A5―6 恋に上下の隔てなし その6

「俺は、良子さんの選択を尊重します。俺と椿の縁を繋ぎ直してください」


「となれば、良子のことは諦めるという回答でよろしいですな?」


「いいえ、諦めません。良子さんと結ばれる別の方法を探します。探し続けます」


「一生見つからんとしてもですか?」


「一生探し続けることができれば、それはもう結ばれたのと同じではありませんか?」


 俺の答えを聞いたおばあさんは一瞬目を丸くしたが、すぐにまた泣き笑いのような表情に戻った。

 いつもの柔和な笑みとは違う、どこか寂しそうにも見える笑み。

 しかし、これがおばあさんの、社交辞令ではない心からの笑顔なのだと俺は直感した。


「良子のこと、頼みましたよ。宗介さん」


 おばあさんが手に力を込めると、俺の全身に電撃が走った。凄まじい痛みだったが、それを感じたのは一瞬だけ。


 気がつくとそこにおばあさんの姿はなく、俺と椿の手を握る良子の姿だけがあった。どうやら座ったままの姿勢で気を失っているようだ。

 このままボーッとしていても仕方がない。良子を抱き上げ、車の方へ向かう。

 俺の身体にも相当ダメージが残っているが、きっと良子や椿と比べれば微々たる消耗だろう。


「モアちゃんは椿を頼む」


「了解っす! あの、これ、全部終わったんすかね?」


「たぶんな」


 良子、というかおばあさんの用意した数珠は砕け散っていた。

 その破片を見て、直感的に「ああ、もうおばあさんに会うことはできないんだろうな」と悟った。

 折角なら、ちゃんと感謝を伝えたかったものだが。


 良子のカバンを探らせてもらい、車のキーを取り出す。ピッ、ピッ、という安っぽい電子音とともに車が解錠された。

 手早くドアを開き、良子を後部座席に乗せて振り返ると、椿を抱きかかえて途方にくれるモアちゃんが後ろに立っていた。


「椿も乗せてくれ。もちろんモアちゃんも」


「いいんすかね? つばっち暴れたりしないっすか?」


「たぶん」


「そればっかじゃないすか」


 ブツブツ言いながらもモアちゃんは指示に従ってくれた。

 摩訶不思議で理解不能なことが立て続けに起こったというのに、素直に協力してくれるなんて、やはり彼女は良い後輩なのだろう。

 これで酒癖さえ悪くなければ理想的な人物なのだが。




 さて、俺たちはこれからどうなるんだろう。

 

 椿との『縁』は不完全ながら修復されたらしい。もう痛みや胸のざわめきは収まった。心が静かな水面に浮かんでいるような気分だ。

 しかしそうなると、良子と俺は永遠に結ばれないことになるのか?

 『縁』が無いままでも一緒にいることは不可能なのだろうか。将来的に、事故とかちょっとした偶然によって離ればなれになってしまうとか?


