第14話 白百合の少女


 生まれて初めての弟子は、敬語が拙いまっすぐな目をした少年だった。

 その目的は――復讐。

 白き心に黒い炎を抱えた、なんとも危うい存在だ。


「はぁ。どうしたものかな……」


 なにせ弟子なんて取ったことが無い。一口に『強くなりたい』なんて言われても、何をどう強くすればいいのか。曖昧模糊もいいところだ。


 そもそもリヒトは彼の言う『名前を取り返す』の事情も理解していない。彼が憎む白河という者に呪詛で名を奪われたのか、社会的な意味での剥奪か。いずれにせよ具体的な解決策が見えてこなかった。

 村正はどうにもひとりで復讐を遂げたがっているようだし、こちらはこちらで暗殺犯も探さねばならない。突っ込んで聞くのも藪蛇か。


 とりあえず、ひと気の無い夜の時間帯に補習授業というカタチで稽古をつけることになったのだが……

 村正は、武術のセンスはピカイチだったが魔法はてんでダメだった。

 剣術推薦で最高峰の成績をおさめているとは聞いていたが、じゃあどうして特待制度なんて利用してまで召喚学校に来たんだか。尋ねると、『巫女に予言されたから』だと。もう意味が分からない。ここは中世じゃないんだぞ? まじないなんぞで進路を決める奴があるか。


「はぁぁ……どうすればいいんだ……」


 放課後。図書室で大きなため息を吐き頭を抱える。

 この数週間でわかったことがあった。教師とは、自分さえ強ければどうにかなるというものではないのだ。フィヨルドの泡化事件のこともそうだが、いくら自分に力があっても生徒の身に降りかかる危険の全てを取り除くことはできない。

 あのときはたまたま何とかなったからよかったものの、次もどうかはわからない。そう考えるとぞっとする程度には、教師が板についてきていた。


 人間嫌いだったはずの自分がよくわからない子どもの心配なんて。まったく、どうしてしまったんだか……

 自身の思いがどうであれ、教師である以上、生徒はエヴァンスの大切な忘れ形見。もし同じことが起これば、自分は生徒を守るだろう。だが、教育……教育ねぇ。こればっかりは、どうしたものか。


「ああ、こんなとき、エヴァンスがいれば……」


 そんな弱音を吐くくらいには、リヒトは教育者としてはまだまだひよっこだ。そもそも『初めての子育て』なんて育児本を手にしている時点で既に色々と間違えている。

 山積みに脇に置かれた育児本はどれだけ読んでも解なんて与えてくれない。あのエヴァンスですら何十年と教育に奔走してきて、満足のいく結果を遺せたかすらわからないのに……

 せめて死ぬ前にもう一度、あいつと話がしたかった。これは、そのための復讐でもある。


 らしくもなくセンチメンタルな心地で窓の外を見やると、白いカーテンの影で何かがふわり、と揺れた。


(あれは……)


 春の風に靡く白い髪。繊細なロング丈のワンピースに薄手のカーディガン。ミュールも、そこから覗くくるぶしさえも真っ白で、まるでそこだけ色の無い世界のようだった。あるいは、感情のない、窓辺に咲く白百合のような――


 オフィーリアだ。


 ……美しい。

 ただ、その言葉しか浮かばない。

 彼女という存在は、見た者を狂わせてしまいそうな程の危うい美しさを湛えていた。出で立ちは可憐な少女だというのに、どこか魔性すら感じさせる。


 思わず目で追っていると、彼女は授業の資料作成に来ていたのか、仕事を終えて沢山の本を棚に返却しているところだった。震える指先は折れてしまいそうで、華奢なミュールとあの爪先で何を支えようというのか。


「届かないのか」


 思わず手を差し伸べると、驚いたような瞳がこちらを見上げていた。吸い込まれそうな碧だ。戻そうとしていた本を取り上げて棚にしまうと、彼女はさっと手を引っ込めた。


「あ、の……」


 言葉を発しているのは初めて見た。おどおどとした、幼い少女のような印象を受ける。


「なんだ、指先が触れたのが気に障ったか。それは失礼したな」


 そんなに嫌がることないのに。それとも、初心なのか?

 どこか不貞腐れた心地で席に戻ると、オフィーリアがおずおずと近づいて来る。

 本から視線をあげると、彼女はぺこりと頭をさげた。そして、蚊の鳴くような小さな声で。


「……ありがとう……」


 ずきゅん、と胸を撃たれた心地がする。


「その……触った指先、大丈夫だった……?」


「なにが?」


 尋ねると、オフィーリアはもじもじと視線を逸らしながら呟く。


「私に触れた人、声を聞いた人、なんだかおかしくなってしまうから……」


 自分で言うのは恥ずかしいのか、顔が赤い。だがそれがなんとも言えず愛らしかった。


「ふふ。自分に惚れてしまったんじゃないかって? 随分とおしとやかな慢心姫がいたものだ。流石の俺でも、ちょっと触れただけで恋に落ちるほどヤワじゃない。青春を謳歌する生徒たちでもあるまいし」


