C1―1 エスカルゴ その1
【まえがき】
「55 選択」の続きで、これまでとは別の回答を武永が行った場合のお話です。
(以下本文)
「村瀬、とかかな。案外」
何気なく言ったつもりだったが、諸星はポカンと口を開けて、いつにもまして間抜けな顔を晒していた。
自分でもなんで村瀬が思い浮かんだのかはよくわからない。
でもおぼろげながら、彼女と皮張りのソファに座って、70年代の洋画を眺める画が頭の中に浮かんできたのだ。
「なんだよ。仮定の話だろ?」
「それはまあ、そうなんだがなあ。いや、いいんじゃねえか。姫ちゃん美人ではあるしなあ、一応」
否定こそしないものの、やけに歯切れの悪い返答だ。
そりゃ村瀬は変わり者だが、あれでいて情の深い人間ではあるし、一緒に生きるパートナーとして悪くない気はするんだが。
「なんだ? 諸星は反対なのか?」
「反対ってわけじゃねえんだがよ……大きい声で言えないけど、ほら、姫ちゃんって女の子が好きなんだろ?」
「あっ、そうか……」
言われてみれば村瀬は俺以外に男友達はいないし、彼氏なんて欲していないのかもしれない。
「男もイケるかもしれない」とは村瀬本人も言っていたが、付き合ってみたらやっぱり無理でした、なんて展開もあり得るか。
そもそも俺自身、村瀬から「平凡」だの「地味」だの罵られている立場なのだ。
友達より上のステージには上がれない可能性が高いし、諸星が微妙な表情を浮かべる理由もわかる。
「な、わかるだろ武永。他にお前のことを気に入ってくれてる子もいるんだしよお、わざわざキツい道を目指さんでも」
普段なら面白がって煽ってくる諸星ですらこの反応だ。
村瀬と付き合うハードルは俺が思っている以上に高いのだろう。
しかし、無理だ無理だと言われるほど、なんだか余計に村瀬をモノにしたくなってきた。
ナメるなよ。俺が本気になれば村瀬の一人や二人どうにでもできるはずだ。
「諸星、俺はお前に礼を言わねばならない」
「なんだよ急に……気持ち悪ぃなあ」
「俺のやりたいこと、いや、やるべきことがようやくわかった気がする。うん。俺は村瀬と付き合うぞ。それしかない」
「そうかあ……」
決意を目に立ち上がった俺を、諸星は諦めたような、呆れたような生暖かい目で見送った。
フッ……ありがとう友よ。そういう目をしながら内心応援してくれているお前が好きだぜ。
「だからね、ボクは思うんだよ。確かにアマラとカマラの例には恣意的な解釈が見られる部分がある。しかしだね、生育環境がヒトに及ぼす影響は甚大で……って武永くん。ちゃんと聞いているのか!?」
「ああ聞いてるよ。お前の声ならいくらでも聞いてられる」
「声はどうでもいいんだ! 内容を聞きたまえ!」
うん、怒鳴り声も愛らしいな。クソどうでもいい説法も村瀬の声で聞けるなら福音のように思える。
諸星とあの会話をして以来、村瀬を見るだけで胸が高鳴るのだ。まして声なんて聞いてみろ、幸福のあまり耳から順に溶けていきそうな心地なのだ。
なぜここまで村瀬に惹かれるのかはわからない。俺の人生に何かしらのバグが生じたのかもしれない。
しかし幸福を得られるタイプの不具合なら大歓迎だ。中枢神経までデロデロに溶かしてくれても結構結構。
それにしても、村瀬はなんて愛らしいのだろうか。元々ロリィタ服が似合う美形ではあったのだ、今まで気づかなかった俺はどれだけ愚かだったか。
少し化粧が派手な気もするが、しかし化粧を落とした時の顔も無垢な乙女然として可愛らしい。そのギャップがたまらない。
何より足首。村瀬の足首は理想形といって差し支えないレベルなのだ。
白く伸びる腓骨筋ラインの完成度たるや。あの滑らかさであれば一時間はゆうに眺めていられる。
ブーツと靴下に隠れてめったに見えないその秘境に、いつか手を伸ばしてみたいものだが。
