第15話 引き籠りクソオタクと美少女天使


 翌日。職員室に入るなりピエールが飛びつき、小声でジャケットを掴まれる。


「ちょっと、リヒト先生! リヒト先生!」


 彼は職員室を出てひと気のない廊下の隅にリヒトを追いやると、神妙な面持ちで告げた。


「昨日の放課後、オフィーリア先生と食堂にいませんでした!?」


「ん? いたが」


 結局、彼女のオススメだというケーキはどれだけ絞っても五つ以下にはならなかった。それで、中でも一番好きだというガトーショコラをいただいたのだが、それがまた美味で……

 と。思い出すだけで口の中が芳醇なカカオに包まれた心地がする。だが、目の前のピエールは口内の平和とはかけ離れた、鬼気迫る表情で。


「うわぁ! やっぱり本当だったんですか!? 僕の見間違いじゃなかった! どうしてリヒト先生なんかがオフィーリア先生とデートを……いったいどんな卑怯な手を使ったんです!?」


「失礼な。たまたま図書室で一緒になったから話していたら、甘いものが食いたくなって、食堂に行っただけだ」


「うそでしょお!?!? そんなフツーの理由であの『深窓の令嬢』が……って、そうじゃないですよ。話もしたんですか? え。それ、すごくないですか? 皆話しかけようとしても避けられちゃったりしてるのに……やっぱり姑息な手を……?

 いやそれより、生徒の間でも噂になってましたよ。遂にオフィーリア先生が陥落したのかと。茶をしばいたリヒト先生は何者なのかと。校内がいろめきだっちゃってますよ?」


「知るかそんなの。まったく、アオハルだかなんだか知らんが、ケーキひとつで陥落だのと、馬鹿馬鹿しい」


「いやでも! オフィーリア先生ですよ!? 僕がエルメ先生のスイーツやけ食いに付き合うのとはわけが違うんですから!」


「はぁ、どいつもこいつも浮かれやがって。そんな風に遠巻きに崇め奉るから、余計に避けられるんだろう? 一方的に注目される彼女の身にもなれ。そもそも青春は生徒の専売特許だ。噂をするなら、せめてホテルから一緒に出てきたところを目撃したときにしてもらおうか?」


「あっ。え。うわぁ……もうそんな仲なんですか……?」


「物の例えだ。ふっ、想像力の逞しいやつだな」


 表情がころころと変わるピエールに、思わず笑いがこぼれそうになる。

 できれば早めに、ピエールだけでもシロを確定させたい。いくらリヒトが元来人間を『善き者』として見ていないとはいえ、四六時中周囲の全てを疑うというのは想像以上に心身が疲弊するものだ。


 今年入った新入生以外の全てが容疑者――この環境はなかなかに堪える。エヴァンスの死の真相について探りを入れて来たマリィといえど、犯人が敢えてそうしていると言えなくもない。

 まぁ、もし自分が犯人なら、これだけの人が闊歩する学校でわざわざそんな怪しまれるような接近の仕方、する方がリスキィだと考えるだろう。だとするとマリィは限りなくシロに近い。

 だが、もう少し安息の地が欲しいもの。せめて、一緒に居る機会が多いピエールだけでも……

 そうぼーっとしていたら、朝の教員ミーティングは終わっていた。


「あ。僕、次の授業の準備があるので体育館に先に行ってますね。朝のHRお願いします」


 そういえば、一限目は体育だったか。

 召喚学校で一体何の体育を――と思うなかれ。体術の訓練は、悪い召喚獣や外敵から身を守るために必要な必修科目なのだ。


「はい静粛に、静粛に~」


 入るや否や、びちびちと鱗の飛び散る音がする。見ると、歌人魚がご機嫌な顔で少年フィヨルドに抱き着き、頬ずりをしていた。まったく、毎度毎度お熱いことで。おかげで少年の制服はいつも七色の鱗まみれ。メンズパリコレ状態だ。


「アリア、朝っぱらからフィヨルドとイチャつくな。ったく、早熟な子どもはこれだから……」


「僕のせいじゃないです! アリアが勝手にくっついてくるだけです!」


「だってぇ、私ひとりじゃ歩けないもん。フィヨルド抱っこして♡」


「もう席ついたよ! 離れていいから!」


「あ~あ~、わかった。痴話喧嘩するな。他の生徒はキスも未経験――初心な処女ばかりで、正直気が気でないだろう。彼女たちの為にもやめてやれ」


「せっ、先生!? 今のはセクハラです! 撤回してください!!」


 と、のたまうは学級委員長シュエリー。


「女もアリなら処女じゃないです~」


 と、公言するサキュバスのマスター、メアリア。


「…………ウザ」


 もうひとり、スノウホワイトはいつもと同じく無視を決め込み――と思いきや、短く悪態をついた。蒼銀に光を反射する長めの前髪を気だるそうに弄り、誰とも視線を合わせようとしない。連れている召喚獣も姿を隠させているのか、なかなか本心を見せない用心深い奴だ。


