D4―5 蛇に見込まれたカエル その5
俺の質問を受け、千佳と太一さんは真顔で顔を見合わせた。
まるで俺が妙なことでも言ったかのような雰囲気だ。千佳の婚約者について気にするのは真っ当な疑問だと思うのだが……
「まあ、そこら辺はなんとかなるんちゃう。知らんけど」
「うん。ヌカヅキさんはウチに興味ないだろうし。たぶん」
「知らん」だの「たぶん」だの要領を得ない回答だ。
わかったのは千佳の婚約者が「ヌカヅキ」という名前であることだけ。こんな胡乱な感じで済ませていいのだろうか。
「しかし武永君、来年からここで働くんやったら今年の夏休みはちょっとうちで勉強してもらおか。インターンやと思って」
「お兄をコキ使うつもりならウチが許さないけど」
「そうか、残念やわ……武永君と千佳で近場の温泉の視察でも行ってもらおか思ってたんやけど……」
「さっきのは嘘、太一くんの案に賛成、お兄にも色々経験してもらわないといけないことあるしできるだけ長く滞在してもらって」
突然早口になった千佳を見て、太一さんは苦笑いを浮かべている。
俺以外の人間に対しては強情な千佳なのだ、彼も実は苦労してきたのかもしれない。
同情するわけじゃないが、俺も加々美家の仕事は知っておきたいし、夏の間はお世話になるかな……
改めて運ばれてきた茶菓子(今日は花型の落雁だ)に手をつけつつ、姉さんがふいに口を開く。
「加々美くんも認めてくれたことだし、千佳ちゃんは私の義妹になるってことで良いのかしら」
「せやなあ。そしたら僕と仁美ちゃんはどっちが兄か姉になるんやろか」
「そうねえ。同い年だから……双子?」
「いやその理屈はおかしいやろ」
のほほんと会話する太一さんと姉さんをよそに千佳はすっかり黙りこんでいた。
心配になって、千佳のうつむく顔を見てみると、やけに頬が赤い。
バタバタしてたせいであまり実感は無かったが、そう言えば晴れて家族公認の仲になれたのか……
千佳の表情を見ているとこちらまで恥ずかしくなってきたが。
「なんや二人して茹でタコみたいな顔して。一緒に住んどったくせに今更の反応やな」
「うるさい。いまだに嫁が来ない太一くんは黙ってて」
「お前なあ! 事実でも言ってええことと悪いことあるやろ!」
「跡継ぎが生まれず加々美家断絶とか、あるかもね」
「そん時はお前と武永くんの子どもを強制的に跡継ぎにしたるわ。弱味噌やったらバシバシしごいて……」
言葉の途中で太一さんの喉が詰まる。きっと彼も場の異様な気配を察したのだろう。
体感気温が数度下がったような空気感。その静けさの中の椿がゆっくりと身を起こした。
「さっきから黙って聞いていれば……皆さん肝心なことをお忘れではありませんか? 法律上、先輩の伴侶は蛇娘ではなくこの本庄椿……いえ、武永椿なんですよ」
煙のようにゆらりと立ち上がった椿は、そのまま俺と千佳の間にドカッと腰を下ろした。
はずみで千佳が後ろに倒れるが、椿が邪魔で助けにいくこともできない。
「ほーん。幽霊のお嬢ちゃん、君は武永君と籍入れとんのか」
「ご明察のとおりです。先輩がこちらで働くことには反対しませんが、残念ながら貴方の妹御と入籍することはできません」
「なるほどなあ……」
椿の言を受けて太一さんが首をぐるりと回す。大きくのけぞるその柔軟さは、身をうねらせる蛇を想起させるものだった。
「それはそれで……アリか」
「うん。ウチも別に構わない」
「えっ?」
「はあ?」
椿と俺が間の抜けた声を上げたのはほぼ同時だった。
太一さんたちの思惑がわからない。椿の存在によって俺は千佳と結ばれないのだが、まさか俺はお払い箱ってことか?
でもそんなやり方に千佳が賛同するとは思えないし。
ポカンと口を開けた椿をヨソに太一さんは淡々と話を続ける。
「ほしたら、千佳はヌカヅキさんと籍だけ入れて武永君の子ども生んだらええわ。せやせや、そうしよ」
「そうだね。入籍にこだわらなくても子どもは育つ。ウチもそうだったし」
「いやいやいや、おかしいでしょう。そんな、だって、先輩は私のもので……」
珍しく椿が露骨に困惑している。実を言えば俺も加々美家特有の割り切りにはついていけてないのだが、アリなのか、そんなの? 千佳と結婚せずに子どもだけ作るなんて……
「相続とかややこしなるけど、早いうち養子に入れたらどうとでもなるか」
「ヌカヅキさん的にも都合いいかも。向こうもウチとの婚姻は不本意だろうから、適度なタイミングで離婚して……」
二人とも発想が柔軟すぎる。そりゃ俺としては椿の約束を反故にせずに千佳と暮らせるなら願ったり叶ったりだが、そんなお誂え向きの方法があるなんて……
「待ってください! 私の気持ちはどうなるんですか! 蛇娘を不貞行為で訴えますよ!」
「おー、訴えたらええで。金で手ぇ切ってくれるなら安いもんや」
「キーッ! ついでに貴方のことも訴えますからね! 侮辱罪です! 懲役刑です!」
「懲役は無理だろ……」
椿は「入籍さえすれば先輩は私のもの」と高をくくっていたようだが、そういった常識は加々美家では通じないようだった。
そう言えば加々美家には千佳の他にもお
実子も太一さんを含めて4人いるらしいし、かなり複雑な大家族なのだ。
「倫理的におかしいでしょう! だいたいそんなややこしいことをしたら子どもだって不幸になるでしょうし!」
「倫理の話をするならお兄に望まない婚姻を継続させる方が非道じゃないの。あと、子どもが不幸かどうかは本人が決めることで貴女が決めることじゃない」
「ぐっ……屁理屈を!」
椿は声を荒げて自分のバッグに手を突っ込んだが、そこで動きが止まった。
凶器でも取りだそうとしたのだろうが、ここは文字通り千佳のホーム。
実力行使が通じる場所でないのだ。イカれた椿でも状況の有利不利くらいは判断できるらしい。
「もういいだろ椿。姉さん、コイツ送ってやってくれ」
「えっ、宗ちゃんは?」
「武永君は居残りや。今後のこともあるしな」
「そう? なら行きましょ、椿ちゃん」
姉さんはためらいがちではあったが、椿が変な気を起こす前にここを離れてもらった方がいいのは事実だ。
椿はまだ同じポーズで固まっているが、もう腕に力は入っていないようだ。徐々に肘が下がってきている。
姉さんは椿の両脇に腕を突っ込むと、介護のように椿を抱えて出口へと向かった。
「このままでは終わらせませんよ……このままでは……」
姉さんに引きずられながら、虚ろな目でブツブツ呟く椿。薄気味悪い光景ではあるが、コイツが不気味なのはいつも通りのことなのだ。
今までどおり、ひどい目に遭いながらも椿を交わしていくしかないんだろうな。
椿が去っていった後に残されたのは、千佳と太一さんと俺。
これからどんな重い話をされるのかと身構えていたところ、突然太一さんが柏手を打った。
急に聞こえた破裂音に、思わず身がすくむ。
「そんなビビらんでもええやろ。試練を乗り越えた武永君にご褒美あげよか思ってんのに」
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