第26話 天使VS悪魔


 後日。屋外運動場には体操着に着替えた一年SSRの生徒が集まっていた。

 下が薄っすらと透ける白のTシャツに、健康的な脚が伸びる短パン姿の女子三人。シュエリー、メアリア、スノウホワイト。右から順に白、ピンク……チッ。スノウはキャミソールを着てやがる。

 そんな様子を悪びれもせず「眼福」と眺めていたら、カインは頭を叩かれた。薄い板の名簿――もとい成績評価表を手にしたピエールが呆れ顔でため息を吐く。


「こらカイン君、見過ぎだよ」


「だって、先生も男ならわかるでしょう?」


「あのねぇキミ……うーん……なんだろう。天使を甘く見ない方がいいよ?」


「サリーが? なんです、色欲に溺れたら天罰を下されるとでも? 知ってます、そんなものは迷信ですよ。彼女たちにもいっぱしに、情欲はあるようですからね」


「そうじゃなくてさ、あんまり目移りしてると、ほら……」


 問いかける生徒に、ピエールはうまい言葉が浮かばない。

 天使は寂しがりで案外嫉妬深いとか、なるだけ主の視線に自分以外を映したがらないとか。色々あるけど、それはガブリエーレ個人の性格かもしれないし。


「とにかく、教師としてクラスメイトを邪な目で見るキミを見過ごせません。もっとオブラートに包んで。こっそり見てよ。彼女たちが気分を害さないようにさ」


「なるほど? 確かにセクハラで訴えられたら面倒だ。忠告痛み入ります」


 くいっと眉間に指を当てるが、今日の彼はコンタクト。体育の授業がある日は危ないので、あの瓶底みたいな分厚いメガネは封印せざるを得ない。うっかり癖で当てたはいいが、空を切る感触にカインはしかめっ面をする。


「メガネがないと落ち着かない……」


「でも、そっちのがカッコイイよ。カイン君、顔だけはいいもんね。顔だけは」


 隣でしれっと女子を眺めていたフィヨルドも、後ろで腕を組んで笑みを向けた。

 見渡す限りの快晴が美しい空に、ふわりと七色の泡が舞う。歌人魚アリアが気持ちよさそうに歌を響かせると、弾みでできた泡に白澤が飛びついた。


「もう白澤! 猫ちゃんじゃないんだから……!」


『すみません。ついこれだけは、どうにも抗えないのです……』


「あは、かわいー!」


 校庭に響く楽しそうな笑い声。リヒトは口元にらしくもなく笑みを浮かべ、ついつい思ってしまうのだ。こんな日が続けばいいのにな、と。


 だが、その為にはまず学院を再興させなければ。


 先日シャポンに聞いた話では、遂に王都銀行からの低金利貸付対象外にされるかもしれないと国から通告を受けたらしい。

 通常、教育機関は国からの補助に加えて運営資金を低金利で借り入れることができるのだが、エヴァンスという盤石な信頼に足る人物を失った今、何の実績――世に歓迎されるような優秀な学生を送りだせていないことや、教師陣の論文がこれといった評価を受けていないこと、入学希望者数が年々減っていることなどを理由に『不良債権予備軍』の烙印を押されてしまうこともある。そうなれば、ただでさえ赤字な今、最悪は学院を畳まなければいけなくなるわけで……ああ、考えると頭が痛い。


 見上げる空は澄み渡り、生徒の声が朗らかに響き渡る。これはもはや現実逃避の域だった。

 リヒトはふぅ、と深呼吸し、生徒たちに向き直る。


(まずはこいつらだけでも一人前――いや、世に評価される人物として送り出さねばな)


 Nクラスにもその他にも、上を追い抜かんとするやる気に燃える生徒は多い。しかし、彼らのやる気が新学期に比べて徐々に鎮火していっているのは、この一年SSRクラスが案外大したことないとナメられ始めているからだ。

