第23話 ママ天使


 翌日、リヒトはいつもより早く職員室に顔を出した。いくら倒れた原因が魔力切れとはいえ昨日の今日だ、ピエールには休んで貰った方がいいだろう。となると、普段は彼に任せている授業の準備を自分がする必要があるわけで……


「はぁ。教師というのはどうにも勤勉な者にしか務まらない職だったようだな。実に向いていない……」


 おかげで今日はのんびり食堂でモーニングとコーヒーを嗜む時間が取れなかった。朝っぱらから女神に「行ってきますのチューはぁ~? ないのぉ? ヤダヤダ~!」と幼児のようなダダをこねられたのも重なり、ため息交じりに扉を開けると、そこにはひとりの教師の姿が。リヒトは豆鉄砲でも喰らったかのような顔を向ける。


「ぴ、えーる……?」


「あ。リヒト先生、おはようございます」


 「昨日は早退してしまって、ご迷惑をおかけしました」だなんて、薄茶の癖毛を申し訳なさそうに掻く。眉尻と頭をさげるその様子にこちらの方こそ頭を下げるべきなんじゃなかろうか。まさに脱帽モノだ。


「何故ここに……? 今日は休むべきだと告げただろう」


「ですが、生徒の身に危険が迫っているかもしれないんです。僕だけ寝ているなんてできませんよ。今日はそのことで対策会議がありますし、昨日早退したあと何があったのか日誌も見ておきたい。念のため診てもらった生徒たちの様子をマリィ先生にも直接伺いたいです」


「待て! 魔力の急激な枯渇は心身に相当な疲労を齎すはずだ……! あれほどの召喚獣に急速回復をさせるなんて、一日で回復しきるわけがないだろう!」


 だが、ピエールはそんなのどこ吹く風、とばかりに何食わぬ顔で日誌に目を通す。


「あ。リヒト先生が真面目に書いてくれてる。ふふ、なんか嬉しいな。リヒト先生も先生業が板についてきましたね?」


 穏やかに微笑む目に下にはまだ薄っすらとくまが残っている。顔色もそこまでよくないようだし、やはり今日は休むべきだ。そう告げると、ピエールは首を横に振る。


「リヒト先生。僕、こうして教師の仕事をするのが好きなんです。機械の発達したこの時代に真面目に仕事をするなんて馬鹿馬鹿しいって言う人もいます。教師は書類の処理や雑務も多くて、非効率的なことも多い。人を相手にする仕事ですから、理不尽で大変なこともある。でも、それでも。ひとつひとつ進めていくたびに自分の足で立っている心地がして、なんだかそれが嬉しくて……何も持っていない僕にもできることがあるんだなって。誰かに必要とされているんだなって……」


 そう語る横顔は誇らしげなはずなのに、どこか寂しげで。

 幼い頃に両親を亡くし、学院の食堂が母の味のようなものだとそう言っていたが、他にも理由がありそうだ。そのせいだろうか、ピエールはたまに教師という職業に対して執着しすぎることがあるように思う。


 こういうとき、無理にでも休ませるのが彼の為でもあるんだろうか。リヒトはしばし思考し結論を出した。きっとエヴァンスなら、そうしたと思うから。

 ピエールの手にする日誌を取り上げ、そのままぽすんと頭を叩く。


「今日は休め。そんなヘロヘロな状態でまた倒れられたら、それこそ迷惑だ」


「でも……」


「いいから。生徒のことなら俺が見ておく。今日は終日一年SSRの授業だからな。シュエリーのことも任せておけ。彼女だけ護衛をしたら落ち込んでいたようだが、生徒会選挙に参加するよう勧めたら元気がでたようだ。白澤もやる気に満ちていたし、守護のまじないも強めにかけておいた。次もし狙われても一撃めは必ず無効化できる。それは保証する。

 ほら、部屋で天使が待っているんだろう? 帰って共に過ごしてやれ。彼女たちは面倒見のいいふりをする割に存外寂しがりで、拗ねるとあとが面倒くさいからな」


 半ば強引に背を押して職員室から追い出すと、ピエールは渋々寮へと戻っていった。その背はどこか元気がないが、仕事ができなくて悲しむなんて、彼ほど教師の鏡と言える人物もいないだろう。その志に感心しながらリヒトは独り言ちる。


(あんな真面目で優しいお人好しが暗殺犯なわけないか。よかった、これで少しは俺の心も落ち着けそうだ。夏休み、シルスマリアの元を訪れるまでまだ時間はある。今は教師の仕事に注力するべきかもしれないな……)


      ◇


 ピエールが自室に戻ると、部屋の中心に敷かれた安息の魔法陣を飛び出して、天使がむぎゅうと抱き着いてくる。薄桃の髪をふわりと揺らす無垢な笑顔。何年経っても、たとえピエールがとうにその背を追い越したとて、彼女の態度は変わることがない。ピエールは仕方なしに両腕を広げた。


「おかえりなさい! ああ、可愛いピエール! 私のことを心配して早く帰って来てくれたのですか? なんて優しい子なのかしら!」


 薄手のパジャマを一枚羽織っただけでは零れてしまう豊満な胸に主の顔を押し付けて、ガブリエーレは頬ずりをした。純白の六翼を部屋いっぱいにばさばさと、ああ、また掃除機をかけないと……

