D5―1 涸沢之蛇 その1

 あれから一年が経ち、俺はいま加々美家の関連団体である観光協会で働いている。

 太一さんとの約束通り人事をやる傍ら、営業も担当させられておりなかなか大変な日々だ。


 ただ、地元には元々愛着があったためやりがいは感じている。

 教師も尊い仕事だと今でも思うが、地域貢献もまた価値のある仕事ではあるものだ。


 直属の先輩社員はなんと額月さん。最初は不安だったが、人当たりのいい彼から学ぶことは多い。

 それに後輩に対しても懇切丁寧に指導してくれるタイプで、先輩としては完璧すぎるほどだ。

 時々不穏な性癖が顔を覗かせることを除けば、だが……


 営業先でも好意的な人が多くて助かっている。

 田舎だからか噂は早いもので、どこにいってもたいてい「ああ、君が千佳ちゃんのお婿さんね」と反応が返ってくるのだ。

 「新人の営業さん」と認識されるよりもずっと仕事がやりやすいのだが、太一さんもそこまで計算して俺に営業をさせてるんだろうな……


 そして肝心の千佳は、と言えば。


「お兄、仕事疲れてない? ウチがマッサージしてあげようか」


「ありがとな。肩こってるし、そこだけお願いしようかね」


「肩だけでいいの? 腰は? 太ももとかこってない?」


「いや、そこまでは……」


「でも営業って足腰、というか下半身に疲れが溜まるものじゃない? さするだけでも。どう?」


「……」


 やたら下半身をマッサージしたがることを除けば良い恋人だとは思う。

 住んでいる場所は遠いが、俺が神戸に行ったり千佳が和歌山に来たりで定期的に会えてはいる。


 千佳の淡く白い手が俺の太ももに重なる。ひんやりした感触がこそばゆく、思わず身震いしてしまったが、彼女の手は微動だにしない。


「あのなあ千佳、もし子どもができたら大学も辞めなきゃだし色々大変なんだぞ」


「その時は子どもが大きくなってから大学に入り直すから大丈夫」


「お金だってさ、俺もまだ大して給料もらってないし……」


「ウチの父親の遺産があるから大丈夫」


「太一さんが何て言うか……」


「実力で黙らせるから大丈夫」


 くっ……何を言っても論破されてしまう。千佳の聡明さは尊敬しているが、こちらのごまかしが通じないのはなかなかつらいところだ。

 俺が答えに窮していると、ふすま越しにたおやかな声が聞こえた。


「失礼いたします……くずきりを用意いたしました」


「ありがと箕輪。一緒に食べてく?」


「おそれながらご相伴にあずかります……」


 ふすまを開いて現れた箕輪さんは、いつもと変わらぬ穏やかな所作で配膳してくれた。

 実は箕輪さんも同じ観光協会で働いているので先輩にあたるわけだが、千佳の恋人である俺には丁寧すぎる態度で接してくれている。


「聞いて箕輪。お兄がなかなか子どもを作ろうとしてくれなくて」


「それはそれは……武永様、子育ては不安でしょうがこの箕輪にできることなら何でもお手伝いいたしますよ」


「そういう問題ではなくてですね……」


「ならどういう問題?」


「時期とかさ、色々……」


「子を成すなら早い方が良いものですよ。私にも娘がおりますが、若い頃に産んだお陰でもう孫まで見せてくれまして……」


 いつの間にか箕輪さんは俺の背後に回り込んでおり、正面にいる千佳との挟み撃ちで物理的にも逃げ道がなくなっていた。

 前門の蛇、後門にも蛇の使者。俺が呑み込まれるのも時間の問題なのだろうか……


「なんや騒がしい思たら帰ってきよんか。跳ねっ返り娘が」


 太一さんは挨拶もなくふすまを開け、千佳と俺の顔を一瞥した。


 俺は現在加々美邸に住み込みで働いているのだが、千佳がここに帰ってくるたび太一さんが冷やかしてくるのだ。正直ちょっとウザいが、彼も悪い雇い主ではないのであまり文句は言えない。

 それにこのタイミングなら太一さんを味方に引き込んでどうにか……


「助けてください。二人して子どもを作れと迫ってこられて……」


「ええやん。跡継ぎの候補が多いに越したことないからな。ぼんやりしとったら僕に先越されてまうで」


「太一くんはまず相手がいないと思うんだけど。クローンでも作るの?」


「うっさいねん。見合いさえあれば僕だってなあ……」


 よし。また千佳と太一さんの言い争いが始まった。これなら俺への追求はマシになるだろう。


 太一さんの嫁探しだが、相変わらず難航しているらしい。

 地元に住んでいる女性たちは「家格が釣り合わない」と遠慮をしているようだし、外からわざわざ田舎に嫁いできてくれる人も今時なかなか見つからない。


 太一さんにも婚約者はいたらしいが、いつの間にやら東京の男性と駆け落ちしてしまったらしい。

 「逃げ出したなる気持ちもわからんではないからな」とケラケラ笑う太一さんを見ていると、彼にも幸せになってほしいものだが。

 皮肉屋だし人相も良くないものの、根は悪い人ではないしな……


 名家の長男に生まれるというのも大変なものだ。

 今だからこそわかるが、彼がいつぞや言っていた「自由に生きられない人間もいる」というのは太一さん自身の境遇を指していたのだろう。


 当主としての気苦労が多いことは近くで見ているとよくわかる。

 だから早く跡継ぎが欲しいと急いている面もあるのだろう。隠居を計画するには若すぎる気もするが……


「で、武永君はいつ千佳を孕ますんや? 予定だけでも決めてもらわな、当主としては気になって寝れんわ」


「今年中だよねお兄。むしろ今月中?」


 げっ……ぼんやりしてたらこっちにボールが返ってきた。


「とりあえずまた温泉に行こうねお兄。旅館のお布団でゆっくり考えよう」


「ええな。今回は僕も行こかな」


「太一くんは忙しいでしょ」


「いやいや、君らの邪魔するつもりはないねん。ただ地元の温泉に僕が一人で留まると目立つからなあ」


「別行動ならいいけど」


 だんだんわかってきたことだが、どうも加々美家は温泉が好きな家系らしい。

 蛇には水浴びの好きな種類も多いし、それも関係あるのだろうか……

 なにかと温泉に連れいってもらえるのは嬉しい福利厚生なのだが。


「せや武永君。諸星君はまた海外か? 相談したいことあるんやけどな」


「来週には帰ってくるらしいんで、声かけときますよ」


「そら有り難い。なんや最近はマッチングアプリとかいうのが流行っとるらしいからな、使い方教えてもらえんか思て」


「太一くん、目つき悪いし写真加工しないとね」


「お前にだけは言われたないわ!」


 千佳と太一さんの応酬を見守る箕輪さんがクスクスと笑う。

 時々蛇が屋敷の通り口から顔を出しては主人たちの言い争う様子を不思議そうに眺め、また穴に帰っていく。

 こんな繰り返しの日々が、今は何より嬉しく愛おしい。


 これからもずっと穏やかな日々が続く、はずだったのだ。そのはず、だったのに……



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