第13話 弟子

 翌朝。職員室の清掃当番のピエールに代わって朝のHRに向かっていると、ふと背後から呼びかけられた。


「おい」


 縞模様の黒い着物に申し訳程度の制服を羽織っている――東の出身か。いくら郷土の文化が好きとはいえなんとも自己主張の強い奴だ。ここでは皆制服なのに。郷に入っては郷に従えという諺を、敢えて無視しているのだろうか。


 腕を組んで、態度も無駄に尊大で。プライドが高い証拠。しかし、隣の狐はそうでもないらしい。緋色の和服からはみ出す尻尾をふりふりと、心配そうに揺らしている。


「ちょっとぉ、先生に向かって失礼だよぉ……! お願いすることがあるんじゃないの?」


「そうだ、やり直せ。教師だからと肩書きで威張るつもりはないが、頼みたいことがあるのなら、今のは人にモノを頼むときの態度とはいえないな」


 ぴしゃりと告げると、赤茶の髪の少年は視線を下に右往左往させながら呟く。


「え、ええと……先生、いま、ちょっと、いいですか……」


 なんだこいつ。下手くそか。


 だが、存外潔い性格らしい。言われたことをそっくりそのまま直す気持ちはあるようだ。


 それに、リヒトはこの生徒に見覚えがあった。あの入学式――クラス分けの日に、「どうして俺がNクラスに」と渋面を浮かべた生徒だ。

 そして、左胸のバッチは特待生の証。腰に差した刀と凛とした立ち姿が、武術の道を心得ていることを醸し出す。おそらく、かなり出来る方なんだろう。だからこそ、隣の狐がNランクなのが許せない。

 おおよその事情は察した。リヒトは静かに問いかける。


「これから朝のHRなんだ。要件は手短に。個人的なクラス替えが希望なら、それは認められないがな」


 だが。少年の答えは――


「そうじゃない。クラスがなんとかっていうんじゃないんだ。目的さえ果たせれば、クラスはどこでも構わなくて……ただ、今のクラスじゃあ俺が学院に来た目的が果たせないというか……」


 下手くそな丁寧さが、もぞもぞと言葉を濁らせる。ただ、今のは聞き捨てならない。


「……目的?」


 尋ねると、少年は一変してまっすぐにリヒトを見据える。


「強くなりたい。俺を弟子にしてくれ……さい」


「……!」


「俺は、強くなって果たさねばならない。祖先を計略にかけて家を貶め、その名と資格を奪った白河の奴らから、奪われた全てを取り返す……そのためには、力が必要なんだ」


「復讐か。不穏な願いだ」


 だが、どうしようもなく耳を傾けてしまう。他人事には思えないのかもしれない。しかし、エヴァンスを殺した犯人を探している今、そんな時間は――

 東の権力情勢がどうだかは知らないが、家名を賭けた復讐ならば下手に手を貸すのも面倒だ。適当に、断ろう。


「弟子にしてくれるなら、俺はなんだってする」


「はっ。お前のような若造の男に期待する見返りなんて何もない」


「女ならあるのか? 最低だな」


「ほう……」


 こいつなかなか、度胸がある。俺を挑発するつもりか。

 リヒトは内心でわくわくし始める。実はちょっぴり憧れていたんだ――弟子ってやつに。


 近代化が進んだ現在においても、そこそこ生きた魔法使いは、おさめた魔法を遺す目的で今なお弟子を取ることが多い。エヴァンスだって沢山の弟子をとり、彼らに魔法を教えてきた。その最たるものが『学校』だとも言えるだろう。


 しかし、リヒトは弟子を取ったことが無い。自分の寿命はかなり長いと自覚していたせいか、まず死ぬビジョンが見えないからだ。

 魔法使いは自分の死を終点に、逆算をして弟子に魔法を伝授する。死ぬまでに、全てを教え切れるように。だからリヒトは自分から弟子を探すことはなかった。


 それに、いままで誰かから教えを請われることもなかったのだ。なにせ彼はわがままで、尊大で、気まぐれで。およそ人間――師としては最低の部類に入るだろうから。弟子入りを考える人間には、まず最初にパワハラされるビジョンが浮かんだのだろう。それに関しては何も言うまい。賢い選択だ。とどのつまり、リヒトは弟子童貞だった。


 だが、心のどこかで憧れていたのだ。弟子を持ち、魔法を授ける――その志は、エヴァンスの持つ博愛の精神に似たところがあるだろう。自分もああなりたい、ああなれる、と思ったことはないのだが、弟子に魔法を教える彼を横目で見るのは好きだった。


 懐かしい思い出と共に、リヒトはかつて夢想した『弟子のいる生活』に思いを巡らす。

 ああ、でも。


「初めての弟子は可愛い女子がよかったな」


 思わず零すと、ふたりは一、二歩後ずさる。


「うわぁ……」


「やっぱり最低だ、こいつ」


「どうするの? 村正様」


 耳をぴこつかせる狐の問いに、少年村正は「だが、ここで退けない」と姿勢を正した。


「先生。お前……何か探しものをしているだろう? モノ……いや、探し人か?」


 不意の問いかけに思わず固まった。


 何故、それを――


 自分はそんなにわかりやすい態度をしていたか? すれ違う人間がすべて疑わしいと視線を飛ばしていた? まさか、そんなはずはない。


 ――勘付かれた。こんな若造に。

 何故? いやそれよりも、口を封じなければ。


 リヒトは飄々と構えたまま問いかける。


「どうしてそう思う?」


 村正は所在なさげに視線を動かし、


「いやぁ……なんでって言われてもなぁ。なんとなく? あんたは普段人と目をあまり合わせないようにしてる風だけど、時おり見透かすような目で誰かを見ていることがある。なんだかいやらしい目で。だから……かな?」


