A5―5 恋に上下の隔てなし その5

 おばあさんの祭文読みが止まった。ようやく儀式が終わったのだろうか。

 後ろを振り返って、おばあさんが憑いている良子の姿を確認したいが……


「ぐがあああぁあぁあああぁぁぁ!!」


 いや、違う。まだ椿は苦しみ叫び続けている。

 儀式は終わっていないのか。だとしたら、なぜおばあさんの祭文が聞こえてこないのだろう。


 不安を振り切るために雨音に意識を集中させていると、ふいに肩を掴まれた。

 驚きのあまり、反射的に振り返ってしまう。


 そこには息を切らした良子が乱れ髪のまま俺を見つめていた。

 儀式で疲弊したうえに雨でびしょ濡れになった姿が痛ましい。


「どうしたんだ、良子?」


「もう、やめにしましょう」


「でもまだ儀式は終わってないんだろ? それにおばあさんはどうしたんだ?」


「もういいの。宗介くんや本庄さんが苦しんでいる姿をこれ以上見たくないのよ」


「いや、そうは言ってもだな……」


 俺としては、ここまで来て中断するのは納得できない気持ちもある。

 おばあさんやモアちゃんも協力してくれているわけだし、何よりこんなところでやめれば椿にも悪いのでは。

 『縁』自体は椿が生まれ持ったものだし、そこからアイツを解放してやることには意義があるだろう。


 そもそも、儀式を途中で終えることなんてできるのか?


 降りしきる雨のなか、良子と互いに見つめあっていると、突如彼女の首がガクンと後ろに曲がった。

 数秒のけぞるような姿勢を取った後、良子の姿がぼやけ、代わりにおばあさんの姿が浮かび上がってくる。


「まったく困った孫娘です……」


「おばあさん、あの……」


「申し訳ありませんな、良子が余計な口を挟みまして。まだ儀式は続けられますで、もうしばしお待ちください」


 おばあさんは元の持ち場に戻り、再び祭文を唱え始めた。同時に俺の胸の痛みも戻ってくる。

 かなり苦しいが、なんとか耐えられないことは無さそうだ。


 冷たい雨が全身の温度を奪っていく。きっと明日には風邪をひいてしまうことだろう。

 でもそんなことは些事なのだ。もうすぐで椿との縁が切れる。

 このやり方が果たしてベストだったのか俺には断言できないが、それでも……




 しかし、数分も経たないうちに、再び祭文を読む声が聞こえなくなった。

 さすがに黙っていられず、また良子のいる方を振り返ってしまう。


 そこには、身体を小さく震わせる良子の姿があった。

 素人の俺でもわかる、明らかに儀式の進行が良子によって妨害されている。

 おばあさんを憑依させている間、身体の主導権は良子には無いはずなのだが。


「良子! 余計なことをやめい!」


「おばあちゃんの言うことでも聞けないの! こんなこと私は望んでないわ!」


「恋人とおぬしのためと言っておろう! 何の犠牲も払わずに、望みが叶うと思うな!」


「わかってるわよ! でも私は!」


 良子とおばあさんの激しい舌戦が繰り広げられる。それらは同じ口から出る声なのに、まったく声色が違って聞こえた。


 目の錯覚だろうか、良子とおばあさんの姿がダブって見える。

 古いビデオ映像みたいに、二人の姿がブレて交互に見えるような、不思議な感覚だ。


「犠牲が必要って言うなら、私が犠牲になるわ!」


「その意味をわかって言っておるんか? 良子とお兄さんは結ばれんことになるぞ?」


「それは、悲しいけど……でも、きっと宗介くんは私じゃなくても幸せになれるだろうから。いいの」


 雨に濡れているせいでハッキリとはわからないが、涙もろいはずの良子が今日は泣いていないように見えた。

 これまでにないほど、毅然とした表情で自らの握りこぶしを睨んでいる。


「元々ね、思ってたの。本庄さんが宗介くんを好きだった記憶が無くなるなんて可哀想だって。それに宗介くんだって、本庄さんを突き放した罪悪感にずっと苦しむことになるだろうし……」


「ほんまにええんやな。あんたの幸せより他の人間を優先するいうことになるが」


「いいわ。宗介くんたちを苦しめてまで幸せになりたいなんて思わないもの」


 場に重たい沈黙が流れる。椿の怒声すら聞こえなくなり、波音と雨が岩にぶつかる音だけが聞こえる。


 実際の時間にしては数十秒だろうが、体感としてはもっと長い時間、沈黙が続いたように思われた。

 良子の姿が薄れ、その身体におばあさんの表情、体格、雰囲気がハッキリ宿った。


 そしておばあさんは一つため息をついた後、泣き出しそうな皺だらけの顔で微笑んだ。


「よう言うた。それでこそ浅井家の女や」


 おばあさんは立ち上がるとそのまま俺の腕を取り、ずんずん進んでいく。

 転びそうになりながらも着いていくと、おばあさんの向かう先がなんとなくわかった。

 おそらく岩の裏側、椿たちのいる方へ歩を進めているのだろう。


 岩の裏側に着くと、白目を剥いたまま横たわる椿と、椿を膝枕で支えるモアちゃんが座っていた。

 モアちゃんの目には困惑の色が宿っていたが、最後まで見守ると決めたのだろう。

 俺たちの姿を見てもあえて何も言わなかった。


 そしておばあさんは椿の右手と俺の左手をそれぞれ掴み、左右の手にグッと力を込めた。

 老人の力とは思えないほどの圧が俺の左手にかかり、かなりの痛みを感じる。


「な、何を……」


「途中まで儀式は進んでしまいましたが、今なら引き返す方法もあります。元通りとはいきませんがな」


「えっ!?」


「しかしお兄さんと椿のお嬢さんとの『縁』

も切れんようになりますが、いかがされますか?」


「でも、もし『縁』を繋ぎ直したら、俺は良子さんとは……」


「そこも含めて訊いとるんです。お兄さんには、良子の選択を尊重する覚悟がありますかな」


「俺は……」



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