 特にカイン――隙あらば授業をサボっているところを学食で見かけられているらしく、陰気な言動と相まって悪影響を与えている。ここらでお灸を据えておきたい……

 そう思い、リヒトはカインを指名した。


「よし。先日述べていた通り今日は生徒同士による模擬戦を行う。まずはカイン、お前からだ」


「えぇ~? なんでボク? インドア派を外に引き摺りだしておいてその言い草はナイっすわ」


「うるさい、どの道全員やるんだ。文句を言わずに西側に立て」


 校庭の端を指差すと、カインは渋々歩き出す。傍らで羽ばたく天使のサリエルが「お任せください」と口元に笑みを浮かべた。

 おそらくカインは自分では戦う気なんてないんだろう。元々籠りの根暗だし、運動神経も良い方ではない。

 だが、魔法をおさめる者である以上、他の魔法使いの恨みを買って戦う場面になることはある。特に召喚獣が強力な者は、元を断たんと術者を直接狙われがちだ。護身レベルに自分でも動けるようになって欲しい。


「で。相手は……」


 最近やる気に満ちているシュエリーでも……と思い振り返ると、メアリアがまっすぐに手を上げていた。その様子に、他の三人も驚き呆然としている。メアリアはそれらの眼差しに臆することなく、リヒトとピエールを見据えた。


「私に、やらせてください」


「あ、ああ……構わないが……」


 普段のらりくらりとしているメアリアが珍しい。だが、生徒にやる気がある以上はそれを尊重するのが教師というものだ。リヒトは頷いて東側に彼女を促す。そうして両者は向かい合った。

 一陣の風に吹かれ、メアリアが紅い髪を揺らす。


「なによその目。私が相手じゃ不満でも?」


「いや、てっきりシュエリーが来るものだと……メアリアがやる気だなんて珍しいじゃん。何? 天使の相手は悪魔だろうって? おたくもセオリーは踏みたくなるタイプ? それとも相性重視かな?」


「闇は光、光は闇に弱いって? そんなのお互い様でしょ。でもそうね……言うなら、あんたが一番弱そうだったから?」


 ふふ、と笑う彼女はいつもと異なりどこか好戦的なように見える。思いがけない喧嘩腰に、カインは思考を巡らした。


(ボク、嫌われるようなことしたっけ……?)


 いくら模擬戦の結果に応じて前期の成績が加点されるにしても、ここまで言われる筋合いは無い。正面切っての「弱い宣言」に、さすがのカインもムッとする。


「言ってくれるじゃんか。先生の天使を前に逃げ出したあんたの淫魔が、ボクの天使様に敵うとでも?」


「戦うのはリィスだけじゃない。今回の模擬戦はペア戦よ。私が言いたいのは、カイン、ってこと」


「へぇ……?」


「引き籠りで根暗のあんたに、攻撃魔法で一番成績の良い私が負ける要素はない。それに、うちのリィスをナメないで。あんたの天使様だって、調子こいてるとその羽根毟り取るわよ? そもそも私はあんたのやる気ゼロな態度が気に食わないの。顔はいいくせに裏切られた気分」


「は? 顔とやる気は関係ないでしょ。言いがかりも大概にしてくれます? ったく、どいつもこいつも顔ばっか見て人を判断しやがって。一方的に期待して、一方的に裏切られて。それで挙句八つ当たり? 振り回されるこっちの身にもなれってんだ。ちょっと情緒不安定なんじゃない?」


 ただならぬ雰囲気にリヒトが場を制そうと口を開きかけると、カインがちらりとこちらを見やる。


「……先生。始めちゃっていいですか?」


 向かいを見ると、メアリアも待ちきれないように指を鳴らしていた。リヒトはピエールと顔を見合わせ、こくりと首を縦に振る。


「あーわかった、始めよう。模擬戦のルールは簡単。召喚獣と術者のペア二組、四名のうちの誰かが『参った』と言ったら終了だ。無論、殺し合いは禁止。相手の命を危険に晒すような真似をしたら即刻止めに入るので、肝に銘じておくように。では――」


 ――『 は じ め ! 』


 合図と共にメアリアは一気に駆け出した。小言で呪文を唱え、手に漆黒の槍を顕現させると一気にカインの懐に潜り込む。


「肩くらいなら、撃ち抜いてもいいでしょお!?」


 だが、カインはその場から微動だにしなかった。ガツン! と金属の弾ける音がして、メアリアが後方に跳躍する。


「【血染め槍ブラッドステイク】か。一点突破、闇属性の高威力攻撃魔法……でも、人間の出した槍が天使の守護を貫けるわけないだろう?」


 ふふん、と不敵に構えたカイン。見上げると、上空には悪魔に向かって大鎌を振り下ろす天使の姿が。


「――終わりです」


 薄藤の髪を靡かせ、蒼銀の刃が悪魔を仕留めんと首筋に狙いを定める。


 ――【誘惑テンプテーション


 すると一瞬、天使の視界がぐらついた。


(この悪魔、目で催眠を……!)


