第20話 続・白百合の少女


 ――もしも、時間を巻き戻せたら。


 キミは、そう考えたことはあるかい?


 その問いに、ある者は笑う。

 そんなことできるわけがない、と。

 ある者は泣く。

 できるならあの瞬間をやり直したい、と。

 そして、ある者は怒った。

 お前は、私の歩んだ今までを愚弄するのか、と。


「ねぇ、トイちゃん?」


 食堂でザッハトルテを頬張りながら、銀髪の少年は問いかけた。


「なーに?」


 向かいに座る主は、彼の口元についたチョコを指で拭いながら返事する。


「もしもさぁ、あの頃に戻れるかもしれないって言ったら、キミはどうする?」


 問いかけに、主は笑う。


「『あの頃』って?」


 頬杖をついて、意味が分からないといったようにはにかむ。ただ、隠し事をするときに決まって左に視線を逸らすのは昔からの悪い癖だ。


「わかっているくせに」


 何十年の付き合いだと思っているんだ。だが、こちらも同様にわかっている。

 キミがあの頃の思い出と、無念と、悲しみを。忘れたわけではないことを。

 そうして、それらのすべてを菓子の甘さで誤魔化して、日々を飲み込んでいるということも。


「もしもの話さ。戻れるなら、戻りたい?」


 ベルフェゴールは椅子から浮いた脚を宙でぷらぷらさせ、無邪気な子供のように首を傾げる。


 トイスは緩く巻いたベージュの毛先を弄りつつ、笑う。


「はは。できるわけないでしょ」


 何回も、試したからな。

 その全てがダメだったから、自分は今もここにいるのだ。

 少年は、澄んだ湖面を瞳に浮かべ、問いかける。


「過ぎた時間は戻らない。死んだ人も蘇ることはない。でも、そうだなぁ――例えばだよ。選択を誤った、やり直したい『とある地点』に、?」


「なにそれ。ソレって、今ここにいる自分はどうなるの? 記憶は? 意識は? あの頃のまま? それとも、現在の自分をそっくりそのまま持ち越せる?」


 きょとん、と大きくなる瞳を、澄んだ蒼が見つめ返す。


「興味、ある?」


 聞く者に静寂を齎すその声は、まるで奥底を覗いてくるみたいだ。

 トイスは考えなおし、手元に残ったおにぎりくらいの大きさはあるザッハトルテを一気に口に詰め込んだ。しばし咀嚼し、全てを飲み込むと「んまー!」と笑顔で向き直る。そして――


「ベルフィ。時間は撒き戻らないよ。誰が何をしようと、結末が覆ることはない。それにね――」


「なに?」


「頼まれてもいないのに勝手にするのは、あの子に失礼だ。今を懸命に生きる、あの子に」


 はは、と寂しげに主は笑う。

 無念と悲しみ、数えきれない諦めの中に、幾ばくかの希望を残したその瞳――それが、なんとも言えず心地よい。


(ああ、これだからボクという存在は……)


 どうしようも、ないな。

 悪魔は胸の中でそうひとりごち、主の口元についたチョコレートを「お返し」とばかりに指で掬う。


「ふふ、甘い」


「食べ足りないの? 私もね、実は少し食べ足りない気持ちでさ。もう一個頼んでふたりで分けようよ」


 ……もう『四人みんなで』じゃあ、ないんだな。


「いいよ。もうひとつだけね」


 ベルフェゴールは、その甘さに浸る時間が好きだった。

 『あの頃』から、それは、変わることはない――


      ◇


 結局、生徒とその召喚獣は誰一人として行方不明にはなっていなかった。


 トイスと別れた後に再び村正を捕まえ、【狐狗狸さん】をさせたところ、欠席していたSSRの生徒は四名とも校内で見つかった。

 話を聞くと、体調不良は方便でなく事実だったらしい。素行が素行なだけにそれすら嘘でないか怪しいが、彼らの連れている召喚獣が皆、身体の一部に包帯などを巻いていたこともある。手当てしたマリィによれば怪我は本当のことらしいし、今回は信じることにしよう。


