第25話 サキュバスと女マスター


 西回廊の女子寮。夕暮れに染まるとある一室には少女がふたり、カーテンに映る影を重ねっていた。乱れる呼吸は次第に甘く、堪えるように引き寄せた枕に吸い込まれていく。ベッドに横たわる少女の紅い髪は夕陽を反射し、動く度にきらきらと花火が爆ぜるようだ。


 サキュバスは主人から魔力を得るのに性的な接触を必要とするのである程度は覚悟していた。しかし、思ったよりもハードな触れ合い。メアリアは乱れた呼吸を取り戻して大きなため息を吐く。


 腹の上で「きゃはは!」と転がる無邪気な悪魔。

 黒く滑らかな髪と真っ白な肌は妖しく艶めいて、形の良い胸は十代に見える外見相応に大きすぎず小さすぎず。蠱惑的な笑みと纏う香りに男は誰もが振り向くだろう。 

 だがしかし。そんな美少女悪魔がどうして女の自分と契約を……?


「リィスさぁ……結局あんたの願いごと、教えてくれないの?」


「うふふっ! 今はヒミツ~♡ だってその方が面白いでしょ? メアリアが魔法で勝てるようになったら教えてアゲルよ。でも別にそこまで気にしなくても、『契約違反』にしたりしないから気にしないで?」


「でも、そういうわけにもいかんでしょ。うっかり魂を食われることになったらどーすんの? あたし、楽して生きられりゃわりかしそれでいい派だけどさ。そんな死に様だけはごめんなんだけど」


「あ~、リヒトっちの最初の授業のせい? 怯えてるんだ? 一丁前に」


 リィスはさも楽しそうにくふふ、と口元を抑える。その様子はいかにも悪魔らしいのだが……


 あ~、気に食わない。ナメくさりやがって。


 でも、メアリアにとって人生なんて面白くないことばかりだった。


 離婚と再婚を繰り返す母親も。顔だけ良くて金もやる気も無かった実の父親も。そのあとの金はあるけど欲ばかりで愛の無い親父たちも。そのたびにないがしろにされる自分も。でも一番面白くないのは、そんな母親なのに嫌いになれなくて結局ついていってしまう、どうしようもなくバカな自分……


 母は、機嫌のいいときはメアリアのことをこの世の宝物かのように抱き締めてくれることがあった。それに、何故だか知らないがメアリアの誕生日だけは必ずふたりで祝うのだ。血の繋がった家族水入らず。とびきり好きな料理に囲まれて、その日だけは何があっても母はすこぶる上機嫌で。

 だからなんだろう。あんな母親の喜ぶ顔が見たくって魔法の腕が上達したのも。


 しかし、学院に来てメアリアは世の厳しさを思い知った。

 上には上がいる事実。

 初日の授業、リヒトの召喚したケルベロスにメアリアはただ恐怖し立ちすくむことしかできなかった。自分を負かしたリィスでさえも、ピエールの大天使を前に怯え逃げ惑う始末。

 SSRがなんなんだ。あんなクラス分けひとつでどこか調子に乗っていた自分があまりに馬鹿馬鹿しい。学校を出ればこんなランクなんの意味も為さないし、そもそもリィスのランクであってメアリアを評価するものなんて何ひとつ無い。


 こないだ廊下で出くわした和服のイケメンなんて、あれだけの闘気と身のこなしなのにNクラスに入っていった。もし彼と正面切って戦ったら、自分は勝てるかわからない。

 それなのに……


「くそっ……」


「あらら。ご機嫌ナナメ? ごめんねって。次は気持ちよくするからさぁ?」


「別に。リィスに言ったんじゃないよ。ただの独り言……」


 上から覗き込む悪魔を押しのけて上体を起こす。どこか楽しそうにベッドの上で尻尾を揺らすリィスに向かって、メアリアは愚痴をこぼした。


「……憂さ晴らしがしたい」


「ふふっ。どんな?」


 悪魔は楽しげに笑う。そうして同時に思うのだ。


 ああ、これだから。この子の召喚に応じてよかった。


 彼女の中に燻る想い。その熱、憎悪、嫌悪、焦がれて焼き尽くされそうな希望と、愛への渇望……その全てが、悪魔に力を与えてくれる。


 それに、こんな風に悪びれもせず「憂さ晴らしがしたい」だなんて。いいじゃない、いいじゃない、楽しくて。友達としてもうまくやっていけそうだ。

 リィスはぼーっとカーテン越しに夕陽を眺めるメアリアの頬を撫で、その耳元で囁いた。


「誰にイタズラしに行きたい?」


「……気に食わないやつ」


「それって、だぁれ?」


 メアリアは暫し思考を巡らせる。

 今まで、家庭の事情で街を転々と越してきた。友人と呼べるようなものがいない一方で、記憶に残るような嫌な奴だっていない。いるとしたら現在の父親だけど、離れた寮で生活している今わざわざ会いに行くのもなぁ……

 記憶を辿ってふと浮かんだのは、いけ好かない、顔だけ整ったあいつだった。


「……カイン?」


 思いがけず身近な人物クラスメイトの名が出たことに、リィスは目を丸くする。そうして、すぐに悪そうな笑みを浮かべた。


「あ。だったらさぁ、次の授業で――」


 こしょこしょと耳打ちされたメアリアはふむりと頷き聞き返す。


「……え。でも、リィスは天使が苦手なんじゃないの?」


「そりゃあ、ピエールちゃんのやつは特別。あんなバケモノ級なんて悪魔なら誰だって尻尾巻いて逃げたがるよ。闇は光に弱いもの。でも、それはあっちも一緒なの」


「光も闇に弱いって?」


「そうそう! 私だってこう見えて最上位の淫魔・リリス様のお気に入りなんだから、悪魔の中ではできる方なんだよ? 彼の――あー、サリエルとかいったっけ? あれくらいの天使なら、そこそこ互角に渡り合えると思うワケ。てゆーか一度でいいからあの天使様の可愛いお顔をぶちのめしたいなって~! ほら、可愛い子ほどイジメたくなるってやつかな?

 それになんかね、生理的にキライなのよ。天使って。どいつもこいつも腹の中ではウチらと変わんないこと考えてるくせに、いい子なふりして、人に好かれて……窮屈そうで見てられない。見てるとむずがゆくなるっていうか、もっと自由に欲望を表に出せないのかな? だからいい機会!」


 にこ! と笑う悪魔は心底楽しげで。メアリアは、正直こういう風に生きられたらいいのにな、と思ってしまう。


(いい子ちゃんを、ぶちのめす……)


 もしそれができたなら。本当は嫌なのに、母親を取られたくないのに、新しい父親の前でつい好かれようと振る舞ってしまう自分を変えることができるだろうか?

 母親に内緒で職場の女に手を出している親父に、正面向かって「あんたなんか家族じゃない」って言えるようになるだろうか。


 曰く、リィスの作戦は。次の実技――戦闘訓練の模擬戦で、カインを指名し正面からボコボコにしてやろうというものだった。

 悪魔のくせに正々堂々だなんて笑っちゃう、と思いもしたけど、こういうのは他のクラスメイトの前で小細工なしにぶちのめす方が気持ちがいいんだって。


「天使ちゃんとは話したことないし、正直勝てるかは五分五分。だけど、メアリアが憂さ晴らししたいって言うなら頑張っちゃうのが友達でしょう? 見てて、スカッとぶちのめしてやるから!」


 悪魔――それは自由と快楽を追求する存在。

 ときに人を貶め陥れ、欺いたりもするけれど。

 友達にするならサイコーに楽しい毎日をくれるかもしれない存在だ。

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