A5―3 恋に上下の隔てなし その3

 いま俺たちが向かっている淡路島は「国産みの島」として名高い。

 淡路島の岩屋いわや港に浮かぶ小島、「絵島」はイザナギ・イザナミ両神が初めて創った「オノゴロ島」ではないかという説もあるくらいだ。


 夫(と思い込んだ相手)に異様な執着を見せる椿はイザナミ神と洞調律どうちょうりつ(シンクロ率的なやつだろう)が近いらしい。

 それゆえ、「事戸渡し」を効果的に行うためにイザナミ神ゆかりの淡路島が最適なのだそうだ。


 まず良子と俺が車で明石海峡あかしかいきょう大橋を渡り、淡路島へ向かう。

 モアちゃんは後から椿を連れ、船で淡路島へ渡ってくるらしい。

 神戸からそう遠くない島ではあるが、色々なルートがあるものだ。


 どうやって椿を連れてくるのかモアちゃんに尋ねたところ、


「大丈夫っす! いざとなりゃ酔わせてでも無理やり連れてくるっす!」


「それ船酔いするんじゃ……」


「船酔いしたらチャンスじゃないっすか! 弱ってるつばっちを仕留められるんすよ!」


「容赦がなさすぎる……なんか椿に恨みとかあんのか?」


「無いっす。好意100%っすね!」


「そうか……」


 モアちゃんが強引に酒を勧めてくるのは害意だと思っていたが、あれも実は善意なんだろうか……

 なんというか、とにかく手加減を知らない子なのだろう。

 今回に限って言えば頼もしいが、あまり敵には回したくないな。


 そんな会話をぼんやり思い出していると、良子の運転する車はすでに橋を半分以上通過していた。

 本日は快晴。春の陽気が爽やかな海を照らし、この先に待ち受ける不安をかき消してくれるようだった。


「悪いな良子、また車出してもらって」


「気にしないで。この車は私の家族しか保険効かなくて、宗介くんに運転させるわけにいかないから」


「ありがとうな。今度和歌山に来てくれた時はうちの車で案内するよ」


「宗介くんのお母さんにも会ってみたいわね」


「わざわざ会うほどの相手じゃないけどな……」


「私にとっては大事なことなのよ」


 車を運転する良子はしっかり前を向いたままで俺の言葉に応答していた。

 これから椿との直接対決に向かうというのに、なぜだか機嫌が良さそうに見える。

 椿との縁が切れるのが嬉しいのか。あるいは、おばあさんの力を借りるとはいえ霊媒師の役割が果たせるのが嬉しいのか。

 少なからず緊張している俺にとって、その鷹揚さはありがたいものだった。




 橋を渡り終えインターチェンジを降りると、絵島はもうすぐそこだった。

 モアちゃんと椿が来る前に、下見として絵島のそばまで車を走らせる。


 絵島は「島」という名ではあるが、間近に見るとほとんど岸壁のような形状をしていた。

 この島(というか岩)を、イザナギ・イザナミを隔てた「千引石ちびきい」に見立てて儀式を行う、という手筈になっている。

 俺と良子が岩のすぐそばに立ち、椿を岩の裏側に立たせて、「事戸」つまり離縁を言い渡す儀式を執り行うのだ。


 椿が暴れないようモアちゃんに押さえておいてもらう必要があったり、いくつかハードルはあるのだが、不可能ではない。

 何より良子のおばあさんの力を借りるのだ、よほどのことが無ければ失敗はしないだろう。




 あとはモアちゃんたちが到着するのを待つだけ、だったのだが。


「来ないわね……」


「ああ……モアちゃんからも連絡は無いし、何かトラブルでもあったかな」


 モアちゃんらが来るのを待ち続けて6時間。途中昼食なども挟んだものの、絵島から離れず待っていたのだが、未だ二人の姿は見えず。


「今日は中止なのかしら。もう暗くなってきたし、だんだん天気も悪くなってきたものね」


「諦めてどこかで泊まっていくか。明日は日曜だから講義の心配はしなくていいし」


「そうね。近くの宿を探して……」


 良子がスマホの画面を点けるとほぼ同時に、バンバンバン! と車のドアガラスを激しく叩く音が聞こえた。


「うわっ!? なんだ!?」


「開けろー! 開けろー!!」


「地元の酔っぱらいか!?」


「モアちゃんが来てやったぞー!」


 知ってる酔っぱらいだった。




「なんでそんなベロンベロンに酔ってるんだよ……」


「武永さんがー、弱らせて連れてこいって言ったんじゃないすかー、ねーつばっちー」


「うっ、うぅ……」


「椿はまだし、モアちゃんまで酔う必要あるか?」


「アタシに飲むなって言うんすか!? 基本的飲酒権の侵害っすか!?」

 

「憲法に明記されてない権利が出てきたわね……」


 まさか二人とも泥酔状態で来るとは思わず、穏和な良子もさすがにドン引きの表情を見せる。

 こんな覚束ない状態で本当に儀式を行えるのだろうか。


 まあ、モアちゃんなりの考えがあってのことだと思えば安易に責めることもできないのだが。

 ここまでしなければ椿を抑えることはできないとモアちゃんが判断したのかもしれない。

 あるいは、ここに椿を連れてくるだけでも相当の苦労があって、苦渋の決断だったとか。


 それに、怪物を酒に酔わせて退治する逸話は古今東西よく見られるもので、案外理にかなっているのやも。

 またイザナギ神の関連になるが、イザナギ神の鼻から生まれたスサノオノミコトが「八岐大蛇やまたのおろち」を退治した際も、酒に酔わせて戦ったらしいし……


「とりあえずあの岩につばっちを連れてけばいいんすね!? 行くっすよ!」


「うぅ、う……」


 「う」しか発声できない椿を引きずり、モアちゃんは絵島へ続く橋をずんずん進んでいく。

 この島は普段立ち入り禁止なのだが、良子のおばあさんのツテで入れるようにしてもらったのだ。


 ずいぶん風も強くなってきた。しかしモアちゃんは海から跳ねる水しぶきも気にせず、椿を背負いながら岩場へ到達した。

 俺たちも急がねば。二人急いで橋を渡り、椿たちのいる側と岩を挟んで反対側に立った。


「いつでも準備オッケーっすよ!」


 岩の裏側からモアちゃんの叫び声が聞こえる。彼女の低い声が夜の海に反射し、周辺の空気が震えた。

 椿の姿は見えないが、酒に酔った青い顔でへたりこんでいるのだろう。


 空は雲で暗くなってきた。もはや月も見えない。雨が振りだす前に儀式を終わらせたいものだ。


 さて、俺もそろそろ覚悟を決めるか……


「良子、準備はいいな?」


「ええ、任せて」


 良子は獣の爪や角の編み込まれた数珠を取り出し、目をつむりながらボソボソと祭文さいもんを読み始めた。



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