 うーん……まあ、考えたところで答えは出ないか。

 どうあれ、おばあさんに「良子を頼む」と言われたのだ。その期待を裏切らず生きていくしかないだろう。


 それと、不思議なことに、良子との絆が以前より深くなったような気もしているのだ。








「先輩、おはようございます。もうお身体は大丈夫ですか? よろしければ私が触診しますが……」


「医師免許持ってねえだろお前は」


「免許を取れば先輩の身体を触り放題……!?」


「コンプラ違反で免許剥奪されろ」


 あんなことがあったというのに、椿は相変わらず俺にちょっかいをかけてくる。

 儀式の日から3日くらいは寝込んでいたようだが、気づいた頃にはいつもの調子に戻っていた。

 嫌がる椿を引きずり病院にも連れていったが、身体的な異常は無し。

 俺も胸の痛みを一週間以上患っていたが、それも気づいた頃には無くなっていた。


 あの日行われた儀式の内容について、椿にも改めて説明はした。

 しかし、騙し討ちに遭った被害者だというのに、椿はそのことについて怒ってはいない様子だった。


 なぜ怒らないのか本人に尋ねたところ、


「だって私も先輩に呪いをかけたりしたじゃないですか。やり返される覚悟もなく私が挑んでいたとでも?」


 と、あっけらかんとした返事だった。


 やっぱり椿の価値基準はよくわからない。わからないが、まあ、筋は通っているような気もした。


 それから、結局儀式がどういう結果に終わったのかは不明なままだ。誰かに尋ねようにもおばあさん以外にこんな奇妙な儀式を熟知している人はいないだろうし、肝心のおばあさんに連絡を取る手段も無いのだ。

 良子も親戚に尋ねてみてくれたらしいが、儀式が中断された例が無いらしく、結局何もわからずじまい。


 良子とはよい関係を続けられているし、椿は相変わらず絡んでくるしで、あの「事戸渡し」の儀式が一夜の夢だったかのように、いつも通りの日常が進んでいく。


 ある一点を除けば、だが。


「あら本庄さん。もう身体はいいのね?」


「あ、浅井さん。どうもおかげ様で」


 ニッコリ笑う良子に対し、椿はぎこちなく会釈した。

 そして、椿は静かに俺から距離を取った。もう季節は夏になり、椿の真っ黒なワンピースが暑苦しかったので離れてくれてありがたい。


「そんなに遠慮しなくていいのに」


「別に、貴女が来たから離れたわけじゃないです。少し暑くなってきたので」


「そうね、今日は本当に暑いわ。アイス買ってきたけど、本庄さんも食べる?」


「いただきます」


 このところ、椿はずっと良子に対してぎこちない態度を取り続けている。

 何かを企んでいるというより、「交友の少ない親戚にどう対応していいかわからない娘」みたいな振る舞いだ。


 椿に心境の変化が起き、これまで振る舞いを反省したのかもしれないが、俺はもっと別の可能性を考えていた。


 これは俺の仮説なのだが、あの日おばあさんは、俺と椿の剥がれかけた「縁」を修復するために、俺たちの「縁」の間に良子の「縁」を繋ぎ役として織り込んだのではないだろうか。


 そんな離れ業はなれわざが可能なのかはわからないが、もし良子の「縁」が間に入ってくれているならすべてのことに辻褄が合う。

 俺と椿、そして良子が離ればなれにならず、しかも椿の良子への態度が軟化した、今のこの状況にピッタリだ。


 もちろんタダでそんな裏技が使えるはずもなく、代償としておばあさんは現世に現れることができなくなったわけだが……

 儀式の前におばあさんが言っていた「良子の払うべき犠牲」とは、もしかするとおばあさん自身が犠牲になることを指していたのだろうか。

 おばあさんにはこの結末まで全部お見通しだったとか……?


 まあ、今さら確かめるすべも無いので、これ以上考えても仕方ないことではあるのだが。

 おばあさんの意図を測ることより、今を精一杯幸せに生きることの方が恩返しになるのだろうしな。

 良子の幸せは俺の幸せだが、俺の幸せも、きっと良子の幸せであるはずなのだ。


「本庄さん、アイス垂れてるわよ」


「自分で拭けますから放っておいてください」


「あっ、ほらダメじゃない。それじゃ余計に服が汚れちゃうわ」


「いや本当勘弁してください……先輩の前だと余計に恥ずかしいので……」


 良子と椿が隣に並んでアイスを食べる日々が来るなんて、思ってもみなかった。

 今までなら、俺が間に立たないと会話も成り立たないくらいだったのに。

 少し不思議な感覚もあるが、それ以上に嬉しい気持ちが勝っている。




 おばあさんに初めて会った日に指摘された、椿に対する「憐れみ」と「羨望」。俺はもうどちらの感情も持ち合わせていないのだろう。

 その代わりに、椿に対して別の感情が芽生え始めていた。良子に向けるような「愛情」とも違う、もっと別の感情が。



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