第18話 悪魔学級
リヒトの受け持つ授業は主に、受け持ちであるSSR一年生の大半の科目と、上級生のSSR『戦闘訓練』だ。
その他手が足りていないところがあれば呼ばれて補佐に行くこともあるが、魔法使いというのは昔から縄張り意識が強くてプライドの高いきらいがある為、そんなことは滅多にない。だが、今日は珍しく助っ人に呼ばれていた。
なんでも、五、六年生(学院では主に十七、八歳の集団だ)のSSRを担当している女性教諭の召喚獣が朝から行方不明だとかで、授業に支障が出ているらしい。
小柄で華奢な、これまた年齢不詳の魔女トイス=チャーリュフ。外見はリヒトよりも少し下の二十代前後といったところだが、彼女は副校長のシャポンとはまた違った意味で子どものような外見の女性だった。
シャポンが胸だけデカい幼女なら、トイスはおもちゃ――か、菓子のようなものを常にローブのポケットから溢れさせている。
背格好はどちらかと言えば少女に近いが、オフィーリアとはまるで違う――そう、アレだ。リヒトの記憶が正しければ、あの見た目は一言で言えばだらしのないJK。
丈の短いプリーツスカートとゆるく巻いたベージュの髪をふわりと揺らし、いつもキャンディの棒を口に咥えている。
そんな見た目の彼女だが、最上位学年である五、六年生のSSRを合同で兼任しているというのだから、実力は折り紙付き……の、はずだった。
職員室の片隅。チョコとキャンディに溢れた甘い一画――トイスの席に呼びだされ、リヒトは初めて対話する。
ぬっと現れた黒ずくめのリヒトを見上げ、トイスは開口一番土下座した。
「お願いお願いお願いします! なんとか今日中に探し出すんで、私の召喚獣がいなくなったって生徒たちにバレないように授業代わってくださ~~い……!」
びええ……! と靴でも舐めそうな勢いで懇願され、さすがのリヒトも面食らう。
だが、話を聞くに彼女は普段、明るく大雑把な性格のようだったのだが……召喚獣が行方不明となったことで随分と取り乱しているようだ。
トイスは驚き固まるリヒトのズボンの裾を掴んで、潤んだ瞳を向け続ける。
「フィーリアに聞きましたよ。リヒト先生なら多分、あの糞生意気な五、六年のSSRどもを黙らせられるって」
「フィーリア?」
それは、あの深窓の令嬢、オフィーリアのことだろうか。
彼女に親しい同僚がいたのは初耳だが、なんでもふたりはかつてのクラスメイトで、古くからの友人らしい。
現在はオフィーリアの呪い体質のせいで同性といえど恋に堕ちてしまうため、面と向かって話すことはできないらしいのだが、今でもメールのやり取りはよくするんだとか。
オフィーリアがトイスに何と言ったのかはわからない。しかし、どいつもこいつも曲者揃いでなまじっか強いばかりに言うことを聞かない上級生SSRを黙らせられるのは彼くらいしかいないだろうと。そう見込んでの頼みだった。
「私、いつもは召喚獣の威厳? っていうか、そういういうので生徒にいうこと聞かせてるんですけど、なにせ今日起きたらベッドからいなくなってて……あの子がいないと、生徒っていうか、生徒の召喚獣たちがナメくさって暴れ出したり、教室壊したり、抜け出したり、喧嘩始めたり……うわ~! 想像しただけでほんと無理~!」
「なんだ、五、六年のSSRは学級崩壊しているのか? まだ新学期始まって一か月経っていないぞ?」
「ですよね~。でも、実力別で強いの集めてSSRとか言っちゃうから、あいつらもう調子こいちゃって……! あああ、もうベルフィってば何処行っちゃったんだろう~……!!」
――ベルフィ。は、彼女の召喚獣ベルフェゴールのことらしい。
