第17話 いたずら女神

 さぁて、他の学校に誰を刺客として送るか――

 とはいえ親しい友人の類は全員が既に他界しており、弟子はといえば、あのざまだ。いざとなったら金で雇うか? いやしかし……


 そんな薄暗いことを考えているうちに授業が終わり、リヒトは自室に戻る。自宅の場所を特定されかねない以上、あまり長く瞬間転移の術式を繋げておくわけにもいかない。だが、犯人をおびき出し接触するには『扉』の開け方をリヒトが知っているということを敢えて知らせるのもアリだろう。


「仕方がない。今はこれが一番手っ取り早いか……」


 腕輪を光らせ、リヒトは女神を呼びだした。「わぁい! なになに~?」とご機嫌で宙を舞う女神に短く告げる。


「お前、今日からここで暮らせ」


 その言葉に、銀糸の髪の乙女は喜び飛び跳ねた。


「わぁ~! この狭っまい犬小屋みたいな部屋で身を寄せ合って同棲するのね!? ぬくぬく密着♡ そういうのもアリ! 素敵!!」


「勘違いするな。お前の寝床はここだ」


 ぶっきらぼうに床を指差す。だが、女神は何を気にすることなくごろりと猫のようにそこへ転がった。

 てっきり「そんな固いとこで寝られない~」などともう少しダダをこねられるかと思ったが、存外、女神は共に暮らせるなら場所なぞ何処でもいいようで。健気すぎて、たまに涙が出そうになる。


 リヒトはため息交じりにベッドに腰を下ろすと、床で転がる女神に告げる。


「エヴァンス殺害の犯人が、『扉』を目的としていることがわかった。お前には、『もうひとつの鍵』として囮をしてもらうぞ。『界繋ぎの神』の滅んだこの世界。唯一の生き残りがいることが知れれば限りなく面倒なことになるので、絶対に姿は隠してもらうが、その力の一端をちらつかせてやれば、賢い奴なら勘付くはずだ。俺が、その力を秘めた遺物を有していると」


「え~と、つまり~?」


「これからは、それとなく女神おまえの力を使えるように近くに置いておきたいということだ。犯人をおびき出したい一方で、女神の存在は隠したい。まぁ、簡単に言えば、犯人にわかるようにだけ女神の力をひけらかす、ということだな。

 方法はこちらで考えるので、お前は只、力が使いやすいように部屋にいてくれればいい。そして絶対に出るな」



 なんて都合のいい扱い。女神は口を尖らせ背で床を滑る。


「ヤダヤダヤダ~! せっかくお外に出られたのに、またお部屋にいるだけなんてヤダ~! テレビで見た街のケーキ屋さんに行きたい~! 可愛いお洋服が欲しい~! 高級ブティックに行って『ここからここまでください』ってするの~!」


 手足をジタバタと、凄まじいダダのこね方。ワンピースはもはや着ている意味を為さずにぐちゃぐちゃだ。鎖もパンツもおっぱいも、何もかも丸見え。

 だが、女神にそんなの関係ねぇ。神より授かりしこの黄金比の美しく滑らかな肢体の、なにを隠し恥ずべきというのか。

 ブレイクダンスで優勝でも目指すかのごとくダダをこねまくる。


「何十年あの屋敷に籠ってきたと思ってるの!? おまけに最近じゃあ理人もいなくなっちゃうし、寂しいし暇だしストレス溜まってしょうがないの~! 

 それに理人、こないだ言っていたじゃない! 『エヴァンスの作った学校はシェフの腕も最高だ』って! 私も学食にいって、価格以上の味と見た目のランチでお腹も心も大満足に満たしたい~!! じゃなきゃ夜な夜なアンアン喘ぎ散らかして、お隣さんに『リヒト先生、お盛ん♡』って思わせてやるんだから~!!」


「あああ、それだけはやめろ……!! 隣はピエールなんだ。そんなことしたら絶対、翌朝無言の眼差しで色々と訴えられるに決まってる! わかった、わかった。ならば学食のテイクアウトを毎食用意するから。それでいいだろう?」


