D4―4 蛇に見込まれたカエル その4

「あの人なら向こうの部屋」


 千佳はさっき出てきたふすまを指さした。まさか千佳と椿はずっと近くの部屋にいたのだろうか。

 そうだとすれば拍子抜けって感じだな……


 まあ、ひとまず椿の姿は確認しておくか。空振りに終わったものの、一応協力はしてくれてたし。


 ふすまを開いて客間を出ると、廊下を挟んで向かい側にも部屋があるようだった。

 ねぎらいの言葉でもかけてやろうと思いつつ向かいのふすまを開けると、そこには異様な光景が広がっていた。


 六畳程度の狭い和室、その中央に立つ「何か」に大蛇が巻きついていた。

 あの巨大な蛇は……以前会った千佳の配下、パフェだ。


 パフェの巻きつく柱のようなものには、よく見ると脚が生えている。

 あの枯木のような脚はひょっとして……


「椿!? 大丈夫か!?」


 返事の代わりに「うう、うう」と呻き声だけが聞こえる。

 顔を見るまでもなくヤツが苦しんでいることがわかった。いくら普段の行いが悪いとはいえ、今回は千佳を助けに来てくれたのだ。

 いくらなんでもこの仕打ちは酷い。


「千佳! 流石にやりすぎだろ!」


「え。そうかな」


「椿は千佳を助けに来たんだぞ!?」


「そうなの? 会っていきなり襲いかかってきたんだけど」


「……」


 千佳が不思議そうに首をかしげる姿を見て、すべてを察してしまった。


 おそらく椿は囚われた千佳が丸腰だと思い込んで襲いかかったのだろう。

 普段は蛇に守られている千佳を害するチャンスなどそうそうない。

 千佳を始末するまでいかなくとも、いつも蛇に噛みつかれている意趣返しをしたかった、というところか。


 ヤツの誤算だったのは、別に千佳は囚われの身でも何でもなく、護身用のパフェがすぐ近くに控えていたこと。

 あっさり捕まった椿はなすがままに締め付けられているわけだ。


 完全に自業自得じゃねえか。同情して損した。


「千佳、とりあえず放してやってくれないか。言い訳ぐらいは聞いてやろう」


「お兄が言うなら」


 パフェがその捕縛を緩めると、真っ赤な顔をした椿が顔を出した。


「ぶはーっ……! 殺す気ですか蛇娘! まったく助けに来てやったのに恩知らずな……」


「おい椿、お前の横に落ちてるピアノ線は何なんだよ」


「えっ!? こ、これはですね……元々落ちてて……」


「この家にピアノはないけど」


 椿はわざとらしく床に倒れ込んでそのまま声を発しなくなった。

 このタイミングで気絶したふりをするとは、反省の色が見当たらない。

 起こしても面倒くさそうだし、しばらくはこのまま放置しておくか……


 椿から離れたパフェは、隅にある天井付近の穴へ吸い込まれていった。

 なるほど蛇屋敷だけあって、至るところに蛇用の通路があるようだ。

 こんな場所で千佳に挑んだ椿はやはりアホなのだろう。


「えっと……色々あってちゃんと聞けてなかったけど、千佳はこの家を離れるんだよな?」


「ううん。ウチはこの家に残る。大学卒業したらここで働くつもり」


「えっ?」


 驚いて太一さんの方を振り返ると、彼も感慨深そうな顔で頷いていた。なぜかその横で姉さんも頷いてるし。

 てっきり千佳を解放してくれるものかと思ってたら、そうでもないらしい。


「千佳、本当にいいのか? そんな性急に将来を決めなくても……」


「だって、お兄もここで働いてくれるんでしょ。お兄と一緒ならウチはどこでも暮らしていけるよ」


「そう、か……」


 千佳の表情は晴ればれとして、少しも無理をしているようには見えなかった。

 もしかして太一さん、俺が「加々美家で働きたい」と明言するように誘導してたんじゃ……


 いま思えば、千佳との交換条件にお金ではなく労働力を要求してた時点で怪しかった。やっぱり抜け目ない人だな……


 しかし、千佳が満足なのはいいとしても、まだ2つほど課題が残っている。


 一つは千佳の婚約者の問題。俺と千佳が結ばれるためにはそちらの人に何とか断りを入れねばならない。

 太一さんも政略結婚だと言っていたし、縁談を退けるのは容易ではないはずだが……


 もう一つは、そこで倒れている陰湿幽霊、椿との婚姻をどうするかだ。

 コイツが離婚届に押印してくれるとは思えない。一度食いついたら二度と離れないピラニアのような奴なのだ。

 俺の身が食いちぎられるのも覚悟しなきゃいけないか。


 なんとなく解決したムードになっていたが、まだ大きな問題が目の前に横たわっている。両方とも一筋縄ではいかないだろう。


 頭を抱える俺を尻目に、場の雰囲気はどことなく和やかなものになってきていた。


「いやいや、武永君がわかりやすい人間で良かったわ。よく言えば素直、悪く言えばバカ真面目やなあ」


「そんなお兄を騙した太一くんは極悪非道だと思う」


「しゃあないやろ。僕も信用してへんかったけど、うちの連中も半信半疑やってんから。武永君を信頼してたんは箕輪ぐらいやんけ」


「箕輪はウチらのことわかってくれてるから。誰かさんと違って」


「ほんま生意気なったなお前……」


 千佳はどうやら本家の当主を「太一くん」と呼ぶらしい。

 兄とは思っていなくても親戚くらいの仲ではあるのだろう。

 なんだろう、千佳から聞いていた家庭環境から想像していたイメージとは違う。


「融通きかしたってんねんから、クソ親父よりはマシやろ」


「あれと比べたらダメ。ほとんどの人間はあれよりマシ」


 ……どうも元凶は千佳の父にあったようだ。その父も亡くなった以上、千佳にとって実家はそこまで居心地の悪い場所ではないのかもしれない。

 いきおい俺の就職先まで決まってしまったが、これはこれで良かったのか……?


 千佳と太一さんの言い争い(というか漫才)をぼんやり眺めていると、真っ黒な蛇がしゅるしゅると俺の足元に寄ってきた。

 一瞬影かと思ったくらい風景に溶け込んだ蛇だ。

 もしかしたら、これが千佳の飼い蛇「ショコラ」なのだろうか。だとしたら……


「千佳、もしかしてずっと俺たちのこと見てたのか」


「ごめんね。お兄の様子はショコラを通して見てた。お兄には嫌な思いさせちゃったし、一生かけて償うね」


「『一生かけて』って言いたかっただけやろ、アホタレ」


「太一くんは黙ってて」


 かなり年上の太一さんに怖じることなく千佳は言い放った。

 太一さんが大げさに肩を竦めると、姉さんもクスクスと笑った。俺以外の人間だけがほのぼのとした雰囲気で、ちょっと寂しい。


 ふと下に目を向けると、ヒバカリとショコラも互いに身を寄せあってご機嫌な様子だ。

 こうして見ると蛇も可愛げがあるのかもな……デカすぎるパフェはまだ怖いけど。


 それはともかく、訊くべきことはちゃんと訊いておかないとな。


「あの、太一さん。千佳の婚約者の方はどうすれば……」


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