第8話 はじめての授業

 春爛漫の新学期。一番初めの授業というのは、生徒も教師もどこか浮足立ち緊張するものだ。

 特に、今期からは能力別上下関係丸出し編成のため上級生も気合十分。校内を歩く度に、この『魔の制度』を高らかに宣言したリヒトには良くも悪くも視線が注がれる。


 元気に「おはようございます!」と挨拶をするのはリヒトが怖いからなのか、それとも媚びを売っているのか、生徒に紛れて俺を観察しているのか――


「ちょっとリヒト先生。朝から何気色の悪い笑みを浮かべているんですか。おはようございます」


「ん? ああ、ピエール。おはよう」


「「ピエール先生、おはようございます!」」


「はい。おはようございます」


 朗らかに笑みを返すピエールに感心しつつ、口角をあげる。


「いやぁ。元気な挨拶ほど信用ならないものはないなと」


「なに捻くれているんです? 素直に『おはよう』って返してあげてくださいよ」


 学校とは、そういうものらしい。少し気にし過ぎか。


 リヒトとピエールの最初の授業は、担任であるSSR一年生のクラス。HRの後にそのまま授業に移ることとなっている。

 女神すら使役する魔法使いのリヒト。何が悲しくて十三、四歳の若造を相手に学校の授業を――と思うなかれ。リヒトには教鞭を振るう以外に、彼自身の目的の為に授業を行うメリットがある。


 昨夜の手紙。シルスマリアはこう言っていた。


『遺体に目立った外傷はなかったわ。それこそ不思議なくらいにね。でも、それなりの使い手が外皮の治癒と幻術などを複雑に重ね合わせれば傷を隠すことはできる。それに、呪殺の可能性もあるわ。なにも苦しませることが呪いの全てではないの。眠るように安らかに殺す呪いだってあるのよ』


 つまり、遺体を検分に来るのなら、見ただけでそれらを看破できるその手の専門家を連れてきて欲しいとのことだ。

 シルスマリアの北の城までは片道一週間はかかる。極北の大地はマナが常に流動し乱れている為、転移するにも座標の指定が難しく、風が強くて箒も空を飛べないからだ。無論、飛行機も。

 だから、行くとすれば長期休暇の夏休み。それがタイムリミットだ。


 同時に、シルスマリアは彼女の弟子を他校の魔法学校に潜入させたと言っていた。

 大陸に七つある魔法学校のうちの三つ。


 アーサー=キングス王立剣術学校、ドクトル=ファウスト魔術学院、パラケルスス錬金研究大学付属高等学校。


 残りの三つについては事情が込み合い未だ潜入の段取りが組めていないというが、一校長の暗殺というからには大陸で権力を争う他校の校長も容疑者として視野に入れなければならない。これはその為の布石だという。

 そして、シルスマリアの弟子同様リヒトに頼まれたのが、専門知識や力を持つ者の確保というわけだ。


 クラスを能力別に編成しておいて尚のこと正解だ。シャポンには、機会があれば担当以外のSSRクラスも授業させてもらえるように話しているので、強力な召喚獣の手を借りるならこれを逃す手はない。幸い、『呪詛の使い手』には既に心あたりもある。

 リヒトは、笑顔の裏に隠しきれない緊張を浮かべるピエールの肩を叩いた。


「さぁ行こうか、。今日から俺達、生徒たちの、新たな生活の始まりだ」


「はい……!」


 深呼吸をしてこわばっていた肩の力を抜く。ピエールが教室の扉を開けると、そこには四人の生徒が待っていた。早速、ピエールががっくりと肩を落とす。


「あれ? ひとり足りない……?」


 気を取り直して教壇に立ったピエールは「皆さんおはようございます」と「キミ達の担任になれたこと心から嬉しく――」うんたらかんたらと。軽く挨拶を交わして出欠をとり始めた。

