C1―2 エスカルゴ その2

 今日の講義も村瀬と一緒に受ける科目だ。以前はやたら話しかけてくる彼女の相手をするのが億劫だったが、今なら無限に話していられる気がする。


 村瀬に会うたび、不思議なくらい彼女に対する想いが膨れ上がっていく。

 いや、初めて会った時の印象が最悪だっただけで、思い返せばそれ以降は助けられることも多くて、俺が惹かれるのもおかしくはないか。

 人生のパートナーは頼れる人間であるに越したことはない。


 イノシシと遭遇した時なんかは裏切られたりもしたが、今となっては笑い話だし、総体的にはやはり村瀬がいて良かったと思うことばかりで。


「またボーッとしているな。最近おかしいぞ、武永くん」


 村瀬が指で俺の額を小突いてくる。その何気ない仕草で胸がキュンと締めつけられてしまう。

 彼女の言う通り、俺はおかしくなってしまったのだろう。

 恋の病、恋の煙、恋の闇、恋は盲目、恋の奴隷、いずれも今の俺の状況にピッタリ当てはまる言葉だ。これらの慣用句は俺のために編み出されたのではなかろうか。


「まったく、目が蕩けているじゃないか。良子ちゃんのことでも考えてたのかい?」


「えっ? あっ、ああ……そんなところかな……」


 浅井先生の名前を聞いて、急に現実に引き戻された気分だ。

 実際、今でも彼女のことは憎からず思ってはいるのだが、それ以上に村瀬が気になって仕方ない。

 周りにも人がいる教室で、二人きりでいるような錯覚に襲われるほど、村瀬しか見えていなかった。

 さすがに浅井先生を引き合いに出されると反応してしまったのだが。


「で、どうなんだい? 良子ちゃんとはうまくいってるかい?」


「いや、最近はバイトで会うくらいでな」


「おいおい、キミからリードしなきゃダメだろう。ここは一つ、デートにでも誘ってみてはどうだ?」


「あー、うん。考えとくよ」


「やけに気乗りしない返事だね……」


 村瀬は不服そうな表情な浮かべつつ、机の上に置いていたタンブラーを開けた。

 ジャスミンティーだろうか。華やか香りがこちらまで伝わってきて胸が踊る。


 お茶を一口飲んだ後、すぐ隣に座る村瀬はこちらに耳打ちを仕掛けてくる。


「もしかしてキミ、別の子が気になってるのかい?」


 その言葉に、容易には返事はできなかった。話の内容がどうこうではなく、村瀬に耳元で囁かれただけで俺の全身はガチガチに硬直してしまったのだ。

 なんだっけこういうの、ASMR? 近年は囁きフェチが増えているらしいが、ようやくその境地が理解できた。

 人は耳からも大きな快感を得ることができるらしい。

 鼓膜を伝って抜けてきた音がそのまま心臓を揺らすかのようだ。悪くない……悪くないぞ。


「なんだ武永くん、変な顔をして。もしかして図星だったか?」


「いや、まあ……その」


「ははーん。良子ちゃんじゃないとすると、さては千佳ちゃんか。もう半年も待てば彼女だって大学生だしね」


「そういうわけでもないが……」


「なら莉依ちゃんか? ちょっと幼い見た目だけどキミは仲良いもんな」


「そうでもなくて」


「それならまさか椿くんか!? ついに押しきられてしまったとか!」


「それだけはあり得ないな」


「じゃあいったい誰なんだ!?」


 村瀬は机をバシバシ叩きながら吠えるが、突然「お前だよ」と言えるほど俺の度胸は定まっていない。


 それに、恋愛マニュアルとかを読んでる限りいきなり告白するのは良くないらしいしな。

 告白はお互いの両思いがわかってからの確認行為としてやるべきことだそうだ。

 今すぐにでも洗いざらい気持ちをぶちまけたいとは思っているが、今はまだそのタイミングじゃない。

 武骨な俺にもそのくらいはなんとなくわかる。


「どうにも最近の武永くんはよくわからないな……なんだか遠くに行ってしまったみたいで」


「ち、違うんだ! 村瀬とは仲良くしていたいって思ってて……」


「本当かい?」


「そりゃあもう! 仲良しの証に今度出かけようぜ! ほら、服とか見に行ってさ!」


「それは悪くないね」


 ようやく村瀬がニンマリした顔で笑ってくれた。細くなった垂れ目から愛嬌が滲み出ている。

 変わった服装でなければコイツも結構モテてるんだろうけどな。

 まあ、村瀬とやっていくためにはそこも含めて受け入れる度量が必要だろう。

