D4―1 蛇に見込まれたカエル その1

「何が言いたいんかわからん」


「さっき述べたとおりです。千佳を解放してください」


 昨日と同じ広い客間で俺と姉さんは太一さんと向かい合っていた。

 開口一番千佳を手放してほしい旨を伝えたが、やはり太一さんにはまったく響いていないようだ。


 まあ、しつこく頼めばどうにかなる相手でないことはわかっている。

 むしろ入口で追い返されなかったのが不思議なくらいなのだ。


「話にならんな。うちが千佳を放してやるメリットが無いやろ」


「メリットって……千佳の意志は無視するんですか」


「あー、はいはい。そういう感じな。わかったわかった」


 いかにも面倒くさそうな顔で、太一さんは湯飲みを傾けお茶を啜った。こちらとは目を合わせようともしてくれない。

 まるで厄介なクレーマーをあしらうかのような態度だ。何も理不尽な要求をしているつもりはないのだが……


「ほんで、千佳を手放したら君は何してくれんのや? タダで寄越せ言うてるわけちゃうやろ?」


「何か用意すれば千佳を解放してくれるんですか?」


「そらそうや。僕かて意地悪言いたいわけやないねん。対価の釣り合うもんがあれば取引したってもええ」


 あくまで千佳を財物としてしか見ないその物言いに苛立ちはしたが、またケンカして追い出されては時間稼ぎにならない。

 それに、条件次第では千佳を無理やり連れ出さなくてもよくなるかも……


「何を持ってくれば千佳の代わりになりますか? お金ですか?」


「せやなあ……うちで働ける人間、30人ぐらい用意してくれたらええわ。できるだけ若くて、従順なやつがええな。当然一生働いてもらうことになるが」


「30人!?」


 無茶苦茶な要求だ。1人の人間を引っ張ってくるだけでも難しいだろうに、それを30倍って……

 本気で言ってるのか? 無理難題を吹っ掛けて俺を諦めさせようとしているだけでは……


「そんなデタラメな……」


「冗談に聞こえたんか? 僕は本気やけどな。千佳にはそんだけの価値があるねん」


 太一さんは皮肉な笑みを浮かべているが、からかっている口ぶりには聞こえなかった。


「さすがにそれは厳しいわねえ……宗ちゃんと私でも2人だけだし」


「椿を入れても3人……残り27人なんてどう頑張っても……」


 姉さんとひそひそ声で相談してみるが、最早やり取りする意味すらない。太一さんの要求が無茶であることを確認しただけだ。


 姉さんと二人困り果てていると、おもむろに太一さんが口を開いた。


蛇巫へびふ……ってわかるか?」


「へびふ?」


「要するに蛇神に使える巫女さんやな。僕も一応蛇巫やけど、巫女いうだけあって、ほんまは女の方が向いとるんや。千佳はそん中でも一等級。代わりなんかそうそうおらん」


「はあ……」


「見とき」


 太一さんが少し離れた床を指差した。そこには座布団が敷かれていたが、どこからともなく褐色の蛇が現れ、その上にヌルリと座った。

 とぐろを巻いて鎌首をもたげるその姿は、まるで呼び出されて席に座る従者のようだ。


 突然何なんだろう。手品でも見せてくれるというのだろうか。


「僕が完璧に使えるんはこの『ヒバカリ』と君が前に見た『キイロイアマガサ』ぐらいや。他の蛇にも単純な指令は出せるが……まあ大した才能やない」


 蛇を2匹調教できているだけでも驚きなのだが、なんとなくそれを言い出せる雰囲気ではなかった。

 太一さんの声がどこか自虐めいて聞こえたせいかもしれない。


「それに比べて千佳はどうや。4匹も使いこなせる上に、1匹1匹が強烈な個性を持っとる。僕とは物が違うからな。あんなもん手放せるか」


「いや……千佳が凄いのはわかったんですが、だからってあなたが彼女の人生を縛る権利なんて……」


「あのなあ、武永君。君はなんか勘違いしとるやろ」


 太一さんは机から身を乗りだし、下から睨めつけるように俺と目を合わせてきた。


「僕が千佳の人生を決めとんのと違う。この家に生まれたんはあの娘の宿命や。強いて言うなら天の神さんが決めたんやな」


「詭弁じゃないですか。事実上あなたが強制してるんでしょう」


「ちゃうねん。たとえこの家の当主が僕やなくても状況は変わらん。親父の生きてた時から千佳の婚約者も決まってたしな」


「えっ!?」


「なんや。知らんのんか」


 太一さんは元座っていた位置に戻り、呆れ顔でため息をついた。

 彼の操る蛇(ヒバカリだったっけ?)もとぐろを崩し、一直線上に伸びている。


 それはともかく、千佳の婚約者だって? まさか俺……ってことはないよな。

 昔の約束は確か反故になっていたはずだし。


「千佳は偉い氏子さんの息子と結ばれてうちのために子どもを産むんや。その子も能力次第で優遇したるつもりやしな」


「だから、千佳の意志はどうなるんですか!?」


「そんなん知らんし、知る気もない。ええか武永君、世の中にはどう頑張っても自由に生きられん人間もおるんや。さらに言えば、自由なんかそんなええもんちゃう」


 太一さんのどこか遠い目で悟ったようなことを言う。

 そのスカした態度がどうにも気に食わなかった。

 もっと時間稼ぎをするべきかもしれないが、もう我慢ならない。


「いい加減にしろよ! 千佳の人生を何だと思ってるんだ!」


「あーあー、大声出さんとってくれ。うちの蛇らがビックリするやろ」


「アンタが聞き分けないから……!」


「君こそ加々美家を何やと思っとるんや。何も知らんと横からチャチャ入れて」


 太一さんは指で机をコツコツ叩き始めた。神経質な人間らしい仕草だ。

 初めて太一さんが苛立った感情を見せたように思える。


「まあまあ宗ちゃん、落ち着いて。ケンカしに来たわけじゃないでしょう」


「だけど……!」


「ちゃんと相手さんの言い分も聞かなきゃ、ね?」


 姉さんに湯飲みを持たされたため、反射的に冷えたお茶を流し込む。

 舌に残る苦味を味わうにつれ、少しだけ冷静さが戻ってきたように感じた。


「そっちの姉さんはまだ話がわかるみたいやな」


「千佳ちゃんがいなくなると困るんですよね、そちらとしては」


「せやな。当主っちゅうんは会社の社長みたいなもんや。僕には社員を食わしていく義務がある」


「それなら千佳ちゃんがいなくても代わりがいれば……」


「だから言うたやろ、30人用意せえって。そのぐらいの価値があの娘にはあるねん」


 太一さんのキッパリした物言いに、姉さんもそれ以上の言葉を継ぐことができなかった。


 実際、話を聞く限りは平行線だ。向こうは千佳を手放したくないし、こちらは代わりを用意できない。

 正攻法で膠着した状況を解決する方法は無さそうだ。やはり椿を待つしか……


「ところで今日はあの幽霊みたいな女の子来てへんのやな。ほら、あの髪の長い」


「えっ、ああ……アイツは千佳と親しくないから置いてきました」


「へえ。その割にはいま千佳と会っとるみたいやが」


「えっ!?」


 椿の隠密行動がバレてる? これって本格的に「詰み」なのでは……



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