C1―5 エスカルゴ その5

「みぃは普通だよー。武永君みたいに面白いへきは無いって」


「いいや、ありますね。異性にこれをされたくて仕方ないとか、あるでしょう」


「んー……強いて言うなら養ってもらたいとかー?」


「もっと正直に」


「甘やかされたいとかー」


「もっとですよ! もっと!」


「……赤ちゃん扱いされたい」


「ほら来た!」


 思わずガッツポーズをしてしまった。やはり喜多村さんにも妙な性癖があったのだ。それも結構深刻そうなやつが。

 なんだか安心感というか、親近感みたいなものが湧いてきた。いや、俺は変態仲間というわけではないのだが……


「しかし赤ちゃんプレイをご所望とは。喜多村さんもなかなか業が深い」


「プレイとかじゃないよー。もっと本気で赤ちゃん扱いしてほしいというか、食事、入浴、排泄、歯磨きからリモコン操作まで全部やってほしいんだよねー。みぃは寝てるだけでオッケーみたいなさー」


「思ってたよりやべえなこの人……介護サービス頼めばいいんじゃないですか」


「それは違うんだよねー。愛でもって看護してほしいんだよー、わかんないかなー」


「一ミリもわからないですけど、見つかるといいですね。介護してくれる夫……」


 人を変態扱いしてきたくせに、喜多村さんだって筋金入りの変態じゃないか。

 まあ、彼女の夫以外に迷惑はかからないだろうし、これでもマシな方なのかもしれないが。


 抱えている性癖というのは内臓のようなもので、他人から見るとグロテスクでも本人にとって必要不可欠なものなのだ。

 むやみに否定するべきではない。俺の嗜癖も彼女のこだわりも。


「しかし俺と喜多村さんの間柄だから笑い話で済みますけど、付き合うってなったら大変ですよねこれ」


「そだねー。伴侶の性癖が受け入れられないってなると、付き合っていくのは難しいだろうねー」


「じゃあ村瀬と付き合うなら俺も常に女装しなきゃダメなんすかね……」


「ぶふー……!」


「いやだから笑い事じゃないんですって!」


 喜多村さんは食べていたケーキを噴き出しそうなくらいで笑いを堪えている様子。

 そりゃ女装するかしないかで真剣に悩んでる奴は面白いだろうけど、俺にとっては死活問題なのだ。あまり茶化さないでほしい。


「ごめんねー。まあ、女装は二人の秘め事ってことで、密室だけにしてもらうとかが落としどころじゃないかなー」


「やっぱ女装自体は避けられないんですね……」


 ため息まじりで抹茶のロールケーキにナイフを入れると、穏やかな茶の香りが漂い、少しだけ気分が安らいだ。

 ケーキを一口食べてみると、甘味と苦味の絶妙なバランスに心が癒される。苦味に癒されるというのもよく考えれば妙な感覚だが、人の嗜癖というのは複雑怪奇なものなのだろう。


