第24話 天使と悪魔は紙一重


 異常なまでの力を持つ天使を従えた少年が、街を転々としている――

 そんな噂を聞きつけたエヴァンスに学校へ通うよう促されるまで、ピエールはガブリエーレとふたりぼっちの暮らしをしていた。

 そうして、召喚獣とその契約――願いがなんたるかを聞かされたのだ。


『キミの天使様は、一見するとキミの願いをすべて叶えてくれるように思うだろうが、実はそうじゃないんだ。天使様はあくまで彼女自身のために、キミの願いを叶えているんだよ』


 ガブリエーレが何故、ピエールをここまで可愛がるのか理由はわからない。しかし、彼女は何かにつけてピエールを我が子のように愛したがったし、人間の家族同然に暮らすことを望んだ。

 エヴァンスに拾われ学院に通い始めてからもそれは変わらず、問い詰めても帰ってくるのは曖昧な返事ばかり。単に母性を有り余らせているんだ、と無理に自分を納得させて過ごしてきたが、十四歳の春。初めての守護の授業で、ピエールはそうでないことに気が付いた。


 守護のまじないは、魔法の初歩の初歩として習うものだった。習いたての魔法で、まずは自分の召喚獣を守ってあげましょう――そんな優しい授業だったのに。ガブリエーレはその魔法を拒否したのだ。


『私の望みはあなたを守ること。あなたに守られることは望んでいないのよ』


 強大な力を持つ彼女のことだ、「そんなものは必要ない」と言いたかったのかもしれない。だが、それにしては頑ななまでに守護をかけられることを拒んだ。あれから十年近く経った今でも、ピエールは未だに、彼女に守護をかけたことがない――


 あたたかく柔らかな膝の上で、ピエールは自分を愛おしそうに撫でる天使を見上げる。


「ガブリエーレ。どうしてあの時、敵の攻撃にまっすぐ向かっていったんだ?」


「だって。生徒が傷つけばあなたが傷つく。あなたの悲しそうな顔なんて、見たくないもの」


 さも当たり前のように答える天使に、ピエールは詰問した。


「そういうことを聞いているんじゃない。一瞬だけど、敵の攻撃は僕にも見えた。遠距離からの魔法攻撃だ。だから、身を挺して僕らを庇おうとするキミに少しでも力になるように守護のまじないをかけようとしただろう? なのに、拒んだな? 気が付かないふりをして、守護を避けてそのまま体当たりした」


「怪我をしたら、あなたが心配してくれるかなって。ほら、最近は生徒とリヒトのことばかり。たまには構って欲しかったのよ」


 微笑むガブリエーレは甘い声でそう囁くが、ピエールにはわかっていた。これでも長い付き合いだ。彼女が守護を拒む理由は他でもない、『ピエールから何かを与えられること』を拒んでいるのだ。

 そうやって、ピエールには何もさせずに『何もできない子を育てる』。それが彼女にどんな愉悦を与えるのかは知らないが、天使というのは得てしてそういう歪んだ愛情を人に求めることが多いらしい。


 学院に来て、他の天使や悪魔を見て観察、勉強し、天使について書かれた論文も沢山読んだ。ある学者はこう述べる――


『天使とは、ときに悪魔と紙一重の存在である』


 それまで不可解だと思っていたガブリエーレの行動が、何故かすとんと腑に落ちた。悲しいような、寂しいような、悔しいような……


 だが、彼女と共に過ごした時間はかけがえのない温かな時間であったこともまた事実。ピエールは自らが天使に頼らずとも生きていけるよう、教師として自立する道を選んだ。

 だからだろうか、カインのところへ足繁く通い、ついつい世話を焼きたくなってしまうのは。


 『あなたを守ることが私の喜び』――曇りない眼でそう告げるガブリエーレに、ピエールは仰向けに向き合う。


「ガブリエーレ。構って欲しいなら素直にそう言ってよ。僕はもう子どもじゃないんだ、キミの期待に応えることができるはず。だからこれからはもう少し頼ってくれ。大天使のキミを前にして人並みの魔法使いの僕が何を言うかと思うかもしれないが、僕はキミと対等になりたい。本当の意味で、家族のような存在になりたいんだ」


 それが、長い歳月と葛藤を経てピエールの出した結論だった。

 ガブリエーレは暫し瞬き、ふぅ、と小さなため息を吐く。


「それは、エヴァンスにそう教わったの?」


「そうだよ。エヴァンス先生は僕に言ったんだ。『本当の家族になりたいのなら、まずは彼女と対等になれるよう頑張ってみましょうか』って。『どれだけ上級な魔法を修めても、とても難しいことかもしれないけどね』ってね。僕はそれを諦めたくない」