 その返答にリヒトは納得した。村正の腰に下げられた大ぶりの刀。周囲に見せるようにした和装、東風の出で立ちに、特待生バッチ――

 こいつ、武術の使い手か。


 剣道、柔道、合気道……それが何だか知らないが、東出身の人間はそれらを好んで極めるという。彼らは常人離れした体捌きに加え、オーラや経絡、経穴などの流れで人を見極める。東特有の占術『鬼門遁甲』なども合わせて用いることで、邪な想いや気配を察知して受け流すこともできるとかなんとか。

 それらはときに魔法や科学の範疇の外から、得体の知れない力でこちらに干渉してくる……さすがのリヒトも鬼門遁甲までは修めていない。困ったものだ。


「誰かを探しているのなら、俺も手伝う。こう見えてこっちの狐は占いが得意みたいだし、つーかそれしかできねぇし。探してるものがあるなら力になれる。

 それに、どんな山奥だろうが海底だろうが俺は言われれば探しに行くぜ。誰かに教えを請おうっていうんだ、都合のいい小間使いになるくらいの覚悟はできてる。なにせ俺に差し出せるモノなんて、それくらいしかないからな」


「偉そうな態度の割にわかっているじゃないか。身の程はわきまえているということか」


「悪かったな、偉そうで」


「わざとじゃないんです。許してください。村正様はただ、その……敬語が下手くそなだけで」


「う、うるさい」


 バツが悪そうに顔を背ける村正。狐はというと、丈の短い赤白の巫女装束からのぞく尻尾をふりふりと、楽しそうだ。なるほど、いくら主従とはいえ狐はどこまでいっても狐。人をからかうのが好きらしい。口元に手を当ててころりと笑う姿がとても愛らしかった。

 それにスタイルも抜群だ。襟元から零れ落ちそうな胸に、真っ白くすべらかな肌。召喚獣としてのランクはNでも、女としてはSSRの部類に入る。何よりあの尻尾。もふりたい――


 ふいにそんなことが頭に浮かび、閃いた。

 リヒトは困ったように首を傾げて肩をすくめてみせる。


「ふむ、バレてしまっては仕方がない。実はな、『運命の人』を探しているんだ」


「「『運命の人』??」」


 途端、ふたりはぱちくりと顔を見合わせる。


「俺の探し人……それは、生涯を添い遂げる可憐な花嫁なのだ。いやはや、誰かに勘付かれるとはどうにも恥ずかしいものだな。この際だから白状するよ、俺は学校で嫁にふさわしい女性を探している。要は女を漁っているのだ。老いも若きも、獣も魔女も。この学校には魅力的な女性が溢れているのでな。ついつい目移りしてしまうんだ。はは」


「うわぁ……」


「こいつ、教師としても最低だ……」


 ふたりは心底リヒトを軽蔑したようだが、それで構わない。人探し――それが犯人探しだとバレなければいいのだから。


「ふふ、誰にも言わないでくれよ?」


 わざとらしく唇に人差し指を当てる。すると、村正は何を思ったか「あ。それなら」と、ポケットからスマホを取り出し見せてきた。

 映っているのは女性の写真。濡れ羽の黒髪をひとつに纏めた、弓を引く絶世の美女……思わず息を飲む。それはなんだか、初恋の彼女に似ていた。


「超美人だろ。俺の姉ちゃん。東の美少女コンテストで歴代最高得点保持者だ。文武両道、清廉潔白、おまけに料理もめちゃくちゃ美味い」


「なんだ、自慢か」


 不貞腐れると、村正は首を横に振る。


「俺を弟子にしてくれるなら、姉ちゃんを紹介する。白河の奴らから取られたものを取り返せるっていうなら、姉ちゃんだってそれを望んでる。かつて帝から賜った名誉ある名と資格は、一族の誇りだったんだ。

 だから、もしあんた……いや、先生が。俺を強くし、願いを叶えてくれるなら。姉ちゃんもその恩義に報いるだろう。十中八九、間違いなく。俺達は奴らと違って、誇り高い鳥羽の血脈なんだから」


「ふっ。姉を担保に弟子入り志願か? バカめ。それが誇り高い者のすることか」


 鼻で嗤う。すると、村正はにやりと口角をあげ、


「まぁ、先生が姉ちゃんに『勝てれば』の話だがな」


 その顔は「絶対無理に決まってる」という顔だ。


「……そういうことか」


 嫁にしたけりゃ私を倒してみせなさい?


「はっ」


 面白い。


「いいだろう。生徒の姉を紹介してもらう代わりに力を貸すなんて、教師としては下の下だが、生憎俺も男なのでな。弟子入りを許可する」


「うわぁ……」


 ドン引く狐をよそに、交渉は成立した。


「お前、名は?」


 尋ねると、少年はまっすぐにこちらを見据えて口を開いた。


「村正。鳥羽・千子ノ守(せんじのもり)・村正。千子ノ守っていうのは、白河に奪われた名誉ある名だ。俺はそれを取り返したい」


 その目はどこまでも澄んでいて、およそ復讐には似つかわしくなかった。

 不意に、エヴァンスの言葉が蘇る。


『生徒が道を踏み外そうとするとき、正すのもまた、教師の務めなんだよ』


 リヒトはいやらしい笑みを浮かべていた口角をふわりと緩ませる。そうして、そっと手を差し出した。


「交渉成立だな」


 少年は、その手をしっかり握り返した。眩いばかりの、少年らしい笑みで。


「よろしく頼むよ、!」

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