C2―1 HOLIDAY その1

「買い物に付き合ってほしい?」


「然様にございます……」


 バイト先の講師控え室でいつも通り伊坂の背中をひっぱたいていたところ、奴はふいに嘆願をこぼした。


「お願いしたけりゃまず額を床にこすりつけてからだろうが! 礼儀知らずの豚野郎め!」


「ひぃっ……申し訳ございません申し訳ございません……」


 伊坂は釘打ちでもするかのように何度も何度も床に頭突きをかました。

 痛ましくて見ていられないが、目を背けるわけにはいかない。気色悪くてもなるべく付き合ってやらないといけないのだ。

 コイツの協力がなければ、椿の目を掻い潜って村瀬とデートすることなんてできないのだから。

 今すぐにでも逃げ出したい気持ちを抑え、続けて伊坂を罵倒する。


「謝りながらでも場所と日取りは言えるだろうが! 段取りが悪すぎるんだよグズ!」


「し、失礼いたしました……場所は三宮、日取りは今週土曜の午前中で……」


「その日は予定が入ってんだよ! そんなことも知らんのか!」


 革靴のまま伊坂の頭を踏みつけると、「堪忍ください、堪忍ください」と恍惚に声を震わせながら奴は呻いた。

 一応伊坂の髪飾りは踏まないように気をつけてるんだが、これは踏んでしまった方が正解なのか? でも高そうなやつだし壊れたら悪いよな……

 伊坂が着てる高そうなブラウスもさっき汚してしまったし、また後で埃を払ってやらなきゃ。


「で、では日曜日でいかがでしょう。そちらでも予定はありませんゆえ……」


「予定があったら来ないつもりなのか!? アァ!?」


 靴のかかとで伊坂の頭をグリグリと踏みつけてやると、伊坂の息がだんだん荒くなってくる。

 おそらく苦しさと恍惚感で興奮状態にあるのだろう。


 ありえないとは思うが、もしここで伊坂が突然正常になって俺を訴えたら100%裁判で負けるだろうな……

 SMプレイの行き過ぎでM男を死なせてしまった人が逮捕された事件とかもあったらしいし、不安で仕方がない。

 たまに伊坂が興奮しすぎて過呼吸っぽくなることもあるし、アレいちいち心臓に悪いんだよな……


「いえ、滅相もございません……ただ、貴方様に気を遣わせないためにも……」


「言い訳ばっかりだなテメェはよぉ」


 しゃがみこんで長い定規で伊坂の頬をペチペチと叩いてやると、奴は物欲しそうに舌を出しながら折檻を待っていた。

 お望みどおり鋭い奴を一発くれてやると、伊坂は「キャウン」と吠えて横に倒れる。

 こんな気色悪い犬、飼いたくなかったんだけどな……


「なら日曜の13時に三宮駅の東口に来い。一秒でも遅れてみろ、お前の爪が全部なくなるぞ」


「そ、そんな……想像するだに恐ろしい……」


 爛々と輝く伊坂の瞳は、とても怯えている人間のそれとは思えなかった。

 一度だけ伊坂の足の爪を剥がしたことはあるが、細胞のちぎれる生々しい感触がこちらにまで伝わってきて、その場で吐きそうになったのを覚えている。


 ハァ……日曜までこの変態に付き合わなきゃならんとは面倒だ。

 ただ、ちょうど村瀬に誕生日プレゼントを贈りたいと思っていたところだし、一緒に選んでもらうのもいいか。

 こんな異常者でも服や装飾品のセンスは悪くないし、俺一人で選ぶよりはだいぶマシだろう。






 さて日曜日。


 伊坂は花柄のワンピースにブランド物の小さなバッグを携え、見た目だけならまるで清楚なご令嬢だ。切れ長の目と小さな口が奥ゆかしさを醸し出している。

 豊かなスタイルもあってか、いい意味の「女らしさ」は俺の知人の中でも結構上位なんだよな。

 恵まれたステータスだからなおさら、中身の残念さが悔やまれる。


「行くか」


「お願いいたします」


 さすがに往来でSMプレイを始めるわけにはいかないので、二人並んで普通に歩き出す。

 物欲しそうな目でチラチラ伊坂がこちらの顔色を窺ってくるが、一切無視だ。

 公衆の面前でおっぱじめるなんて、伊坂以外の誰も得しないことだしな。


「っていうか行き先を聞いてなかったんだが、どこに向かってるんだ?」


「書店と銘打った雑貨屋にございます……」


「ふーん……」


 意外と普通の回答だったな。もっとぶっ飛んだ目的地を告げられるかと覚悟していたが。

 雑貨屋兼書店ってことはあれか、最近増えてるオシャレな本屋にでも向かうのだろうか。

 まさか椿がその店に潜んでるとかはないよな……怪しい臭いがしたら密室に閉じ込められる前に逃げ出さないと。


 駅前の明るいアーケードを通り抜け、少し狭い路地裏へ入り込む。自販機やビル壁に落書きが施されており、なんとなく陰気な雰囲気のする場所だ。


 路地裏を100メートルほど歩いた後、ふいに伊坂が足を止めた。


「こちらのお店にございます」


「へえ、駅から結構近いんだな。って、ここは……」


 俺たちの目の前に屹立するのは縦長の雑居ビル。殺風景な路地裏において妙にカラフルな外壁の、「いかにも」なお店だった。

 「秀吉書店」という名前は聞いたことがある。書店とは名ばかりでマニア好みの「おもちゃ」が大量に販売されている、大人向けのショップだ。


「うん。帰っていいか? 帰っていいよな?」


「ここまで来て殺生な……女一人でこういった趣向のお店には入りにくいものですから、何とぞ武永様のご厚意をいただきたく……」


「やだよ! 絶対他の客に変な目で見られるじゃん!」


「何とぞ、何とぞ願います」


 伊坂は拝むように両手を合わせたまま、膝を地面まで下ろそうとし始める。

 コイツ、この場で土下座するつもりか? アダルトショップの前で若い女性を土下座させるなんて、俺がとんでもない変態みたいじゃないか。

 それだけは避けないと。


「わかったわかった! 買いたいもん買ったらすぐ出ろよ!」


「有り難き幸せにございます……」


 伊坂の膝がアスファルトに到達する寸前で、何とか公開土下座を阻止することができた。

 時と場合によっては土下座も脅迫の手段として使えるんだな……まともな尊厳のある人間には真似できないやり口だが。


「では、参りましょう」


「おう……ってなんでお前動かないんだよ」


「殿方の前を歩くなど、私にはとてもとても」


「俺を先に店に入らせたいだけだろうが! お前から行けよ!」


「三歩下がって着いていくのが淑女の嗜みゆえ……」


「何が淑女だド淫乱め! それに俺はレディーファースト派なんだよ!」


 しばらく伊坂と押し問答を続けたが、結局俺が折れて先に入ることになった。

 こんなところを知り合いに見られたらどんな誤解を生むかわからないしな。

 さっさと店に身を隠した方が安全というものだ。


 なんだかうまく伊坂にコントロールされてるようにも思うが、気にしないでおこう……


 とにかく俺たちは、猥雑で猥褻な雑居ビルへと足を踏み入れたのだった。


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