「まぁいい。HRを始めるぞ」


 いつもの光景を流し見て教壇に立つと、やはり空席に視線が行く。


「カインは今日も欠席か。何日目だ?」


 問いかけに、真面目なシュエリーが黒のツインテールを揺らして挙手をする。


「もう半月です。私、さすがに見に行くべきだと思います! というか行きます!」


「それは、学級委員として?」


「はい!」


 なんて曇りのない眼だ。若ぇ。眩しい。


「私、誰一人欠けることなく、みんなで卒業したいんです!」


 うおぅ。これこそ青春。ピエールが見たら感動でじーんとしていそう。


「だが、ひとりの為に授業を中断させるのも……」


「でもぉ、クラスメイトがどんなんかわからないってのも逆に気になって集中できないっていうかぁ~。もしイケメンの御曹司だったら、儲けモノじゃん?」


「僕も、カイン君には来て欲しいです。男ひとりで寂しいし、この教室は女の子が強くていたたまれないっていうか……なんていうか……」


 「さすがにどぉでしょぉ~?」と、シャポンに今朝がた釘を刺されたこともある。

 リヒトは、残った生徒に視線を向けた。


「スノウホワイト、お前は?」


「別に。どっちでも」


 体育館で待つピエールをほったらかしに、満場一致(?)でカインを迎えに行くことが決まった。


      ◇


 学院の男子寮は、教室のある中央棟を挟んで女子寮の反対側にある。普段通い慣れない青を基調としたステンドグラスの渡り廊下に、きょろきょろと興味深げな女子たち。一方でフィヨルドはセイレーンを抱きかかえたまま、今朝来た道を逆戻りしていた。


「カインとは、隣の部屋同士だったか?」


 問いかけると、フィヨルドはまたもや鱗だらけにされながら、視線だけをリヒトに向けた。


「はい。でも、僕が部屋にいる朝と夕方は静かで、物音はあまり聞こえてきません。時折バタバタと、鳥の暴れるような羽根の音が聞こえるくらいで、気になったことは特に……」


「鳥の羽? でも、寮はペット禁止でしょう?」


「おそらく召喚獣だろう。カインの召喚獣は天使。ピエールのガブリエーレとまではいかないが、それでもれっきとした上位召喚獣に変わりない。だからだろうな、彼が部屋から出てこないのは」


「「だから……??」」


 きょとんとする生徒たちは、知らないのだろう。

 およそ天使や女神とは、総じて『ダメな人間』を庇護し、愛したがる傾向にあることを。


「カイン! 出て来い! 授業に出ろ!」


 ダァン! と扉を叩くと、その腕をシュエリーが抱き着くように止めに入る。


「せ、先生! そんなんじゃ余計引き籠っちゃう……!」


「甘やかすな。カインは別に心を病んで欠席しているわけではない。おそらくこいつは部屋にいるのが楽で居心地が良いから籠っているだけだ。そうして、俺たち教師と、世間をナメている」


 リヒトは短く舌打ちをすると、指をパチンと鳴らして部屋に張ってあった守護結界を解除した。パキン、と小さくガラスの割れる音を確認し、再び扉を叩く。


「そこにいるのはわかっているんだ、大人しく出てこい!」


 すると、部屋の中からくぐもった声が聞こえて来た。


「うわ、先生だって。よくも懲りずに毎日来るよねぇ。でも、今日はなんだか声が強気で――」


「マスター。アレは、ピエールじゃないわ」


「え、うそ。じゃあ誰なの?」


 その返答に、鍵がバキリと壊されて扉が開け放たれる。ゴミを見るような目で自分を見下ろしているのは、黒い髪の教師――あれは確か副担任の、リヒト=ナガツキだ。


「ピエールめ。世話を焼いてやっているのは知っていたが、まさか毎日構っていたとは。呆れたお人好しだ」


 「その善意をよくも無駄にしてくれたな」と、凍てついた目が語っていた。


「うわ……こわ」


 思わず被っていた毛布を手繰り寄せる。カインの部屋は、これはもう見事と言うべき堕落の有様だった。ベッドを中心に床に散らばった菓子の袋。ゲームの画面がつけっぱなしのパソコンに、通販の空箱がいたるところに無造作に重ねてある。学校の寮としては十分すぎるはずの個室が手狭に感じるくらいには、服やモノが溢れかえった汚部屋だった。