 俺もロリィタ服に興味はなかったが、村瀬の好む服だと思うとちょっとずつ愛着が湧いてきた。

 まあ自分が着せられるのは二度とゴメンだが……






 そして迎えた日曜日。駅でスマホを眺めながら村瀬を待つが、どうにもソワソワして落ち着かない。

 まだ集合時間まで40分もあるというのに、こんな様子ではバテてしまいそうだ。

 ガラスを鏡代わりにして何度も何度も髪型をチェックする。我ながら思春期の女の子みたいな振る舞いだが、仕方ないだろう。恋をすれば誰だって乙女みたいなものだ。


 スマホでしきりに恋愛テクの記事をチェックしているが、とにかく量が多すぎて頭がこんがらがりそうだ。

 「聞き役に徹しろ」と書いている記事もあれば、「自己開示が大事」だと書いてある記事も載っていて、何を信用すればいいやらわからない。

 「女性を大切にすればモテる!」みたいな理想論もわかるんだが、実際には諸星みたいなテキトー野郎がモテてたりもするので、理論と現実のギャップに目眩がしそうだ。


 思えば俺の人生、誰かを口説くことなんて一度もなかったからなあ。

 高校生の頃になんか良い感じになった子と一瞬付き合ったりもしたが、結局なあなあになって別れたし。


 あれこれ煩悶しているうちに待ち合わせの時間が近づいてきた。

 もうすぐ村瀬が来ると思うと、それだけで心臓が早鐘のように鳴り響く。

 伊坂の情報によれば今日椿の邪魔は入らないようだが、そっちも油断できないし、落ち着かなさがピークに達してきた。


「やあ武永くん、ずいぶん早いんだね」


「おわあぁっ!?」


「な、なんだ……? そんなに驚かなくても」


 いきなり後ろから村瀬が現れるなんて。驚きすぎて心臓が止まるかと思った。死因としては結構幸せな方だと思うが、声をかけただけ死なれては村瀬もやるせないだろう……生きててよかった。


 村瀬はいつも通りロリィタ服を着ているが、今日は淡い桃色がベースのガーリーなスタイルだ。

 潤んだ瞳に瑞々しい唇、ふわりと靡くミディアムの金髪が眩しい。こうして見るとやはり村瀬は相当の美少女なんじゃないか?


「悪い、驚かせたな」


「最近の武永くんはいつにもまして愉快だね。何か良いことでもあったかい?」


「良いことしかないんだよ。人生の絶頂期って感じだな」


「それは結構だがキミ、服の前後が逆じゃあないか?」


「あっ……」






 いきなり情けないところを見せてしまったが、とにかく無事に三宮に降り立った。県内随一の繁華街だけあって今日も人が多い。

 流石にロリィタ服を着ているのは村瀬だけだが……

 隣に立つ俺はどんな目で見られているんだろうか。コスプレイヤーとカメラマンみたいに思われてたらなんか恥ずかしいな。

 まあ、村瀬の隣にいられるなら多少の恥ずかしさなど苦にもならないが。


 さて、目指すは都市型ショッピングセンター。どうやらそこに村瀬の好むブランドが入っているらしい。


「可愛い服、売ってんのかな」


「新作次第かな。よく似合うのが売っているといいが」


「楽しみだな」


「ボクもだよ。いやあ、まさか武永くんから誘ってもらえるなんて」


 駅から降りて幹線を越え、センター街も越えて、先へ先へ。人波に揉まれながらも順調に目的地へ向かう。

 村瀬も足取り軽く、カツコツと響くブーツの音が小気味よい。


 序盤こそ狼狽えたものの、なかなか悪くない雰囲気じゃないか?

 デートらしさはそこまで無いが、仲の良い男女らしさが醸し出されている気がする。

 あとはどうやって俺を男として見てもらうかだが……


 目的の店まで到着すると、色とりどりのフリルがあしらわれた可愛らしい服が俺たちを出迎えた。

 俺に少女趣味は無いので以前は興味を持てなかったが、村瀬が着るとなると話は別だ。

 どのロリィタ服が村瀬に似合うかを空想してしまう。

 白がベースの衣装を着ることの多い村瀬だが、案外紫や赤色の派手めな色味も似合うんじゃないか?

 うーん、似たデザインでも刺繍の柄が違ったりしていて、思ってた以上に奥が深いな……


「せっかくだし試着もしていこうか」


「そうか。じゃあ俺は待ってるよ」


「んん? キミが着る服を探しにきたんだろう?」


「……えっ?」


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