魔界に轟くその名は、魔王の強力な配下七柱のひとり――らしいのだが、怠惰な性格が災いし、魔界の公務から逃れてこの地に(意図的に)失踪中なのだとか。
そんなベルフェゴールは、隙あらば昼寝を貪るこれ怠惰の塊なのだが、内在する魔力と血統、力こそがモノをいう魔界ではエリート中のエリート。場にいるだけで大概の魔族が黙る最終兵器なんだとか。彼の昼寝を邪魔した者は、ゲヘナの果てまで飛ばされる、と。
『悪魔学』と『魔界学』を専攻するトイスにとって、今やなくてはならない存在。そのベルフェゴールがいなくなって、彼女は相当取り乱していた。
「う~……昨日夜中にカードで負けたのが悔しかったのかなぁ~? それともおやつが気に入らなかった? なんでいなくなっちゃったのぉ~?」
教師としての体面を投げ出して頭を抱えるトイスを見るに、それはまるで幼い友人を心配するかのようで。緊張感のあるようなないような……
リヒトは思わず吹き出しそうになるのを堪える。
「わかった。いずれにせよ、召喚獣の行方なら俺よりお前の方がよくわかるはずだ。今日中に探せるように時間を稼げばいいんだな? 授業は任せろ。テキストは――」
「『魔界学』のこっからここまでです。魔王の変遷と歴史、大戦、魔王の系譜……とにかくまぁ、私とベルフィに逆らう気がなくなるように、適当に、頭と身体に教え込んじゃってください。四月の目標はそれなんで」
「随分大雑把だな。結局最後は力技か」
「だって、そうしないと後々授業が大変でしょう? あいつら、一回ボコさないと言うこと聞きませんもん」
「お前が五、六年のSSR担当なのがわかった気がする」
少なくとも、ピエールよりは色々と割り切っているらしい。それとも、これも魔王の配下を呼びだした者の性格か。だが、シンプルなのはキライじゃない。
手渡された名簿には、こう言われるのも納得の錚々たるメンバーが名を連ねていた。
「ああ、これはボコさないとわからない奴らだ」
「でしょう?」
言わずもがな、『力こそ全て』と言わんばかりの面々だった。そもそも、席に座って教室に来るだけでも偉いと思う。
資料と名簿を持って職員室を出る直前、問いかける。
「五年SSR――このクラスの、頭は誰だ?」
するとトイスは。
「ヴラド24世ツェペシュと、相棒の
「了解」
◇
五、六年はSSRと見込まれた者が少なかったため、二学年が合同でクラスを組んでいた。最上階の教室は、足を踏み入れるなりずしん、と身体が重くなる。
(ああ、これだから魔界系のヤツは苦手だ……)
召喚獣は個々に暮らしやすい環境に適したオーラを身に纏うものだが、SSR級の魔界出身族が複数体集まれば、それだけでクラスは疑似魔界のような居心地となる。
重苦しい空気に、淀んだマナと圧。ひとたび扉を開ければ、若干の血生臭さが鼻を突く。見慣れぬ教師の登場に、座っていた一同はじろりと視線をそちらに向けた。威嚇、疑い、驚き、嘲り……様々な感情の入り混じった瞳を見つめ、リヒトは臆さず言い放つ。
「朝っぱらから輸血パックを飲み散らかしているのは誰だ? ったく、ここは血生臭くてかなわんな。きちんとゴミは片付けろ。それがマナーだ」
教卓に散らかった透明な空容器を手で乱雑に払いのけ、リヒトは視線を少女に向けた。
ちょこんと澄まし顔で椅子に腰かける、金の縦ロールの令嬢。白磁のような白い肌は怖気のするほど美しく、妖しい魅力を放っていた。整った鼻筋と唇。その端から、ちらりと鋭い八重歯が覗く。
「お前の仕業か、
尋ねると、隣の席にいた長身の男が、ベージュの髪を掻き上げて抗議する。
「まさか、先生は私の美しいレディをお疑いか? 高貴で優美なる彼女が、そのようなはしたない真似をするとでも? ああ、疑われて可哀想なメルティ! こっちにおいで。私が慰めてあげるから」
