D5―2 涸沢之蛇 その2
「私が御社を志望する理由ですが……」
「お帰りください」
「地域貢献に資するという、素朴でありながら生活の根幹を支える理念はもちろんのこと……」
「いいからお帰りください」
「やはり魅力的な先輩社員がおられる点に最も惹かれまして……」
「帰れって言ってんだろぉ!」
イスを蹴飛ばして立ち上がった俺を見て、目の前に座る就活生……武永椿はニヤリと笑みを浮かべた。
いつもの長い髪をいくらか整えて、ギリギリ常人に擬態しているが、だからこそ余計に不気味だ。
コイツの履歴書が人事担当である俺の目に一度も入らなかったのは不思議だが、今はそんな些細なことを気にしている場合じゃない。
すでに面接は始まってしまったのだ。どうにかコイツを落とすことに注力しないと。
「ずいぶん声を荒らげて、武永君らしくないなあ。顔見知りかい?」
額月さんは眉尻の下がった怪訝な表情で俺と椿の顔を見比べた。
たった三人しか入れない狭い密室で良かった。職場でこんなに取り乱している姿はあまり見られたくないのだ。
「顔見知りどころじゃないですよ。被害者と加害者の関係です」
「そうです。私は『放置』という名のDVを受けた哀れな被害者なのです」
「お前じゃなくて俺が被害者だろ!」
「まま、武永君抑えて抑えて!」
体格のいい額月さんに上から押し込まれると、これ以上暴れることはできなかった。不承不承ながらイスを立て直して身体を沈める。
それにしても椿の奴、何しにきやがった。まさか本気でうちの会社に就職するつもりではあるまい。
「えーっと、武永椿さんね。うちの社長……太一さんからも聞いてるよ! 武永君との関係は色々複雑らしいね」
「いえいえ、単純明快です。両性の合意に基づいて成立した、憲法上にも明記された夫婦ですから」
「もう我慢ならねえ。お情けで放っておいてやろうと思ってたが、離婚調停起こすからな!」
「いやあ武永君。気持ちはわかるけど落ち着こうか。ここは面接の場だからね、形だけでも」
今すぐここを飛び出して家庭裁判所に駆け込みたい気分だったが、普段お世話になっている額月さんの言うことだ。ひとまずは抑えておくか……
わざわざ敵地に踏み込んできやがったのは予想外だが、とにかく面接が終わればまたコイツを追い出せるのだ。
額月さんの顔を潰さない程度に、ほどほどで切り上げてお帰り願おう。
「じゃあ僕の方から色々質問させてもらおうかな! 志望理由はもういいから、うちの会社をどう発展させていきたいか聞いてもいいかい?」
「そうですねえ……」
椿は長くうっとうしい髪を一撫でし、考え込むそぶりを見せた。仰々しい仕草にムカッ腹が立ってくる。
ふざけたことを言ってみろ。即座に叩き出してやるからな……
「やはり白蛇神社を軸に観光を発展させていくべきでしょうね。平安時代の『
「なるほどね、それで?」
「昨今で言えば御朱印帳のブームもありますが、ここの白蛇神社ではそういったエンタメ要素が少ない気もします。せっかく若い宮司さんが当主を務めておられるのですから、若年層に向けた宣伝も効果的で……」
椿の語るビジョンには一定の説得力がある。出雲大社や厳島神社、伊勢神宮だって都心から離れているにも関わらず参拝客は多いのだ。
有名神社の付近は参拝客の落とすお金で経済が潤っているとも聞く。
参拝客の確保と、それに向けた神社の活性化。
ベタなグランドデザインと言えなくもないが、学生の身でそこまで到達できているなら御の字だろう。
「ところで椿さんは蛇怖くない? 大丈夫?」
「怖くないと言えば嘘になりますが、その『
椿はペラペラと己の知識を開陳してくる。額月さんはゴツい体格の割に論理や博識を尊ぶタイプなのだ。悪い印象にはならないだろう。
コイツのことだからきっと、そんな額月さんの性格まで把握したうえでこの面接に望んでいるに違いない。
「いやあ、詳しいねえ」
「いえいえ、私などは大したものでは……ところで、説によれば
「ああそれはね、蛇というのは『カガ』や『カカ』という音韻に由縁があって……」
自分の知識はアピールしつつもさりげなく相手を立てる態度は崩さない。
普段の陰湿な性格からは想像もできない気の配りようだ。
コイツ、「就活慣れ」してやがるな。うち以外にも色々受けて、かなり研究してやがる。
ただ狂っているだけのヤンデレより、社会性を身につけたヤンデレの方が恐ろしいような……なんだか身震いしてきた。
結局、この面接で椿がボロを出すことは無かった。最後には額月さんと意気投合して、余裕綽々で退出していったくらいだ。
まずい……何とか額月さんを説得して、ここで落としてもらわないと俺が困る。
「いやあ、いい子じゃないか武永君! 僕ぁ通過させてあげたいけどねえ」
「猫かぶってるだけですよ、アイツの本性はもっと……」
「猫かぶり! 結構じゃないか! 僕だって
ワハハハ、と額月さんは快活な声で笑ったが、俺は苦笑いすら浮かべることができなかった。
一次面接で就活生を通過させるか否かの裁量は額月さんが持っている。
あの雰囲気からすれば、次の二次面接すら通りかねないだろう。
椿が救いようのない異常者であることを人事部長に弁明するのもアリだが、俺は「もっと上」の人間と知り合いなのだ。
そちらを説き伏せて何とか椿をブロックしないと、俺の平穏な日々が瓦解してしまう……!
「幽霊娘が面接に来た? ああ、知っとるけど」
「それなら話は早いです。あの化物を落選させてください、社長権限で」
俺が息も切らさん限りに詰め寄っても、太一さんはいつも通り悠々とお茶をすすっている。
この人のマイペースなところはちょっと苦手だ。俺を困らせるためにわざとそう振る舞ってそうなところが余計に。
「んー……でもなあ」
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