 夏のボーナスで自動掃除機ルンバを買おうかな、なんてことを考えながらピエールは彼女を押しのける。


「ちょっと、やめてよ恥ずかしい。もう子どもじゃないんだからさ……」


「あら、反抗期?」


「いつの話をしてるの? そもそもキミは僕のお母さんじゃないし、そんなものあったとしても十年前だよ」


「十年前のあなたは、もっと素直に私を受け入れてくれましたよ? ぎゅうってしたら、ぎゅうってし返してくれたのに。寂しいわ」


「ああわかった、わかったから。そんな顔しなくてもいいじゃない……」


 もはや色々と諦め、望まれるまま胸に顔をうずめる。柔らかくて甘い、天上の花のようないい匂い。夢見心地とはまさにこのことだろうが、十余年も経つとさすがにそれも慣れてくる。

 天使にとっての魔力補給は翼と肌への皮膚接触。普通であれば身長差的にも絵面的にもピエールが抱き締めてあげるのが妥当だろうが、ガブリエーレは頑なに自分が抱き締めたがるのだ。しかし……


「ねぇ、いい加減僕に抱き締めさせるつもりはないの?」


 尋ねると、天使はいたずらっぽくはにかむ。


「天使は人に施すもの。与えるのも癒すのも、すべて私の役目です。だからあなたからしてもらうのは、その役割から外れてしまうわ」


「でも、魔力は僕が与えてるだろ? 矛盾してる」


「ふふふ。そんな気がする、というだけ。要は落ち着かないの。気持ちの問題なのよ」


「随分身勝手な天使様だな……」


 呆れ半分、剥き出しの太腿にごろりと仰向けになる。こうして膝枕で寝ているだけで髪や肌から魔力を与えられるのだからこれくらいお安い御用だ。

 甘えるようなその仕草に、ガブリエーレは大層満足そうに微笑んだ。ぼんやりと彼女の顔を見つめるピエールの髪を、頬を。そっと優しく撫でていく。慈愛に満ちたその顔、手つき。あたたかい掌のぬくもりすべてが、愛おしむ反面、ときおりピエールをどうしようもなく不安にさせた。


「ガブリエーレ。キミの願いは、まだ叶わないの?」


 その問いに、天使はそっと微笑みを返す。


「私の願いはあなたを守り、養い育てること。だから、あなたが幸福と共に命を終えるその瞬間に、私の願いは叶うのよ」


 ふわりとしたその笑みには一点の曇りもない。

 彼女は、心の底からそう思い願っているのだ。



 ピエールは幼い頃に両親を亡くし、孤児院で育った。シスターは優しかったが、孤児院には沢山の子供がいたし、内気なピエールは率先して仲間の輪に入ったりシスターに話しかけることができずに、多くの時間をひとりで過ごしていた。


 ひとりぼっちの、寂しいピエール。


 そんな彼はある日、街で旅の魔法使いが大道芸をしているのを見かける。

 魔法使いの描く召喚陣からは不思議な色をした兎や小鳥がたくさん飛び出し、魔法使いは彼らの望むにんじんやパンくずを与え、僅かな間に契約を叶えて陣へと送り返していった。

 色鮮やかで華やかなショー。兎も小鳥も、見る者すべてが幸福に満ちた楽しい時間だった。そんな魔法使いに憧れ、ピエールは孤児院である教会に戻ると、見よう見まねで召喚陣を描いた。

 そうして出会ったのが、大天使ガブリエーレだったのだ。


『ああ、可愛い愛しい私の子。どうか私に、あなたを守らせて――』


 その日から、天使は彼の唯一の家族となった。

 ときに母のように、友のように。ガブリエーレはピエールを温かく見守った。彼の築いた孤児院でのわずかな人間関係を壊さぬよう、しかしその寂しさを埋めるように。


 思い返せば、なんて都合の良い召喚獣なのだろう。

 ガブリエーレは、ピエールの望むどんなこともできる限り叶えてくれた。与えることが彼女の喜び――しかし、大きくなるにつれて、考えれば考えるほどその願いはおかしいことに気が付いていく。


 街が干ばつに見舞われた年。彼女の言う通りに、姿を隠させてあたかもピエールが雨を降らせたかのように振る舞うと、孤児院には彼を教祖として崇めようとするおかしな集団が詰め寄った。

 町はずれの教会にときおり天使が現れる――その天使が、齢五つに満たない少年に首を垂れていると。新興宗教を掲げる一団はピエール、もとい天使の力を利用しようとしたのだ。


 姿は隠すと言ったのに――ガブリエーレは、そんな噂を流す為に意図的にわざと姿が見えるように振る舞っていた。


 怪しい集団に詰め寄られ、原因となるピエールは他の子供の安全のため、孤児院を追い出された。シスターの温情で街の離れに小さな小屋を家として与えられ、教会に来ればご飯も分けてもらえたが、ピエールは再びひとりぼっちになってしまった。

 そんな出来事が数回続き、そのたびに、天使は変わらず微笑んだ。


『ああ、可愛い愛しい私のピエール。私だけは、いつでもあなたの傍にいるわ……』


 天使の願い――それが、自分に依存させ溺れさせ、彼女無くしては生きられないようにすることだと気が付いたのは、ピエールが十四歳のときだった。

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