちっさい蛇だけ切り刻まれたりとか」


「そんなこと……」


 するわけがないでしょう、と言いたかったが、椿なら十分あり得る範疇だ。

 千佳の身体を直接傷つけることはできずとも、彼女の心を傷つける方法ならいくらでも計画してくるだろう。

 無意味に暴力を振るうことは無いと思いたいが、「これ以上ひどい目に遭いたくなければ武永を渡せ」などと交渉材料にしてくる可能性もある。


 何かしらの被害が出ればストーカー規制法で警察に尽き出すこともできるが、誰かが被害に遭ってからでは遅いのだ。

 太一さんも当主としての責任感から判断に迷っているのだろう。


「よし……決めたわ」


 ヒバカリの顎を手に乗せて遊んでいた太一さんは、突然振り返って俺を睨んだ。

 おそらく本人としては睨んでいるつもりはないのだろうが、目つきが悪いためそうとしか見えないのだ。


「雇おか。幽霊娘」


「えっ、でもそんなことしたら千佳が……」


「文句言うやろなあ、アイツ。でも知らん。己の責任や」


 責任? 千佳に何の責任があるというのか。椿との関係を精算できなかった俺に責任があると言うのならまだわかるが……


「千佳のやつなあ、君と仲良うなってから汚れ仕事やらんくなったんや。お陰で人手は足りてへんけど、そういうのが得意そうな幽霊娘がうちに就職してくれるならチャラにしたる」


「汚れ仕事ってまさか……」


 加々美家にダーティな面があることはうすうす気づいていたが、明言されると身震いが起きてしまう。

 何も知らずスヤスヤと寝ている人間のもとに、毒蛇をそっと忍び込ませてガブリ……とか?


 思わず息を飲む俺を見て、太一さんはカカカと笑った。


「なに想像しとんねん。今どき暗殺なんかやってへんで。そんなんは戦前の遺物や」


 昔はやってたのか……とツッコみたい気持ちもあるが、それを聞いて少しだけ安心した。

 祖先がどうあれ、千佳自身が手が汚したわけでなければ彼女に罪は無いのだ。

 以前の口ぶりだと彼女は己の血を恥じている様子だったが、そんな必要は無いと言ってやらないとな。


「科学技術が発達してもうたからなあ、蛇毒なんか使ったらうちの仕業やってすぐバレてまう。今どきはショボい探偵業ぐらいしかしてへんわ。まあ潔癖の千佳はそれも嫌がっとったけどな、覗き魔みたいやって」


「なるほど……」


 蛇を遣うのとは勝手が違いそうだが、追跡や調査なら椿にはうってつけの仕事だろう。

 アイツが代わりになることで千佳が嫌う仕事から解放されるのは有り難い。


 だが、しかしだ……


「俺と千佳が目の前で仲良くしてたら、椿の奴は発狂しますよ」


「もっともやな。そこで武永くんに頼みがあるんやが」


「はあ……」


 太一さんとヒバカリが同時にこちらを向く。二重の鋭い視線に身が竦む思いだ。

 それに、なんとなく嫌な予感がする……


「幽霊娘のことも可愛がったれ。そしたら安泰やろ」


「言うと思った……」


 太一さんは彼特有の皮肉な笑みをニヤッと浮かべ、ヒバカリを床に下ろした。

 蛇はするすると俺の方に寄ってきて、そのまま膝に登ってくる。

 噛みつこうというわけではなく、俺に「御愁傷様」とでも伝えたいように見えた。


「ええやん、女をはべらすなんざ男冥利に尽きるやろ」


「そんなに羨ましいなら椿はお譲りしますが」


「僕はもっとムッチリした女の子が好きなんや。悪いな」


 開け放たれた障子の隙間からぬるい風が吹き込んでくる。

 背中に汗が噴いてくるのは初夏の暑さのせいだけではないのだろう。


 まずい。このままでは椿がうちの観光協会に就職してしまう。それだけは避けないと。


「あの、椿を雇うならせめて別の組織にしてもらえませんか? 四六時中椿と一緒なのはさすがに……」


「そのつもりやで。あの子、観光って柄ちゃうやろ。客が逃げてまうわ」


「確かに……」


 椿と働くなんて拷問だと思っていたが、別の職場ならまだマシか。

 それでも椿が近所に来るのは確定なので悩ましいところだが。


「まあそう悲観せんでもええやろ。加々美家におる限り蛇に守られとるし、君も千佳も酷い目に遭うことは無い。幽霊娘からしたら常に敵陣のど真ん中に軟禁されとるようなもんや」


「俺に言わせれば、腹の中に爆弾埋め込むような行為だと思いますがね」


「結構結構。おもろい武器やしなんぼでも使い道はあるやろ」


「太一さん……実は椿のこと気に入ってませんか?」


「まあな。正直言うとあの根性は嫌いやないで。目的のためなら手段を選ばず、僕の好きなスタンスや」


 ニヤニヤ笑う太一さんを見て、もう説得は無理だと判断した。

 椿が近くにいるのは不快だが、俺の気持ちをさておけば決して悪いことばかりではない。


 アイツが太一さんの役に立てば彼の機嫌もよくなるだろう。俺に課せられた30人のノルマだって軽減してもらえるかも。


 それに加々美家の近辺に潜む蛇たちが奴の動向を監視していれば滅多なことはできないはずだ。

 椿を野放しにしているよりむしろ安全性は上がるのかもしれない。


 ただ、一つだけどうしても気になっていたことがある。それだけは訊いておきたい。


「あの、太一さん。なんで椿の履歴書はうちの観光協会に届いてなかったんですかね? 俺は一度も目にしてないんですが……」


「ん? なんでやろな。不思議なこともあるもんやなあ」


 太一さんがカカカと笑うのを見た瞬間、俺は確信した。


 この人、最初から椿を雇うつもりだったな。後から俺や千佳の反発を受けないために「話し合い」というテイを保って、俺を説き伏せたわけか。


 さすがうちの社長。やることがコスい……


「策士と言ってもらおか」


「詐欺師の間違いじゃないですかね」


「カカカ! どっちでもええが、とにかく幽霊娘は僕の駒にさしてもらうで」


「どうぞ使い潰してやってください」


 しかし太一さん、千佳にどうやって説明するつもりなんだろうか。またひどいケンカになりそうなものだが……

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