 冗談を返すと、存外、彼女は驚いたように目を見開いた。


「私の呪いが効かないの……?」


「呪い?」


 瞬間。ハッとしたように口を噤む。

 オフィーリアの見た目があのように白く幼いのは、『白い蝶々ティタニアに呪われた証』だと聞いたことがある。だが、それとこれと何の関係があるのか。

 リヒトは思いついたように口を開いた。


「何かの縁だ。少し話さないか?」


 そう言って、隣の椅子を軽く引く。

 丁度いい。これを機に、少しオフィーリアを探ってみよう。こんな可憐な少女がエヴァンスを殺したとは思いたくないが、強力な術者や呪い持ちなら、可能性はゼロではない。


「それとも、テラス席の気持ちいいカフェをご所望か? でもなぁ、あそこは若いカップルに人気の店だ。すぐに噂されてしまうぞ、『先生たちがデートしてた』とな」


 冗談めかした物言いに、オフィーリアは驚きと動揺が隠しきれない。


 自分の呪いは、会話した者を男女関係なく誘惑し、心を惑わせ、それでいて触れれば寿命を吸い取ってしまう――愛することも愛されることも許されない、永遠の孤独を課された罪の証だ。

 なのに、何故。この人はこんなに平気な顔をしているのか。


 触れたのがほんの一瞬だったから? それとも、呪いを上回る加護がある?

 いや、そんなはずはない。もし仮にそんな加護があったとしても、呪いが跳ね返されたのなら自分に何かしらのダメージ、呪詛返しが返ってくるはずだ。だとすれば、下位の呪いの影響を受けない、自分以上の呪い持ち……ばかな。それこそありえない。

 自分の呪いは、世界でも有数の妖精姫が命と引き換えにかけた、とてつもなく強力な呪いで……


「あの……ほんとうに、大丈夫……?」


「だから何が?」


 不思議そうに首を傾げる顔を見る。この春新しく入ってきた教師のリヒトは、見た目は二十代の青年だがエヴァンス前校長の旧知であることから結構な歳であることは理解していた。しかし、若返りの秘術や細胞活性魔法をするにしても、あまりに肌つやが衰えていないようだった。

 それに、さっき触れたときに老いて皺が刻まれた形跡もない。自分に触れて無傷な人間を見るのは、何年ぶりだろう。


(まさか、この人も私と同等の歳を取らない呪いを……?)


 時間に、人に、置いて行かれる呪いを――


「おい。そんなにまじまじと見つめられると、流石に照れるのだが……」


 気が付くと、顔が目の前にあった。少し長い黒髪に、茶褐色の瞳……魔法使いの外見ほど宛にならないものはないが、もし偽りがないのなら、本当は東方出身なんだろうか。皮膚を観察しすぎて息がかかりそうな程接近していたことに気付かなかった。


「あ。ごめん、なさい……」


 会話を始めてから何分経った? そろそろ五分か、まだ三分か。常人であれば誘惑されて、自分に迫る言葉や賛辞のひとつでも吐いてくる頃合いだが……

 リヒトは自分をそれなりに好意的に思ってくれているようだが、言い寄るような素振りはまったく見せなかった。


「おい。おーい。さっきからぼーっとしてどうした? まったく、読めん奴だな。調子が狂う」


 こっちの台詞だ。


「大丈夫なら、いいの。でも、もし体調が悪くなったら言って。少しなら妖精魔法で具合を和らげることができることができるはずだから……」


「ほう。妖精魔法の使い手なのか。なるほど、それで妖精学の担当を――相棒の召喚獣も妖精なのか?」


 その問いに、オフィーリアは目を伏せる。


「召喚獣なら……もういないわ」


 図書室に異様な静けさが満ちる。沈痛な面持ちで、リヒトは理解した。


「願いを叶えてこの世界を去った……という風には見えないな。死んだのか」


「ええ」


 なら、これ以上は聞くまい。

 いくら暗殺の犯人を探しているとはいえ、傷心の少女にここで根掘り葉掘り探りを入れるのもどうかというもの。それに、オフィーリアは強力な呪い持ちだ。彼女にここまでの呪詛をかけた奴……生きているなら力を借りたい。強力な術者であれば、エヴァンスが呪いにより殺されたかどうかを見ただけで判別できるかもしれないからだ。


 フィヨルドの召喚獣――セイレーン程度の術者では、見ただけでは流石に無理がありそうだ。より強力な呪詛の使い手が欲しい。セイレーンをこちらの世界に送り込んだという『海の魔女』の協力が得られるのなら話は別だが……


「まぁ、なんだ。今日はやる気が削げた。集中して本を読むなんて数年ぶりだからな、脳が糖分を欲している。食堂でケーキでも食べようと思うのだが、よければどうだ?」


「え。ケーキ?」


 表情の乏しい顔に、ほんのり明るい色が刺す。どうやら他の女子共よろしく、オフィーリアも甘いものが好きらしい。


「オススメがあれば教えて欲しい。なにせここの食堂は優秀すぎてどれも美味そうに見えてしまう。手当たり次第に食べてもいいが、いったい何種類あるんだか。来たばかりの俺には少しハードルが高くてな。付き合ってくれるなら茶のひとつでも奢ろう」


 オフィーリアは再び驚く。呪いのせいで多くの男に言い寄られているから、よくわかるのだ。彼の誘いと表情には、なんの下心もなかった。

 それに、誰かと一緒にお茶するだなんて……何年ぶりだろう……


「わたしで、よければ……」


 もじもじとそう呟くオフィーリアは実に可憐で、純粋で。窓際の肥やしと陰口を叩かれているようには思えない。

 だが。

 こんな白百合がいれば是非とも窓辺に飾っておきたい――そう思わせる、少女だった。

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