 よろめいたサリエルは翼を羽ばたかせて体勢を立て直す。一方でリィスは飛翔して高度をあげるとすんでのところで刃を躱していく。

 ひらり、ひらりと。天使の持つ鎌の柄でポールダンスをするように翻弄。それでいてメアリアの元には行かせない。攻撃をいなして鮮やかに舞う様は、二対の蝶が羽ばたき睦み合うようだった。


「こっちは任せなー! やれやれ、やっちゃえ! やっちまえー! おおっと、行くなよ天使ちゃん? ――【悪魔のそよ風デモンズ・ブレス】」


 風で飛翔を妨げながら、リィスは楽しげに声援を送る。口元に笑みを浮かべたメアリアは詠唱を進めて槍を高く掲げた。みるみるうちに長く大きく伸びた槍を構え、身体強化の魔法を腕に施す。


 ――【身体強化バフ


 投擲のポーズを取ったメアリアが大きく振りかぶり槍を穿つと、光の障壁にヒビが入って矛先が食い込む。メアリアはすかさず追い打ちをかけ、槍を手にソレをこじ開けようとした。


「……ッ! この檻、妙に固いわね……!」


「檻じゃないです~揺り籠です~。この壁に穴を開けるなんて。おたく、見かけに反して馬鹿力パワータイプ?」


「うるさいわよ。人を見かけで判断するのは良くないんでしょ? この引き籠り」


「籠りで結構。ボクはここで手を出さずに待機する。元から攻撃魔法は得意じゃないんでね。サリーはいずれ、淫魔を下してここに来るよ」


「随分な信頼関係ね」


「だって天使様は人の願いを叶えるものですから。ボクが彼女に祈り肯定し続ける限り、天使の力は増していく。ボクは繭から出たくない。サリーはボクを出したくない。こんなウィンウィンな関係ってないだろ?」


「だったら、ウチらもそうだから……!」


 見上げた空に舞う悪魔。彼女の望みをメアリアは知らない。

 でもリィスは、リィスだけは……


(私を、友達って呼んでくれた……!)


「召喚獣に頼ってばっかのあんたに、私の気持ちがわかってたまるか。あの子の為に頑張りたいって、あの子となら、今度こそうまくやれるって……!」


 メアリアの腕に力が入る。

 自分でもまさか、ここまで力技でいくなんて思ってなかった。

 カインが天使と契約して治癒魔法の威力をあげたように、メアリアだってリィスと契約をして悪魔の加護を得た。以前よりも炎の魔法が上手く使えるようになったのだ。それらを駆使して翻弄して……本来ならそれが賢いやり方。でも、どの道壁に阻まれるなら、今はこれが一番いい……!

 このいけ好かない檻を、直接こじ開けてやる!


「見てると腹が立つのよ! 顔がいいのにかまけて、やる気も出さずに女に縋って。愛されてるのが当たり前で、自分からは何も返そうとしない! なのに、それなのに……! 変わらず自分は愛されて……理不尽なのよ! もっとあんたも他人を愛せ! 馬鹿野郎!」


「――は??」


 意味がわからない。


 キレてんのか? 誰に? 何に? いやボクに?

 心当たりなんてあるわけない。


 なんなんだ……元々今日のメアリアはどこかおかしかったけど、この罵声は尋常じゃない。これがメンヘラってやつか?


「ちょ……おたく、何言って……」


「うるさい、うるさい!」


 ガツン、と槍がわななきヒビが大きくなるたび、メアリアの声も大きくなる。薄っすらと膜の張った向こう側に髪を振り乱す女の子が見えた。紅い髪に混じってきらきら、花火のように散っていくのは……涙か?


「メアリア……あんた、どうして泣いて……」


「……っ、くそっ! 顔だけのあんたに、私の気持ちがわかってたまるか――!!」


 カインが瞬いた瞬間。主を守る鉄壁の光が、弾けて……


 ――割れた。

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