 それに、魔界出身者が多い五、六年のSSRは縄張り意識が強くプライドも高い。あのいけ好かないヴラドと吸血姫にこれ以上我が物顔でふんぞり返られるのは我慢がならないのだろう。負った傷や弱みを見せまいとして、疲労や肩こりなどの適当な理由をでっちあげた気持ちもわからなくもない。


 とにもかくにも、同時多発的召喚獣の行方不明事件はリヒトの思い過ごしだったようだ。午前の助っ人とその後のケアを終えて昼食を取ろうと食堂に顔を出す。いい匂いにつられて足を運んだ瞬間、リヒトはため息をついた。


「しまった。丁度お昼どきか……」


 食堂は生徒も教師も共同で利用している為、うっかり休み時間に行ってしまうと混雑で席が空いていないのだ。とはいえ、腹は今にも鳴りだしそうだし、ハンバーグやらパスタに中華と、これだけのいい匂いを嗅いでしまったのに今更あとで、というのも土台無理な話。

 仕方なく食券の列に並んで、日替わりランチの乗ったトレーを手に辺りを見回すと、かろうじて空いている一画が目に入る。


(あれは……)


「オフィーリア」


 声をかけると、四人用のテーブル席にひとりでかけていた白い少女がびくりと肩を震わせた。驚きに目を見開き、クロワッサンでいっぱいになった口をしばしもごつかせると、ごくり、と飲み干して口を開く。


「な、なに……?」


「相席いいか。他に空きが見当たらなくてな」


 見回すと、確かにそういうことらしい。混雑の時間帯にわざわざ食堂なんて使わない彼女だが、今日は日替わりCが学生時代からお気に入りだった『ふわとろオムレツ入りクロワッサンサンド』の日なので、どうしても来たかったのだ。だが、まさかそのせいで相席の声をかけられるハメになるとは。


 元来生徒は教師と同じテーブルに着こうとはしないし、オフィーリアはどういうわけか執拗に他者を避けることで有名だ。彼女と相席しようなどという教師もいない。だが、リヒトだけは違かった。

 先日共に茶をしばいたくらいの仲だ、当然相席を受け入れて貰えるだろうと踏んだリヒトは返事も聞かずに向かいに座る。一方でオフィーリアは戸惑っていた。


(いくら私の呪いが効かないかもしれないからって……あの時はまぐれだったかもしれないし、向かいで昼食なんて危険すぎる……!)


 だが。生徒たちも大勢いるこの場で「イヤです!」なんて断り方をしてみろ。まるでリヒトがオフィーリアに激しく拒絶――もとい、フラれたみたいな空気に、場は凍りつくだろう。

 先日の一件で、リヒトのことを、ともすると数少ない友人になれるかもしれないと密かに歓迎していたオフィーリア。カフェでお茶をした日はあまりの嬉しさに、友人のトイスについついメールしてしまったくらいだった。


(き、嫌われたくないな……)


 噂によるとリヒトはとんでもない実力の持ち主らしいし、なによりエヴァンスの旧知という。そんな彼が史上初めてオフィーリアの呪いに魅了されない可能性に賭け、「ええい、ままよ!」とオフィーリアは顔を上げた。


「私のところで良ければ、どうぞ……!」


「ん」


 目が合う頃には、リヒトのランチは既に半分が平らげられていた。オフィーリアがもじもじしているうちに、彼はさっさと自分のボロネーゼにパルメザンチーズを山盛りにかけて満喫していたのだ。皿の底に残った粉チーズまで、サラダの葉で掬って食べている。

