第19話 得体の知れない悪魔と女教師


 リヒトは今までの行動を顧み、脳内で猛省する。


(なにが教師だ、復讐だ……! エヴァンスの最も大切な願いである、生徒を守ることができずに、何が、何が……!)


 犯人を探すのに懸命になるあまり、己が目的を見失っていた。

 エヴァンスは復讐なんて望んでいない。これはあくまでリヒトの願い。リヒトの野望。

 だが、彼は確かに頼んだのだ。


 ――『リヒト、あとを頼みます』と。


「すまない、エヴァンス。俺は……!」


 久方ぶりに人里に出て、多くの人に出会った。

 同じ目的を持つ同志、情けないが放っておけない優しい同僚、初めての弟子、不思議な魅力の女教師に、徐々に打ち解け始めた生徒たち。そんな彼らに絆されて、自分は年甲斐もなくはしゃいでしまっていたのかもしれない。


 素直に言えた試しはないが、胸の内はいつもどこかそわそわとしていた。あれはきっと、『楽しい』だ。忘れていた筈の明るい気持ち。女神と過ごすあの屋敷では得られない経験。見たことの無い景色、美味い飯、他者との会話……


 思い出すたび胸が苦しい。

 素直に怖いと思った。失うことを。


 もし彼らに何かあったら? 


 自分が女神を囮に犯人に近づこうとしているということは、向こうもこちらに近づくということ。それだけ、周囲の人間は危険に晒されるかもしれない。

 守り切れるか? 今の自分に。

 果たせるのか? エヴァンスとの約束を。


 ――何もかもが足りない。

 力以外の、仲間も、情報も、すべてが……!


 調子に乗ってる? いけ好かない?

 オウム返しもいいところだ!


「はぁ……くそっ!」


 ベルフェゴールと行方不明になった他召喚獣を探すため校内を駆けていると、ふとある生徒に目が留まる。移動教室なのか、中庭を跨いだ向こうの廊下を歩いている、あのもふもふ尻尾は……


「村正! ……と、その狐!」


 声をかけると、赤茶髪の少年は着物を翻して振り向く。隣の狐が緋色の袖をチラつかせ、不機嫌そうにもふもふを揺らした。


「狐じゃないです~おタマです~」


「すまない、咄嗟に」


「先生から俺らに用なんて珍しいな。どうしたんだ? 補講はいつも夜なのに……」


 きょとんと首を傾げる肩を、むんずと掴んで声をあげる。


「手が足りない! 力を貸してくれ!」


「「へ……?」」


 そうして、おタマの手にしている盤のようなものに咄嗟に目を奪われる。


「そうか、これだ……! お前は確か、探し物が得意とか言っていなかったか!?」


「それはまぁ、おタマは占いくらいしかできませんけど……」


「探してくれ! ベルフェゴールという悪魔を!」


 わけがわからないといった顔のふたりを引き連れ、中庭にあるテラスで端的に説明すると、ふたりの顔は揃って青くなった。


「集団で行方不明とか、俺らの手に負えなくね? 他の先生に知らせた方が……」


「いや、諸事情で大ごとにしたくないんだ。それに、たまたま偶然全員が行方をくらませているというか、散歩しているだけかもしれないこともある……悪魔というのは、本来それだけ気まぐれで、御しづらい種だからな」


「あ~、要は思い違いだったら恥ずかしいと」


「まぁ、そんな感じだ」


 そうだ。なにせこの学校に暗殺犯が――危険が潜んでいると知っているのは自分だけなのだ。気にし過ぎということもある。だが、村正にソレは言えない。

 バツが悪そうに視線を逸らすと、彼は快活に笑った。


「いいぜ。先生が頼ってくれるなんてなんか嬉しいよな! 弟子らしくなってきたっていうか。なんだよ先生、案外心配性なとこあるのな。てっきり、愚図は見捨てる冷血漢かと……」


「村正様、それ、言い過ぎじゃないんです?」


「でもさ、先生が言いにくいこと腹割って話してくれたんだ。俺が隠すわけにもいかねぇだろ。俺はそういう正直な、師匠と弟子になりたい。ま、そういうことなら力を貸すぜ。おタマ、アレ頼む」


「はいは~い」


 主に頼りにされたのが嬉しいのか、狐呼ばわりされて膨れっ面をしていたおタマは一変、碁盤の目が張り巡らされた板を広げる。

 そこかしこには東の国の文字が書いてあるようだ。そうして、ハイパーミニ丈な巫女服のスリット、もといポッケから穴の開いた硬貨を一枚取り出した。それを中心に置き、唱える。