「やだ~! 自分で行って選びたい~! ど・れ・に・し・よ・う・か・な、ってあれこれ悩むのが楽しいのに~!」


 気持ちはわかる。が。


「学食に連れていけと? さすがにそれは無理がある。そもそも学校は関係者以外立ち入りが禁止で――」


「理人の召喚獣ってことにして! 要は女神ってバレなきゃいいんでしょ!?」


「いやバレるだろ。見た目も。気配も。先日は泡で視界が奪われていたからよかったものの、何よりその瞳――七色の虹彩は『界繋ぎの神』の証だ。バレれば俺は神殺しの重罪人として汚名を着せられ、犯人探しどころじゃない。お前が最後の神として生き残っていること……それがバレたら問題なんだよ。俺は『なんらかの形で女神の力を行使する』――そう、犯人に思わせられればいいんだから」


「でもでも~。別に、殺してないじゃん……」


「だが、事実お前以外の神は活動を停止している。それを世間じゃ神殺しっていうんだよ」


「む~……」


「頼むから、聞き分けてくれ。これだけは」


 幼子を諭すように頭を撫でると、女神は肩を落として頷いた。頬をむくーっと膨らませ、こくりと首を縦に振る。

 リヒトは胸を撫でおろし、明日からの一室共同生活に向けて細かなルールを決めようと筆を手に取る。ゴミ出しは週に何回とか、夜の何時以降は隣人の迷惑になるから喚かない、とか。こういうところ、案外根は真面目なんだ。


「ねぇ~、何してるの~?」


 きょとんと肩越しに覗き込む七色の虹彩。リヒトは女神がそんな生活ルールなんて守ったことないのを思い出し、すぐに投げ出した。こいつは、いや、。良くも悪くも無垢なんだ。難しい注文はやめよう。


「……いい子にできるか?」


 果てしなく訝し気な目で尋ねると、女神はにこっと頷いた。


 ――『善処します!』


 昔、リヒトに無理難題を押し付けると決まってバツが悪そうに視線を逸らし、こう言われた。だからというわけではないが、お返しだ。

 そう、答えたつもりだったが、リヒトは『イエス!』と受け取った。なんだかんだで甘いから。彼がそれを痛感するのは、数日後のことになる。


      ◇


「じゃあ、行ってくる」


 朝の支度を終えて職員室へ向かおうとすると、女神は半ば強引に潜り込んだベッドから半裸の上体を起こした。寝ぼけ眼をこしこし擦り、「もう行っちゃうの~?」と視線で訴える。リヒトは華麗にシカトして、部屋に鍵をかけた。念のため、気配が漏れない結界も施す。


「無視はするのに『行ってきます』はするんだぁ……変なトコ真面目よねぇ?」


 それとも、これも彼の言っていた『染みついて抜けない習慣』の一種なのか。

 女神はもそもそとベッドの匂いを嗅ぎ直したあと、大きく息を吸って吐く。


(……はぁ。やっぱコレ。生身の肉体から数刻と経っていないベッドは、香りが違うわぁ♡)


「犬小屋生活、快適じゃな~い!」


 う~ん、と心地よさそうに伸びをして、今度は窓から校庭を見下ろした。


「ここがエヴァンスの学校……」


 ――『学校』。それは人間の教育機関。人類という種が発達を遂げ、営みを続けるにあたって進化してきた文化の粋ともいえよう。


 校舎を行き交う鮮やかな制服姿の生徒たち。すれ違う級友や教師に笑顔で、ときに堅苦しく挨拶を交わす。あの群衆の中に、リヒトもいるのだろうか。いや、いるに違いない。そして、彼らの隣にいるのは多種多様な召喚獣――

 天使を連れている者もいれば、悪魔を連れている者もいる。それらが平然と同じ環境で暮らし授業を受ける様は、まさに異常の中の日常といって差し支えない。


 天界が知れば阿鼻叫喚な種族の坩堝は、『人間と契約し、願いを叶える』――その一点の秩序においてのみ均衡を保ち、守られている。


 ときに協力、絆を紡ぎ。ときに利用し、騙し、誑かし。

 ときに施し、で、囲う。

 そうしてときに、獣は己が身と本分を忘れて、人に、他種に、恋をする――


「むふふ……」


 女神は思わずほくそ笑む。


 なんていう、無法地帯だ。

 ――楽しそう。


「学校。来てみたかったんだぁ……!」


 女神はリヒトの言いつけを守らず――いや。そもそも『約束けいやく』なんてしていないし、本人的には『いい子』のつもりだ。ただ少し、遊びたいだけで……


 それにほら、エヴァンスを殺した犯人の尻尾を掴めば、リヒトだって褒めてくれるかもしれないし。うん、それがいい。そうしよう。


「ちょっとだけ。ちょっとだけだから♡」


 そう言い訳して、窓から部屋を抜け出したのだった。


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