ふう、考えるだけでのぼせてしまいそうだ……
「さっきからなんなんだ、ぼんやりして……熱でもあるのか?」
村瀬の白い手が伸びてきて、俺の額に優しく触れる。香水の甘い香りと、指の滑らかな感触で俺はもう気絶寸前だった。
息が速く浅くなるのを感じる。脇腹を汗が伝う。
俺はなんでこんなに村瀬を意識してしまうのだろうか。
自分でも不思議ではあったが、正直に言えば悪い気もしない。
「やけに体温が高いね……大丈夫かい?」
「少し、息苦しさがあるな……」
「大変じゃないか! 熱っぽいのは自分でもわかるかい?」
「そうだな、頭がボーっとしてる」
「鼻水は出てないか? 咳は?」
「それはないけど、妙に心臓がバクバクしてな……」
「そうか……きっと熱風邪だろう。今日は帰って休むといい。講義の内容はまたボクが教えてやるから」
「マンツーマンで!?」
「そ、そうだが……やけに食いつくな……」
「へへ……そうか、マンツーマンか……」
ニヤつきながら退席する俺を村瀬は不審そうな目で見送った。
うーん、じっとりとした目つきもたまらないな。やはり何をやらせても絵になる。
途中ドアに激突しながらもなんとか教室を抜け出る。
そういえば明日の講義も村瀬と一緒だったな。神に感謝せねば。
夢見心地に帰路をフラフラと歩いていると、重大なことに気づいてしまった。
あのまま村瀬と一緒に講義を受けてから帰った方が良かったのでは?
講義も一緒に受けつつ、「熱であんまり内容が入ってこなくてさ」とか言い訳しながら個人指導も受けておくべきだったか。
そうすれば彼女と過ごせる時間も増えるし、一石二鳥だ。
よし。引き返すか。正直まったく体調は悪くない、どころか高揚感があっていつもより快調なくらいだしな。
うりぼーロードを渡り終えたあたりで、教室に戻るため振り返ったところ、木の端に不審な影を見つけた。
いつものパターンだ。こういう時は無視するに限る。わざわざ声をかけなくても向こうから勝手に姿を現すだろうしな。
「あら先輩、おサボりさんですか?」
予想通り、木陰からヌルリと現れた妖怪が俺の前に立ち塞がった。
「どけ。俺は村瀬……じゃなくて講義のために戻らなきゃいけないんだ」
椿の脇を通り抜けようとするが、案の定ヤツは進路妨害を仕掛けてきた。バスケのディフェンスのように右へ左へ機敏に動いてくる。
椿を無理やり押し退けつつ、なんとか先へ進もうとするが、腰のあたりにしがみついてくるせいでなかなか前へ進めない。
クソッ、相変わらずなりふり構わないヤツだな。
「そんなに講義が大事ですか! 単位の一つや二つ別にいいでしょう!」
「大学生にあるまじきセリフだな……とにかく俺は戻りたいんだよ」
「じゃあなんでさっき帰ろうとしてたんですか?」
「それはお前、色々あるんだよ!」
「ふぅん……」
腰にしがみついているため椿の顔は見えないが、何やら思案している雰囲気である。
よくよく考えてみれば、村瀬と付き合いたいと思ってもコイツが邪魔してくるのか……
相当厄介だな。今だって俺の腰にへばりついて離れる気配は無いし。
「放せ悪霊め……!」
「ダメです。ここで先輩を放してはならないと私の第六感が叫んでいるのです」
結局、椿と格闘している間に講義の時間は20分ほど過ぎてしまったので、もう諦めて帰ることにした。
長きにわたる格闘で疲弊した椿を置き去りに、小走りで大学の敷地内を駆けていく。
講義は受けられなかったけど、内容はまた村瀬からみっちりねっとり教えてもらえばいいか。
今夜は楽しみで眠れないかもしれないな。
後ろから粘着質な視線を送ってくる椿にも気づかず、俺は鼻唄混じりで帰路へつくのだった。
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