A5―2 恋に上下の隔てなし その2

 椿と縁を切るための代償。それは決して安いものではないだろう。アイツの想いの重さは誰より俺が知っている。


「それで、俺はどんな代償を払えばいいんでしょうか?」


「お兄さんが払うというより、『あなた方が払う』と言うべきでしょうな。縁を切るというのは、お兄さんが考えるよりずっと重いもんです」


「お金がかかるとか、労力がデカいとかですか?」


「いんえ。銭で済むなら安いもんです。取り返しのつかないものを失うことになります。それでも聞きたいですかな?」


「はい。せめて話だけでも聞かせてください」


「あなた方が失うものは……『記憶』です」


「記憶……」


 記憶を失う、とはどういう意味だろう。まさか完全に記憶喪失になるとか? さすがにそれは不便過ぎるような。

 それとも「記憶」ってのは何かの比喩か?


「もちろん、生まれてこの方すべての記憶を失うわけではありません。お兄さんと椿のお嬢さんが知り合うた記憶だけが消えます」


「えっ、そんなことなら……」


 椿と関わった記憶だけが消えるなら万々歳じゃないか、と思いかけたが、何だか引っ掛かる。

 手放しには喜べない、何かがあるような気がして……


「踏みとどまりましたな。よろしい」


 おばあさんは満足そうな声色だ。俺はまったく真理に到達していないが、なんとなくヤバそうな気配だけは感じた。

 これまで様々な怪奇現象に遭遇してきたからだろうか、少しは勘が働くようになったのかもしれない。


「やっぱり、記憶がなくなるのって危ないことなんですよね」


「しかり。縁というものは、絹糸を切るかのように自在には切れません。『切る』というより『剥がす』作業に近いでしょうな。お兄さんとお嬢さんが『剥がれる』ことにより、どこまでの記憶が失われるか」


「良子さんや他の友人との思い出まで消える可能性がある、ってことですよね……」


「ええ、ですから私は今まで勧めずにおりました。それに、あなた方が以前お会いした時よりも縁が深うなっとると厄介です。余計なことはしておりませんね」


「余計なこと、というのは?」


「お嬢さんとの色事……抱擁や接吻を交わすようなことです」


 抱擁や接吻……うん、してるな。ダメじゃん。しかもこれ、良子のおばあさんには言いづらいし。俺がいま良子と付き合ってることもご存知だからな……


「どうしましたかな?」


「い、いえ! 何でもありません! とにかくやるしかないでしょう。多少の犠牲は仕方ないと思っています」


「本当に構いませんな? お嬢さんは少なからず傷つくでしょうが」


「このままずっと椿が落ち込んでたら、アイツ本当に死にかねませんから……最悪の事態は避けたいんです」


「あいわかりました。ではまず『国産みの島』である淡路島に足を運び……」


 そこからはおばあさんに儀式の手順を教わった。

 とにかくイザナギ・イザナミ両神と縁の深い淡路島に行かなければ始まらないようだ。


 淡路島か……一応兵庫県内ではあるらしいが、行ったことないんだよな。

 景色は優れてるし食べ物も美味しいらしいので、せっかくなら旅行で訪れたかったものだが。


 しかし今回は遊びではない。長きにわたる椿との因縁に決着をつけねばならないのだ。


 おばあさんとの電話が終わった後、すぐに良子からまた着信があった。

 どうやら彼女もおばあさんから話を聞いていたようだ。「記憶を失う危険がある」という点をかなり心配していたが、椿を放っておくことの方が避けたいらしく、しぶしぶ参加を決めてくれた。


 良子に協力の意思がなければ危ないところだった。おばあさん曰く、今回の儀式に良子の同行は不可欠だからだ。


 「事戸渡し」の儀式を行う場所に着けば、そこで良子の身体におばあさんの魂を「下ろす」。

 いわゆる「憑依」というやつだ。何度もできる芸当ではないから、儀式の失敗は許されない。


 それにしても、おばあさんの方から実は故人であることを打ち明けられた時には反応に困った。

 なぜかいつも良子のスマホ越しに電話してたりとか、色々不可解な点はあったので今さら驚くこともなかったが……


「黙っててごめんね。私のおばあちゃん、本当は数年前に亡くなってるの」


「うすうす気づいてたけどな」


「そうなの!? なんか隠してた私がバカみたいじゃない……?」


「どうだろ。俺も他の怪奇現象に遭う前だったら信じてなかっただろうしな。良子の落ち度ってわけでもないさ」


「そうかしら……」


 良子の声色は申し訳なさそうにしょげている。それなりに長い付き合いでよく知っているが、良子は嘘どころか隠し事すら苦手なタイプだからな。

 本意ではないとはいえ、俺に隠し事があったことを気にしているのだろう。


「ところで、その『憑依』ってのはうまくできそうなのか?」


「それは大丈夫よ。今までの電話も実は『憑依』を使ってやってたから。私自身にイタコの才能は無いけど、おばあちゃんは特別なのよね……」


「なるほど、おばあさんの力量で強引に良子の身体に憑くわけか」


「ええ。依り代になる私が直系の親族で、性別も同じだから難しくはないの。他人の霊を『下ろす』ってなると色々準備が必要らしいのだけど」


 降霊術というのも勝手が難しいようだ。俺には縁遠い世界だと思っていたが、ここ一年でずいぶんオカルティックな領域に踏み込んでしまったな……

 良子に初めて会った時は、非現実的な世界なんてほとんど信じていなかったものだが。





 飲み屋でモアちゃんに事情を話したところ、彼女は神妙な顔で俺たちの話を聞いていた。


「悪いなモアちゃん、こんな奇天烈な話をしても信じてもらえないかもしれないが……」


「信じるっすよ」


「そうだよな……やっぱり……えっ!?」


「よくわかんないんすけど、そのコトドワタシ?って儀式を手伝えばいいんすよね。お安い御用っす」


「モアちゃん、本当に大丈夫? 私たちが詐欺とか怪しい宗教にハマってる可能性もあるのよ?」


「堅実なお二人を疑う理由がないっす。つばっちや麻季っちが同じ話をしてきたらキナ臭いとは思うっすけど」


 死人を口寄せして奇妙な儀式を行うという荒唐無稽な依頼を、モアちゃんは二つ返事で快諾してくれた。

 引き受けてくれた理由は、彼女の人柄が好いというだけではないだろうが。


「モアちゃん、君は本当に椿のこと親友だと思ってたんだな」


「まあ……そっすね。ほら、つばっちってダメな人間じゃないすか。あの子を見てると、ダメなアタシも許される気分になるっていうか。泥濘の中に沈んでも、隣に誰かいるってのは救われるもんすよ」


「そうか……」


 俺から見れば椿はどうしようもない奴ではあるが、それでも人の役に立っている面もあったんだな。

 きっと麻季ちゃんや伊坂もそれぞれ椿に救われていたのだろう。彼女らの椿に対する慕い具合を見ればなんとなくわかる。


 「記憶を消してしまう」というやり方が本当に最善なのかはわからないが、彼女らのためにも椿を立ち直らせてやらないとな。



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