 その空間において唯一の清廉さを保った天使サリエルだけが、異様に輝いて見える。純白の四翼に、透き通る薄藤色のミディアムボブ。従順を絵にかいたような端正なすまし顔はどこか無機質なようでいて、奥に底知れぬ妖しさを秘めているようだ。

 だが、もっと驚くべきは、その隣でベッドから半身を起こしたカインの顔の造形だった。


「うそ……」

「わぁ……」


 メアリアとシュエリーが思わず感嘆の声を漏らすくらい、カインは。顔だけは。天使の主にふさわしいと言えるくらいに整っていた。カインがふわりとした金糸の髪を無造作にかき、近くにあった分厚いメガネをかけると、その顔は一瞬にして隠れて残念なオタク男ができあがる。


「うわぁ~来たよ。遂に来た。ピエール先生、自分じゃ手に負えなくなって応援を呼んだんだ。しかもこんなに沢山。生徒まで巻き込んじゃって……でもね、ボクは部屋から出る気はありません。お可哀想なことです。ぷぷぷ」


「うそ……」

「うわぁ……」


 メアリアとシュエリーが、同時に暗いため息を吐く。

 「こいつはねぇわ」――言われなくとも、表情ですべて伝わった。


「お前の意思に関係なくとも連れて行く。これは他の生徒の為だから。だが、一応だ。部屋から出る気がない理由を聞かせてもらおうか?」


 尋ねると、カインは「高圧的~パワハラで訴えたら勝てるんじゃないコレ?」とかぶつぶつ呟きながらメガネを押し上げた。


「『なんで?』も何も。天使様を召喚した時点でボクは勝ち組確定ですから。

 天使様は、破格の治癒の力を誇る――将来は医療系か教会系の大企業に引っ張りだこで就職できるし、会社の目的は天使様の利用。これ幸いウチの天使様は素直でお顔も可愛いですから、企業としてはプロモーションにうってつけだよねぇ。

 でもって、ボクはマスター……もとい、天使様の魔力タンクをしているだけでど楽勝に収入を得られる。ボクが寝て健康に過ごすことで天使様の魔力も潤沢。みんながハッピー。よって部屋から出る必要がありません。それじゃあ――」


 再び布団に籠ろうとするそいつを、リヒトはむんずと掴んで床に投げた。くたびれた鼠色のスウェットに身を包んだ残念男が「ぐひゃあ」と転がり、ベタベタと床を手探りしてメガネを探す。リヒトは吹き飛んで足元に転がってきたメガネを拾い上げて胸ポケットにしまうと、再びゴミを見る目を向ける。


「少しはピエールを見習ったらどうだ? あいつはお前よりも上級の天使ガブリエーレを連れているが、教師としての職務に日々励んでいるぞ」


「知りませんよ、そんなこと。ボクとピエール先生は関係の無い一個人。同じような境遇だからってボクがどう生きようが勝手でしょう? そんなことを言うのなら、ピエール先生だって学校なんかじゃなくて医療系の企業に就職すればよかったんだ。そしたらあぐらをかいていても出世コースで万々歳だったのに」


 不貞腐れたようにそっぽを向くカイン。悲しいことに、リヒトはその胸の内が痛いくらいにわかるのだ。それはまるで、自分の黒歴史を見せつけられているようだった。心臓がむずくて痒くてたまらない。


「お前にひとつ、いいことを教えてやろう」

「?」


 リヒトはおもむろに袖を捲ると、金の腕輪が見えるようにして掌を天使にかざす。そして、天使に向かって尋ねた。


「お前……このてんでやる気のないダメ男のどこがそんなに気にいったんだ? どうして召喚なんぞに応じた?」


 すると天使は、ふわりと屈託のない笑みを浮かべ、


「だって、この人は、どんなことがあっても絶対、私の存在を肯定してくれるから。だってそうでしょう? 