 名前を呼ばれる度に挙手をして返事する四人の生徒たち。そして、最後――


「カイン=エデニエル」


「…………」


「……君は、お休みのようですね。誰か、彼が欠席の理由を知っていますか? 保健室から体調不良の連絡は無いようなんですけど……」


 すると、ひとりの生徒が手をあげる。黒く艶やかな髪を垂らした、顔立ちのはっきりとした美少女だ。

 凛とした眼差し、覇気のある声音。一分の隙も無く着こなされた制服やぴんと伸ばされた手を見るに、真面目な優等生タイプ。こうして教師が困っていると真っ先に助けてくれるいい子ちゃんとも言えるだろう。


「雪麗(シュエリー)=秦栄さん、知っているの?」


 尋ねると、少女はきりりと背筋を伸ばす。主の立派な姿に隣でもふもふと尻尾を揺らすのは、体躯の大きい白のライオン……でなく、東の神獣、白澤だ。


「私、カイン君がモーニングの終わるぎりぎりの時間に朝食を食べに来たのを見ました。体調不良なようには見えなかったけど、そのあと部屋に帰ったところ、誰か見た?」


 すると、隣の席で背を丸めていた少年が声も小さく返事する。


「僕、彼の隣の部屋だけど。授業に出る時はまだ中にいたみたいだよ。ひょっとしたら二度寝して、まだ部屋にいるんじゃない?」


 あの怪しい取引をしていた呪詛使いの少年、フィヨルドだ。だがおかしい。彼の隣にいるはずのセイレーンはおらず、代わりに悪魔の羽が生えた黒猫、デビルキャットが膝に乗っている。

 リヒトは瞬時に、あの取引の内容を理解した。


(ははぁ。あいつ、やりやがったな……)


 丁度いい、彼にはこの後の授業で軽くお灸を据えてやろう。


「あたしぃ、部屋見てきましょおか?」


 シュエリーとは正反対に、制服をだらりと気崩した女生徒が頬杖を突きながら手をあげる。

 鮮やかな赤毛をふわりと肩位置に揺らすのは、艶やかなサキュバスの少女を連れたメアリア=クレイヴン。

 残るひとりはぼーっと窓の外を見つめて、我関せずを決め込んでいる。


「ああ、いいよ。僕が見てくる」


 そう言って教室を出ようとするピエールを、リヒトは制止した。


「初日から遅刻、欠席。やる気のない奴は放っておけ」


「でも、せっかくの初授業なのに……」


「だから何だ? 皆揃って仲良く始めたい? それはお前の願望だろう。カインの不手際により教師のお前が教室を抜ける……他の生徒にはいい迷惑だ。俺たちが授業を怠り生徒が成績を落とせば、来年には彼らは揃ってこの教室にはいないのかもしれないのだぞ?」


 ひやりと教室に冷気が満ちた。生徒たちは一瞬で、リヒトが副担任の肩書きを持つだけの支配者だと理解する。特に、あの腕に付けた金の腕輪……サキュバスは一瞬にしてメアリアの後ろに縮こまった。


「メアリアぁ。わたし、アレやだ怖い……!」


「ちょ。リィス? しっかりしてよ。センコーは誰だって怖くてメンドイもんだって」


「なんだ早速尻尾を巻いて逃げ出すか? いいぞ、誰も止めたりはしない。来年になってお前の主が困るだけ。ほら、最初の講義は俺がする。各自教科書を――と言いたいとこだが、最初はビデオを見て貰おう。別に説明をさぼりたいわけじゃないぞ」


 とは言いつつ、ビデオを見せている間に彼らの召喚獣と反応を見るのが目的だ。なにせ今回のビデオは――

 部屋を暗くし、天井から下した幕にプロジェクターで映像を流し始めて数分。教室には大きな悲鳴が響き渡った。


「きゃぁあああ! イヤァアアアッ――!」


 声の主、シュエリーを庇うように、白澤が彼女を包み込んで守る。


『そこな外道教師! かように凄惨な光景を見せて何が授業か! これは教育の一線を越えているぞ!』


 そう思うのも無理はない。流された映像に映っていたのは、人が、魔狼に心臓を食われ、竜に全身を火で炙られて、拷問好きの悪魔に魂の隷属を誓わされている凄惨な光景の数々だったのだから。