 オフィーリアは思わず問いかけた。


「チーズ、好きなの?」


「ああ。特に、ミートソースの原型が無くなるほどにかけて食べるのがな」


「それなら初めからカルボナーラにすればいいのに……」


「元からチーズ風味のパスタを食すのと、ミートソースをチーズに染め上げて食べるのとでは話がまるで違う。ふっ、わかってないな。一度してみろ、やみつきになるぞ」


 どこか得意げに話すリヒトはそこらの学生よりも余程食堂を満喫しているように見えた。そんな他愛ない会話が楽しい。

 やはり、リヒトにはオフィーリアの呪いが効かないようだった。目を見て、会話するだけで他者を魅了し、触れれば老化させてしまう。そんな孤独の運命を背負わされて幾年月。また食堂でお昼を食べるのが楽しいと思える日が来るなんて……


 学生時代を思い出し、意図せず口元が綻ぶ。すると、向かいのリヒトがつられて微笑んだ。


「なんだ、珍しい。今日は機嫌がいいな。いいことでもあったのか?」


 指摘され、はた、と瞳が大きくなる。

 自分はそんなに嬉しそうな顔をしていただろうか。改めてそう言われると、恥ずかしいやらなにやらで言葉がでてこない。

 それに、その『いいこと』が、『あなたと食事をしているから』だなんて……


「……!」


 思い至って、オフィーリアは急にむせ込んだ。けほこほと口元を覆って小さく咳をし、俯いた顔は赤面していてすぐにあげられない。しばし下を向いていると、「どうした、誤飲か」と言って、リヒトは水を持ってきてくれた。

 黙ってこくこくと喉を潤しているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。


(あ――)


「助かった。じゃあな」


 水を持ってきてくれたお礼を言う前に、リヒトは去っていってしまった。

 食堂に残されたオフィーリアは椅子に座り直し、一息つく。そして――


「今度また、ボロネーゼを食べに来ようかな……」


 山盛りの、チーズをかけて。

 そう小さく呟いたのだった。


      ◇


 昼食を終えたリヒトが午後の授業に向かうと、教室の中央に人だかりができていた。なにやらピエールがうずくまり、生徒たちが心配そうにおろおろと周囲を取り囲む。


「何があった!?」


 慌てて駆け付けると、顔を青くしたシュエリーが胸元に縋り付く。


「教室に入る直前、ピエール先生が何かに襲われて、それで、私達を庇って怪我を――!」


「見せてみろ」


 生徒たちを搔き分けてうずくまるピエールの肩に手を当てる。胸をおさえ、呼吸を荒げて苦しがっているようだが、目立った外傷が見受けられない。眉間にしわを寄せていると、天使と共に応急処置にあたっていたカインが口を開く。


「怪我がないんだ。こんなに苦しそうなのに。サリーに治癒魔法をかけて貰っても何の手ごたえもないらしい。天使の治癒が効かないなんて、これは、呪いの類なのか……?」


 不安そうにリヒトを伺うに、彼なりに最善の手を尽くしてくれたらしい。だが、『呪い』の一言に、隣にいたフィヨルドが首を横に振る。


「いいや、さっき受けた呪いだったら呪詛の瘴気がまだそこらに残っているはずだ。でも、アリアの鱗でもそれは感知できないみたい。多分、呪いじゃないと思う」


「じゃあ、どうして……!?」


 涙目でうろたえるシュエリー。どうやらピエールは彼女を庇って何者かの攻撃を受けたようだった。ぐすぐすと涙を浮かべる主を、白澤はふさふさの体毛で包み込むようになだめている。

 リヒトはピエールの口元まで耳を持っていき、慎重に問いかけた。


「息はできるか?」


 こくり、と小さく。首が縦に揺れる。


「毒か?」


 横に。


「となると、魔力切れ? だが、一瞬でここまでの消耗をするなど……」


 そこまで口にし、嫌な予感に汗が吹き出す。恐る恐る、問いかける――


「ピエール、お前……いつも連れている天使はどうした……?」

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