なんとも鼻につく言い方をするのは、生徒会長のヴラド。主に呼ばれたメルティは、大きく開いたドレスの背中から黒い皮膜の翼を羽ばたかせ、促されるまま膝に腰かける。
従順に、ゆったりと髪を撫でられて目を細める美少女にご満悦なヴラド。まるでそこだけ高級クラブな有様だ。
あの図に乗りに乗りまくった様子を見るに、生徒会長という特権と召喚獣の権威を傘に、カースト最上位に君臨して好き勝手してきたのが丸わかりだ。彼自身の実力がどうとかはさておき、第一印象でいけ好かない。
それに、吸血姫を撫でるあの手つき。髪に触れ、背に触れ、腰に触れ。果ては太腿まで教室で触り始めるいやらしさ。彼女が従順なのをいいことに、少しやり過ぎだ。
リヒトも女神を奴隷にしているが、本人がどこか嫌な心地をしていそうなのにあそこまでするのはいかがなものか。
だが、今回ばかりは口にするのが憚られる。代々の血筋に仕える吸血鬼は、ときにその血――主に逆らえないことがあるのだ。おそらく彼らもそのクチだろう。
だとすれば、ヴラドの機嫌を損ねればメルティはあとで八つ当たりされる可能性がある。ったく、クソ忌々しい。
完全なる主従関係――これもまた、召喚師には珍しいことではないのだ。
リヒトは大方の事情を察して「それは悪かったな」と簡潔に話をまとめた。
そして、はた、と異常に気づく。
「おい、生徒はこれだけか?」
見ると、教室にはヴラドと吸血鬼、赤い鱗の竜人族に、その主の女生徒しかいなかった。つまり、人狼と夜叉、魔人、天狗の四名とその主が欠席だ。
まさか、集団ボイコット? だが、ベルフェゴールが行方不明になったのは今朝がた。教師をナメての行動にしては情報が広まるのが早すぎる……
「他の生徒は――」
尋ねると、ヴラドがクラスの顔らしく返事する。
「さぁ? 学級委員である私のところには、みんな揃って欠席だ、としか連絡を受けていないですよ」
「理由は? 体調不良とか、何か聞いていないのか?」
「うーん、四名とも、軽度の体調不良だったかな。腹痛、頭痛、肩こり、疲労……そんな感じさ」
「随分と適当な学級委員だ」
「ふふ。なにぶんレディ以外には興味がなくてね」
……はぁ。思わずため息が出る。
なにが肩こり、疲労で欠席だ。嘘に決まっているだろう。どうせ仮病ならもう少しまともな理由を考えろ。
だが、こいつの話が本当なら、今問い詰めても意味は無い。リヒトは残るひとり、身体のあちこちに鱗を散らし、スカートの裾から太く逞しい尻尾を垂らす竜人族とその主に問いかけた。
「フリージア=ド=ジークベルト、何か聞いていないか?」
きりりと、騎士然としたポニーテールの女生徒は、竜人族のファブニと目を合わせ、
「廊下を、ロキが歩いているのを見たわ」
「
「『フェンリルがいないんじゃ、授業に出ようもないよね~』って、嬉しそうにぼやいてた。そのあとのんびり、空いている食堂に向かうのを見たわ」
「清々しいまでのサボりだな。あとの三名は?」
「知らない」
……だが、少しひっかかる。
ロキが真面目な生徒でないとしても、今までは召喚獣共々ベルフェゴール怖さに授業に出ていたのだ。それがどうして急に、失踪を――
「まさか――」
思い至った瞬間。背筋に怖気が走った。
(集団、行方不明……?)
すぐさまローブを翻し、「自習!」と告げて教室を出る。
どうして思いつかなかった。
ベルフェゴールの行方不明が、悪魔の気まぐれなどでなく、人為的な事件だと。
そうして、その危険が、生徒と召喚獣にも迫っているかもしれないと。
(まずい、まずい、まずいことになった。かもしれない……!)
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