「村瀬ちゃんの性癖も受け入れてあげないと、武永君の足首フェチも拒否されちゃうよー?」


「それは困りますね。村瀬の足首を舐めるまで俺は死ねませんから」


「舐めるんだー……キモ」


「ガチめに引かないでくださいよ! 正直な心境を話す流れだったじゃないですか!」


「あははー。ごめんねー」


 喜多村さんは手を叩きながらケラケラ笑っている。単に面白がってるだけなのかな、この人……

 まあ、常に眠りを欲している彼女が寝ずに相談に付き合ってくれているのだ。それだけでもありがたいことではあるのだが。


「どうかなー、こんな感じで。村瀬ちゃんとうまくやれそう?」


「できればもう少し話を伺いたいですが……」


「そうもいかないんだよなー」


 喜多村さんが俺の後ろを指差す。もうこの時点で「状況」がうっすら読めていたのだが、礼儀として一応後ろを振り向いてみた。


 そこには、窓にへばりつく不気味な悪霊の姿が。

 あんなところにいさせたら、営業の邪魔でしかない。

 しょうがない。除霊してくるかな。


「世話になりました。では、また」


「健闘を祈ってるよー」


 テーブルの上に二千円ほど置きつつ、ふにゃふにゃと笑う喜多村さんから背を向ける。

 収穫があったかは微妙なところだが、とにかく村瀬の性癖とも向き合っていかねばならないことは認識できた。


 とりあえずは、厄介な癖を持つ別の奴を片付けねばならないのだが。


 俺が店の外に出ていくと、ようやく椿は窓から離れ、ゆっくりこちらへ向かってきた。


「また浮気ですか。伴侶が変な女にモテる私の身にもなってくださいよ」


「伴侶になった覚えはないしお前も変な女なんだが……あと喜多村さんとはそういうのじゃない」


「それで、何のお話をされてたんですか? 私、気になって気になって」


「進路相談だよ」


「ですから、何の『進路』ですか?」


 椿の顔が笑みを張り付けたままぐにゃりと歪む。

 夕陽の逆光に照らされたその姿は、およそ人間のものとは思えなかった。


 まさかコイツ、俺がどういう話をしていたか知ってるのか? また盗聴してやがったとか?


 いや、単にカマをかけてきてるだけかもしれん。ひとまずしらばっくれるのが正解だろう。


「就職とかの進路だよ。それ以外に何がある」


「ニート志望の先輩に何を相談することがあるんですか?」


 椿が距離を詰めてきて、俺の眼を斜め下から覗き込む。

 下から見られているというのに何なんだこの威圧感は。よく磨かれたナイフを眼前に突きつけられているような、異様な緊張感。


「じ、自分が教師になった時、喜多村さんみたいな不真面目な生徒がいたらどうするか、とか、そういう話だよ……」


「ふぅん……」


 一応は納得してくれたのか、椿が半歩後ろに下がる。

 とっさの言い訳にしては我ながらマシな方だ。人間、窮地に立たされると脳の回転が早くなるとは言うが……


「私はてっきり先輩が誰かに懸想していて、その恋愛相談かと思っていたんですが」


「ああ、うん。そういうのもあるかなー……ほら、浅井先生との仲が進展しないこととか」


「まだあの女に気があるんですか? どうせ私に邪魔されるだけですし、さっさと諦めればいいのに」


 椿はようやく平静に戻ったのか、いつものように俺の腕に絡みついてきた。

 鬱陶しいし気色悪いので振り払いながら歩くが、何度も何度もへばりついてくる。


 不愉快ではあるが、さっきまでのヒリついた空気が和らいだだけまだマシだ。

 とりあえずは誤魔化せたということだろう。


 並んで歩こうとする椿を押し退けつつ、少しずつ帰路を進んでいく。どこかで振り切らないと家までついてきそうだなコイツ。


 街はすっかりオレンジに染まり、どこかの家からカレーのいい匂いが漂ってきていた。

 カラスも帰る頃だ。この悪霊を振り払って、すぐにでも家でゆっくりしたい。


「さっさと帰れよ」


「だから一緒に帰ってるじゃないですか」


「俺の家はお前の住居ではない」


「同棲は籍を入れてから、ってやつですね」


「同棲も入籍もしねえよ」


「ところで先輩、村瀬さんとは最近どうなんですか?」


 突然の問いにむせかえりそうになった。


 は? 村瀬? なんで唐突に彼女が出てくるんだ。

 まさか椿のやつ、全部知ってて……


「お、おま……村瀬って、なんで……」


「え? 単に『同棲』って言葉の響きから『同性』が好きな村瀬さんを思い出しただけですが」


「ハァ……なんだよお前おどかすなよ……」


「変ですねえ先輩、どこに取り乱すタイミングがあったやら」


「そ、そうかな……はは……」


 それからも椿は家に着くまで「変ですねえ、変ですねえ」とブツブツ呟いていた。

 さすがのコイツも俺が村瀬に気がある可能性には思い至らない様子だ。そりゃそうだよな、俺だって自分の気持ちに驚いてるくらいだし。


 しかし危なかった。俺、人を騙すのに向いてないのかもな……


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