(正義感、主を想う心に溢れる忠臣タイプの守護獣か……)


 リヒトは軽く頷き、返事する。


「別に。何も凄惨なものではない。これらは過去実際にあった出来事だ。俺が見せた映像は『召喚獣の使役と歴史。術者とその末路』。強力な召喚獣を呼び出し、その願いを叶えられなかった者が彼らに報いを与えられるという事実と、未来の可能性を示唆している。

 異邦の獣には願いがある。それを叶えると約束をして力を借りるのが召喚術だ。つまり、これは裏切りの報いとも言えよう」


 ――未来の可能性。裏切りの、報い……


 この場で誰よりも泣き出したいのは、俯いて膝を抑えているフィヨルドなんだろう。


「目を逸らすな、前を向け。これは他人事ではなく、お前たち自身の未来になるかもしれないのだから」


「「「……!」」」


「それが嫌なら、これから一年真面目に授業を聞くことだな」


 言い切ると、震えていたシュエリーが涙を拭って前を向く。そして、鋭くリヒトを見据えた。


「何が、言いたいんですか……」


「ん?」


「先生は、これが私達の未来になると脅したいんですか? 教師は生徒を導くのが役目でしょう? なのに、こんな……!」


 負けん気の強い瞳は好きだ。だからこそ、リヒトは正直に告げる。


「俺が言いたいのは、このSSRクラス……お前たちは召喚獣のおまけに過ぎないということだ」


「「「……!」」」


「召喚獣の力に見合った実力を備える者もまぁいるようだが、それらはほんの一握り。召喚獣の力量のみで選ばれたお前たちは本来、主ではなく彼らに隷属すらしてもいい存在だ。

 有り余る力は身を滅ぼす。しかし、それらを知ること無くしてこの事実を克服することなどできまい。俺は、この一年でお前たちを召喚獣に見合う生徒にしてやると言っているのだ。その覚悟を持てと」


 あまりに強い物言いだと感じたのか、横からピエールが口を出す。


「あの、つまりですね。召喚獣は決して願いを叶えてくれる便利な道具じゃないんです。彼らは僕らの思う以上に立派な、遺志を持った生き物だ。だからこそ、力を貸してくれる彼らに僕らも報いないといけないというか。ふさわしく在れるように努力しましょうというか……」


 ピエールがその場を丸く収めると、生徒たちは忘れていた呼吸を取り戻したようだ。だが、優しすぎるとナメられて、そのうち苦労するぞピエール?


「まぁ。要は喝を入れたかったのだ。どうやらアタリを引き当てただけで調子に乗って、授業に来ない奴もいるようだからな?」


 リヒトは不敵に笑い、大仰に両手を広げて壇上に立つ。


「最初の授業で座学――もとい説教もアレか。そろそろ飽きたし、次は実技に移ろうか」


「え?」


 まるで聞いていない。ピエールは名簿を抱えたまま視線をきょろきょろと動かす。嫌な予感は的中し、次の瞬間。教室の床には召喚の陣が現れた。主任のゴディバートが管理しているものではない、リヒトが急ごしらえで用意したものだ。

 つまり、これは――


「まさか、リヒト先生が召喚を……?」


「したら悪いか?」


「え。待って。何を喚びだすつもりなんです……?」


「内緒――じゃない。何が出るかはお楽しみ。まさに神のみぞ知るというやつだな。せいぜい教育に役立つ奴が来てくれればいいが……」


 にやりと笑って、リヒトは唱えた。


 ――【召喚(サモン)】

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