「――【狐狗狸さん、狐狗狸さん、この声聞こえたらおいでませ。おいでませ……】」


 目を閉じ、硬貨に指を添える。魔力がふわりと盤に満たされ、しばらくすると指が意志を持ったように文字を示し始め……


「――あ。媒介を忘れました。狐狗狸さんが、何を探せばいいのか困ってます」


 てへ♡ とウインクした狐のドジっ子さに呆れつつ、リヒトは急いでトイスに連絡する。こういうときにスマホがあって助かった。併せて、「なにかあれば」と真っ先に連絡先の交換を申し出てくれたトイスの現代っ子ぶりに感謝。


 連絡すると、数分の後にトイスが中庭に駆けつける。ぜぇぜぇと肩で息をし、一本の毛を差し出した。


「せ、洗面台から、ベルフィのどこかの毛、持ってきました~……」


「うわぁ。どこの毛です?」


 ばっちいものでも触るかのようにソレを受け取るおタマに、トイスは、


「う~ん、多分下のじゃないから安心しなよ?」


 と、適当に返事して、占いが再び始まる。


「――【狐狗狸さん、狐狗狸さん……】」


 ススス、と硬貨が盤を指し示し。


 ――【 こ こ 】


「「え……?」」


 全員で顔をあげると、背後から幼い少年の声がした。

 ふわりとした銀髪を巻き角にかけるように掻き上げ、清楚なブラウスに短パン姿の少年があくびをしながら近づいてくる。年の頃は十歳ほどか、あどけない瞳がきょとんと首を傾げた。


「トイちゃん、何してんの?」


「べ、ベルフィ~……!!」


 眠そうにとぼとぼ歩いてくる少年を見るや、トイスはぎゅーっと抱き着いた。


「もう心配したよ~! どこ行ってたの~!?」


「え。いやぁ……散歩?」


「でもでも! 今まで何も言わないでどっか行くこと無かったじゃん!?」


「ごめん。今日はそんな気分で」


「はぁ~!? どれだけ心配したと思って――! まぁいいか。悪魔だもんね、仕方ない。自由なくして生きる価値なし。悪魔はどこでも自由でいなくっちゃ。そういう生き方、好きだし」


「さすが。わかってるね、トイちゃんは」


 にこりと目を細めた少年は、中庭の木漏れ日に照らされて端正な笑顔を浮かべた。

 まるで魔王の直属配下とは思えない穏やかさ。だが、その静かすぎる魔力がリヒトはかえって恐ろしかった。


 ――底が、見えない。


 魔力は強ければ強いほど眩く熱く、暗く冷たく。強力な気配を感じることが多いのだが、目の前の少年からはそれが一切感じられない。

 ただ冷淡に、眠るように気配を潜め、実力を覆い隠す。それはまるで出口のない霧のようで、気を抜けば心を攫われてしまいそう。


「……ッ」


リヒトは思わず顔をしかめる。気圧されたのは、何年ぶりか。


「おや? キミは、新しいセンセイだね?」


 凍った湖のような涼しい蒼色の瞳が白々しく細められる。その目が、かち合った一瞬で告げた。


 ――『キミが何をしようとも、ボクらに手を出さないなら見逃してやる』と。


「ああ、ベルフィは初めてだっけ。リヒト先生だよ。フィーリアと仲良しの」


「へぇ、フィーちゃんの仲良し、ねぇ……?」


「ほら、ベルフィもご挨拶」


 とんとん、と背中を優しく押して促すトイス。その笑顔には、一切の曇りが無かった。


 ――なんなんだ、あの女は。


 これだけの歪なオーラを纏った存在と共にあって、あまつさえ寝食を共にし、何の居心地の悪さも覚えないとは。


 かくいう村正とおタマは、急な腹痛を覚えて早々に離席していた。東の国出身のふたりは西の魔王の配下に馴染みがないようだったが、動物的な直感か、あいつはヤバイと思ったようだ。


 背を押されたベルフェゴールはにこり、と笑みだけをこちらに返し、トイスの手を握る。


「歩いたらお腹が空いたよ。トイちゃん、学食でザッハトルテ奢って」


「え~。私、これから授業戻らなきゃなんだけど……」


「ボク、これでもキミを心配してここまで歩いてきたんだけど?」


「でも、一応私も今は先生なんだよ。担当のクラスに顔出して、一限目が終わったらでいい?」


「しょうがないなぁ。あ~あ、学生の頃はよかったよ。いつでもサボれて、トイちゃんとフィーちゃんと、オベロンと。皆でケーキを食べてさぁ」


「懐かしい話してないで。時間は巻き戻らないんだから。ほら、行くよ」


 手を繋いで教室に戻るふたり。後ろ姿だけ見れば、まるで仲のいい姉弟のように見えるが……

 何を思ったか、瞬間、トイスが振り返る。


「あ! リヒト先生! 代理ありがとうございましたぁ~!! 今度ザッハトルテ奢りますね~!」


 その屈託のない笑顔が、忘れられなくて。

 リヒトはしばらく、そこから動くことができなかったのだった。

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