 我ながら良いことを言ったはずなのに。ガブリエーレは大層面白くなさそうにピエールの顔を翼で隠すように覆った。そして、小声で――


「あの老骨。死んでまでピエールの心に入り込んでいるっていうの? いったいどれだけ私の邪魔をすれば気が済む――」


「丸聞こえだぞガブリエーレ! エヴァンス先生をそんな風に愚弄するな! あの方は、得体の知れない宗教団体に祭り上げられようとしていた僕を救ってくださった恩人だ! 学校に通わせて、新しい居場所をくれた。キミとの付き合い方だって教えてくれたんだ!」


「それが余計なお世話なのよ……」


「なに?」


 怒りに身を起こすと、ガブリエーレは表情が見えないようにしてピエールの腰に手を回し、背に顔をうずめる。


「ねぇピエール。あなた、学生の頃に一度だけ『召喚の扉』を見たことがあるでしょう?」


「え……? あの、鍵穴がふたつある開かずの扉かい?」


 学院の七不思議、『開かずの一枚扉』。それは意思を持つ一枚板の扉とされ、部屋に固定されているわけでなく、絶えず学院内を彷徨う亡霊のような扉らしい。

 通常、陣を描いて行う召喚術を術式なし――扉の開閉のみで行使し、『鍵』さえ持っていれば魔法使いだろうがそうでなかろうが誰にでも開けられる不思議な扉。だが、その繋がる先――扉の行先を知る者は誰ひとりとしていないんだとか。


 学校帰りのかれ時にアレを見た日、ガブリエーレにそう教わった。


「あの扉は、一度見た者を忘れない。魅力的な獲物をその世界に引き摺り込もうと常に目を光らせているの。けれど、裏を返せばそれはこちらにも言えること。ピエール、もしかするとあなた、あの扉の場所がわかったりしないかしら?」


 そうは言われても、急に突拍子もない話だ。あれは偶然見かけただけで、鍵を持たない自分には縁もゆかりもないもの。ガブリエーレにそういうものがあると教わりはしたものの、あの扉のことはその日の夜には忘れてしまった。


「そう言われてもなぁ……」


 一応目を閉じてあの日の扉を思い浮かべるも、ただの赤い木の板にしか見えなかった。もちろん、気配も感じない。


「わかるわけないよ」


 そう答えると、天使はほう、と息を吐く。

 それはどこか、安堵しているように見えた。


「ならいいの。でも、気配を感じたらすぐに教えてね」


「どうして?」


 尋ねると、天使はぎゅうっと、抱き着く腕に力を込める。そうして――


「あなたを、連れて行かれたくないからよ……」


「??」


 よくわからないが、彼女のこんな心細い声を聞いたのは初めてだ。

 ピエールは背にうずめられた頭を柔らかく撫でる。


「大丈夫だよ。僕はどこにも行かない。だって、僕の幸福な最期を見届けるまで守るのがキミの願いなんだろう? だったら、ずっと傍にいなくちゃね」


 安心させるようにいたずらっぽく笑みをこぼすピエールは、天使の記憶の中の彼よりも幾分大人びて見えた。そのことが少し寂しく、誇らしい。

 ガブリエーレが落ち着いたのを確認し、ピエールは「あ。」と思いついたように口を開く。


「でも、できればもう少し過保護なのをやめてもらえると助かるな。いくらキミがいればなんでもして貰えるとは言っても、学生の頃から言っているように、僕は彼女も欲しければお嫁さんだって欲しいんだ。あんまり傍を浮遊されちゃあ寄って来てくれる子も来なくなっちゃうかもしれないだろ?」


 すると、天使は『彼女!?』と呟いた口をあんぐり開け、すぐ不満げに尖らせる。


「……認めた覚えはありません。第一、そんな子いないわよ」


「え。そんな真っ向否定しなくても……いるかもしれないじゃん……?」


「いないわ。絶対いない。だってピエールはヘタレで要領の悪い男だもの」


「ひどっ。いやでも、世界は広いんだ。僕の魅力に気づいてくれる優しい子がひとりくらいいるかもしれない……」


「 い な い ってば!」


 頑なな態度に、さすがのピエールもムッとする。


「ムキになるなよ。わかったようなこと言って……まったく、キミは僕の母さん気どりか?」


 珍しい彼の喧嘩腰。だが、天使も負けじと頬を膨らませる。


「ピエールこそ十年以上一緒にいるのに。私のこと、全然わかっていないのね?」


「なにが」


「母親じゃない……恋人気どりよ」


「……は?」


 いや待て。それは初耳だ。


「そんな女がいるのなら、私を倒してからにして貰おうかしら!」


 そう宣言した天使に、ピエールは再び頭を抱えたのだった。

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