D4―2 蛇に見込まれたカエル その2
驚いた俺が固まっていると、その様子を見て太一さんが吹き出した。
ケラケラと声まで出して笑う彼とは対照的に、俺の背中には冷や汗がダラリと流れ始める。
「カカカ、当てが外れたみたいやなあ。君のとこの幽霊娘もかくれんぼが上手いみたいやけど、うちの屋敷じゃ通用せんかったな」
ダメだ。椿の存在がバレている以上、アイツは千佳のところにすらたどり着けなかったのだろう。
今回は出直すか? でもこの機を逃せば千佳が本格的に幽閉されるかもしれないし、戻ったところでこれ以上の作戦もないし……
「もうええ加減諦めたらどうや? ヨソの家の事情に首突っ込むもんやないで」
「だからって千佳を諦められるわけないでしょう」
「しつこいなあ、君も。千佳以外にもええ女ならおるやろ。何やったら代わりでも紹介したろか?」
太一さんは立ち上がり、せせら笑うように俺の肩を叩いた。その仕草にはさっさと帰れ、という意味も込められているのだろう。
彼の不遜な態度以上に不愉快なのが、千佳を物としか見ないその目線。何が「代わり」だ。千佳の代わりなんかいるわけないだろ。
「馬鹿にしやがって……!」
立ち上がった弾みで思わず太一さんの胸ぐらを掴むと、彼の眉間に深い皺が寄った。
今まで余裕の態度を崩さなかった彼にしては露骨な表情だ。反抗されることは予期していなかったのだろうか。
「なんやこの手は。僕は暴力は嫌いなんやけどな」
「アンタは千佳を何だと思ってるんだ。答えろ」
「んー……強いて言うなら……千両箱?」
「ふざけるな!」
太一さんの胸ぐらから右手を外し、殴りかかろうと振りかぶった瞬間、横からタックルが飛んできた。
正面は警戒していたが、横から? 誰が? なぜ?
バランスを崩しそのまま床に倒れると、左半身に鈍い痛みが走る。
その苦痛に耐えつつ顔を上げると、ようやく覆い被さってきた意外な人物がわかった。
「姉さん……なんで」
俺を横から押し倒したのは姉さんだった。しかも彼女は床にぶつかった俺より痛そうな表情をしていた。身をよじり、息を荒げて必死に痛みを堪えている。
明らかに尋常の様子ではない。ただの打撲でこれほどの痛みは起こらないだろう。
それに、よく見ると姉さんは打っていないはずの右肩のあたりを押さえている。
「姉貴に庇われるとは情けないのう、カカカ」
ニヤニヤと笑う太一さんの腕に褐色の蛇が戻るのを見て、ようやく事の次第がわかった。
姉さんは俺の身代わりになってあの「ヒバカリ」とかいう蛇に噛まれたのだ。
しかもこの姉さんの苦しみよう、まさか……
「毒……」
「察しがええな。『ヒバカリ』っちゅう名前はこの毒蛇に噛まれたら『その日ばかりの命』になってまう事実が由来なんや。はよに解毒したらな取り返しつかんことになるで」
「解毒薬ぐらい持ってるんだろ! 早くよこせ!」
「人に物頼む態度ちゃうやろ、それ」
俺の決死の形相を物ともせず、太一さんは冷たく言い放った。
こうやって言い争っているうちにも姉さんは身をよじって痛みと闘っている。苦しみのあまりか、姉さんらしからぬ太い唸り声まで聞こえてきた。
「お願いします。謝りますから、薬をください」
「おほっ! 迷わず土下座か。美しいきょうだい愛やなあ」
「頼みます……姉を助けてください」
「その潔さは嫌いやないで。事故みたいなもんやし薬はくれてやってもええが、条件があるなあ」
土下座をした状態では太一さんの顔は見えないが、彼がまた皮肉な笑みわ浮かべていることはその声色から十分読み取れた。
こんな奴の言いなりになるのは屈辱的だが、姉の命には替えられない。
「そっちの姉さんを助けたいなら、千佳のことは諦めてもらおうか。それがええわ。姉さんは生きて帰れるし、僕はうるさいのに悩まされんで済むし、一挙両得やな」
「それは……」
姉さんを助けるのが優先だ。それはわかってる、わかってはいるのだが、だからって千佳を諦めるのは……
「迷ってる暇はないと思うねんけどなあ。可哀想に、君のお陰でお姉ちゃんはえらい苦しそうやで?」
「……」
誰のせいで、と怒鳴りたくなったが、ここで下手を打てば姉さんの命に関わる。
姉さんの苦しげな声を聞くたび、膨らみかけた俺の反骨心は小さくなっていった。
「好きな方を選んだらええ。まあ、君みたいな甘ったれにはお姉ちゃんを見捨てるのは無理やろうけど」
「姉さんを助けて、千佳も自由にしてやってもらえませんか。お願いです」
「アホ抜かせ。そんな都合のええ話が……」
「俺が……俺が犠牲になります。それではダメですか」
「どういう意味や?」
「従業員を30人、用意します。それで千佳を解放してください。姉を助ける分も含めてオマケが必要なら、何でもします。無理な願いとはわかっていますが、二人とも助けてやってもらえませんか」
「ほーん、どうやって30人連れてくるんや?」
「そちらで働かせていただいて、人事担当として30人連れてきます。1年や2年では無理かもしれませんが、30人優秀な人間を採用できた折には千佳を解放してやってください」
太一さんからの返事は無い。よく聞こえなかったのだろうか? 何ともむず痒い沈黙が流れる。
自分でも無理のある提案だと思っていたし、すぐに拒否されるものと想定していたが、意外なことに返事がかえってこない。
土下座を崩さず首だけを少し持ち上げると、太一さんが複雑な表情で固まっていた。
だがその顔を見れたのも一瞬で、俺の視線に気づくと彼はまた元のニヒルな笑みに戻った。
「ほんまにええねんな。君を雇うならブラックもブラック、真っ黒な雇用条件になるで。人事だけさせるわけにはいかん。朝から晩まで地獄の雑用や」
「構いません」
「過労死しても労災はおりひんで。だいたい君が目標に届かんと死んだら、その時点で千佳は終わりやけど」
「死にません。千佳が自由になるまでは」
太一さんと視線がぶつかる。これまでも彼と正面きって向き合うことはあったが、ようやく彼の奥底に届いたような気がした。
「そんなに……千佳が大事か?」
「はい」
「はあーっ……」
太一さんの口から長く大きなため息が漏れ出た。
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