D4―7 蛇に見込まれたカエル その7
色々……本当に色々あったが、ようやく神戸に帰る電車に乗ることができた。
もちろん隣には千佳。その事実だけで俺の胸はもう満たされている。
二人並んで座席に座り、特に話すでもなく揺られ運ばれていく。
ただ、千佳がずっとこちらを見ているのがやけに気になる。
何か言いたいことがあるのか、と訊いてみても首を振るだけなので、俺の顔を見ていたいだけなのだろう。
まあ、30分もずっと無言で見つめられると流石に恥ずかしいのだが。
何か話さないといい加減落ち着かない。
「なあ……前まで帰りが遅かったのってやっぱり加々美家絡みなのか?」
「ううん。あれは本当にバイト。カフェで遅くまでバイトしてたのも嘘じゃない」
「そう、なのか? その割に隠し事してるっぽい態度だったような」
「うーん……本当は言いたくなかったんだけど」
千佳はペットボトルを取り出すとゆっくりカフェオレを飲み込み、改めて俺の目を見た。
「コーヒーのさ、練習してて」
「コーヒーの練習?」
「美味しく淹れる方法って言うのかな。それをマスターに教わってからお兄を招待したくて」
「なるほどな……」
開店中にコーヒーを淹れる練習はできなかったのだろう。閉店後、夜になってから練習をしていたとすれば、そりゃあ帰りも遅くなる。
千佳が俺にカフェに来るなと行った理由もこれでわかった。マスターの淹れるコーヒーじゃなく、自分の淹れた美味しいコーヒーを振る舞いたかったわけか。
千佳の真面目な性格を考えると、半端なものを俺に飲ませたくなかったのだろう。
「じゃあ、諸星が千佳に耳打ちしてたのって……」
「うん。あの人ウチが練習してること何故か知ってたんだよね。で、『そんな頑張らなくても、武永は君の淹れるコーヒーなら絶対喜んでくれる』って言われて」
「キザな奴だな……」
「お兄とウチの微妙な距離感を気遣ってくれたんだろうね。あの人がモテる理由もちょっとだけわかったかも」
なるほど。あの時千佳が悲しい顔をしていたように見えたのは、諸星の優しい言葉を受けて涙を堪えていたせいだったのか。
アイツにも礼を言っとかないとな……たぶんすっとぼけるだろうけど。
「じゃあ加々美家のあれこれと時期が被って、事態が複雑に見えてただけなんだな」
「そういうこと。恋愛って難しいね。お互い好き同士でもちょっとしたことですれ違ってしまったり、とか」
「あの時点で俺が千佳に惚れてたって言ったっけ?」
「違う?」
「違わないです……」
年下の女の子に手玉に取られているような気がする……これはこれで悪くもないんだが。
電車の外を見ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
ビル街や道路の明かりを見ていると、だんだんと神戸に近づいていく実感が湧いてくる。
「しかし二週間も千佳がいなくなったのはビックリしたよ。連絡も取れなくて俺、焦って椿とバカな契約しちゃったしな」
「それは本当にごめん」
「いや、千佳を責めたいわけじゃなくて……どうせ太一さんが無茶したんだろ?」
「うん。ウチの父親ほどじゃないけど、太一くんも性格悪いから」
顔じゅうに不平の色を滲ませる千佳。クールな彼女をこんな表情にさせるとは、太一さんもやはり只者ではない。
「でも、本当に加々美家に残るのは構わないのか?」
「うん。お兄がいればどこでも天国だし、それに……」
「それに?」
「代替わりの時に、加々美家の役割の重さっていうのを痛感しちゃって。箕輪や他の女中さん、氏子さんや蛇たちにも感謝はしてるから、家のこと憎めなくなったのかも」
「それは、良いことなのかもな……」
「うん。父親のことはやっぱり嫌いだけど、あんなやり方でも色んな人の雇用とか地元の経済を支えてたから。その点だけは評価できる。長所だけの人間がいないように、短所だけの人間もいないんだね」
「そう、だな……」
皮肉にも、父親との永遠の別れが千佳と加々美家の軋轢を解くきっかけとなったわけだ。
どうせなら、千佳のお父さんが生きてるうちに和解できていたら良かったのに、なんて思ってしまう俺は甘すぎるのだろうか。
「スマホとかは太一さんに取り上げられてたのか?」
「うん。ウチがお風呂入ってる隙に。いくら太一くんでもそこまで強硬な手段を取るとは思ってなくて、油断した」
「ひどいことするなぁ」
「ね。おまけに『武永君が探しに来んかったら彼はそんだけの人間で、君らはその程度の関係ってことやろ』とか言ってたの。お兄は絶対来るのに」
「まあ、な……」
椿や姉さんの助けが無ければあそこまで迅速には駆けつけられなかったので、あんまり偉そうな顔はできないが……
「ウチのことはともかく、お兄に変なストレスかけたことはやっぱり許しがたいかな。お兄は太一くんをどうしたい? 絞めたい? 穴だらけにしてやりたい?」
「いや、そこまでは……」
結果だけ見れば千佳との仲を認めてもらえたわけだし、太一さんを恨むつもりはあまりなかった。
太一さんの一人勝ちっぽく見えるのはちょっとだけ悔しいが、彼が俺より上手だったということで。
「しかし俺、やっぱ頼りなく見えてたんだろうな」
「ううん。太一くんが疑り深すぎるだけだから気にしないで。昔からああいう人なの」
「そうか……でもこれからはあの人とも仲良くやっていかないとだしな」
千佳と生きていける喜びで半分忘れかけていたが、俺の就職先は半強制的に決まったのだ。
来年から太一さんは俺の雇い主。どうにも癖のある人だが、うまく付き合っていけるだろうか。
「安心して。お兄を無理に働かせたら太一くんは飼料にするから」
「飼料ってエサだよな? 何の?」
「……」
「蛇じゃないよな? 千佳の家の蛇は人を食べたりしないよな?」
「……」
「怖いから黙らないでほしいんだが!?」
本当に俺は加々美家でやっていけるんだろうか。演技とはいえ太一さんの蛇にも何回か噛まれかけてるし、未だにレア以外の蛇はちょっと怖いんだよな……
「大丈夫。何とかなるよ」
千佳の左手が、そっと俺の右手に重なる。ひんやりした感触が心地いい。
彼女にしては漠然とした慰めだったが、その言葉にはどこか核心めいたものが宿っていた。
「これからはウチが一生隣にいるから。何かあっても、ずっと大丈夫」
「千佳……」
「神戸に帰ったらとりあえず……跡継ぎ作っとく?」
「それはちょっと早いんじゃないかな……」
「ならもうちょっと待つね」
口元に手をあててクスクス笑う千佳。
これ、太一さんの一人勝ちというより、実は千佳の一人勝ちなんじゃないか?
太一さんが俺を試したことで事あるごとに千佳から責められるだろうし、変な負い目がないぶん千佳が一番有利な立場なのかも。
まあ、勝ちだの負けだの損得だのはどうでもいいか。
これから始まる幸せな日々に比べれば、きっと些細なことだ。
俺の肩に頭を預け満足そうに目を瞑る千佳を見ていると、そんな風に思えた。
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