 そのに腕輪が呼応し、金の鎖が天使の手首を手錠のように拘束した。


「はは! まだ鎖が残っていたか。何をしようと無駄だ。この鎖はな、ある特定の条件を満たした者を絶対的に拘束する特注の呪具だ。わけあって鎖の大半が他の用途に使われているが、残った鎖でもこいつの両手を拘束するくらいはできる。その気になれば、手首を引き千切ることだってできるぞ?」


「なに、これ……取れない……!」


 苦痛に顔を歪ませながら、天使は両手をもぞつかせる。見たことの無い苦悶を浮かべる天使に、カインは思わずかけよった。


「サリー!」


 ぺたんと座り込んで腕を振り回す彼女を労わるように、両肩に手を添える。


「マスター、助けて……これ、痛い……!」


 うっすらと涙を浮かべるその表情に、カインは立ち上がってリヒトの胸ぐらを掴んだ。


「拘束を解け! あんなに痛がって……可哀想だろう!?」


「なら引き千切ってやればいい。天使様は万能で、優秀で、お前は勝ち組なんだろう?」


「……ッ!」


「ペンチでもバーナーでも、なんでも試してみたらどうだ? ほら、天使が助けを呼んでいる」


 淡々と告げると、カインは渋面を浮かべてぼそりと呟く。


「無理に決まってるだろ。限定条件を満たした対象を拘束する? ふざけるな。言語を用いた呪いだなんて、条件の絞り込みが。あんなの……神にだって振りほどけない」


「わかるのか」


「見りゃわかるでしょ」


 ……普通はわからない。


 トラップ型の呪いというのは、発動の条件が厳しければ厳しい程に強力な力を発揮する。湖の上で、晴れた空の元で、自分が背後にいるとき、など。条件は様々だが、中でも言葉――『ある特定の言語を相手に言わせる』というのは最も満たしづらく難しい条件だ。だからこそ、ときに神すら拘束しうる力を持つのだが……

 リヒトはただ、『ある特定の条件』と告げただけだ。なのにカインは、それを『言語』だと看破した。見ただけで。


(こいつは中々……面白いかもな)


 思わずにやりとほくそ笑むと、カインに顔面を殴打される。


「なに笑ってんだよ、いいから拘束を解け。そっちがその気なら、次は刃物を持ちだすぞ」


 十四歳にしては拙い、まったく打ち方のなっていないへなちょこのパンチ。だが、彼にとっては全力だったのだろう。肩で息をしている。

 宣言どおり、カインは机の引き出しを開けると一本のサバイバルナイフを取り出した。通常であれば段ボールの開封に使うだけのなんでもないもの。しかし、鬼気迫る彼が握ればそれはたちまち凶器となる。初めて見る主の怒り狂った姿に、天使も呆然と彼を見上げるだけだった。

 リヒトは刃物を持ったカインの手首をいとも簡単に掴んでなだめ、穏やかに告げる。


「世界は広い。上には上がいることがこれでわかっただろう? より強い者を相手に、お前は無力だ。お前は、大切なものが窮地に陥ったとき、何もできない自分を悔やんで憎んで殺したくなるだろう。そうして、死んだところで何も残らないことに気づいて、また死ねなくなる。

 大切なものを失い、長い時間をひとり彷徨って、手元に残るのは何なのか。……何もない。それはただ、そよ風にすら攫われ消えてしまうような、白い砂の粒だけだ」


「……何が言いたい? お説教なら手短にしてくれませんかね」


「強くなれ、カイン。来るべき死のそのときに、無念と後悔を抱かずに済むように。その為にはまず授業に出ることだ。丁度いい、今日はこのまま体育館で体術をしよう。俺が、『刃物を使った本気の体術』について教えてやる」


 パチン、と指を鳴らすと天使を拘束していた鎖が解かれる。カインはナイフを放り出し、すぐさま傍に駆け寄った。


「サリー! 大丈夫か? 今すぐ保健室に……」


「マスター、皮膚の外傷なら治療できます。魔法を使うから、手を握っていてください」


「わ、わかった」


 ふわり、と風が手首を撫でると蛍のような光を灯して瞬く間に傷は癒えた。ほっと安堵の息を吐くカインに、天使サリエルは困ったように笑みを浮かべる。


「どうしましょう。私、少し思い違いをしていたみたい。これは想定外です」


「なにが?」


「マスター、案外男らしいところがあるんですね?」


 「怒ってくれて、ありがとう」。そう微笑みで告げる天使は、想定と少し違った主に想定外のよろこびを感じたのだった。安堵のあまりしばし俯いていたカインは、短く舌打ちをすると気だるそうに立ち上がる。


「……授業、受ければいいんでしょう?」


 こうして、SSR一年のクラスが全員、顔を揃えることとなったのだった。

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