第7話 カムホーム堕女神
酒は飲んでも飲まれるな、とは言ったものの。同時に、他人の金で飲む酒ほど美味いものもない。シャポンの奢りということでつい羽目を外したリヒトは、ピエールの背におぶられて街道沿いに花の咲く夜道をいく。
ぐったりとしなだれるリヒトを背に、ピエールは大きなため息を吐いた。
「も~う! 寮までの帰り道が同じだったから良かったものの、飲み過ぎですよリヒト先生! お願いですから背中で吐かないでくださいね!?」
「すまん。奢りだから、つい……」
「だからってロマネ・コンティ一本空ける人います!? 少しは遠慮とか常識っていうものを――はぁ。リヒト先生に言っても無駄か。この人、どこか浮世離れしてるからなぁ。本当に、魔法使いみたいな人ですよ。少し前までの。でもどうして僕がこんなこと……せっかくだったらもっと柔らかくていい匂いのする女の人をおんぶしたかったです~」
と。愚痴を零しながらのたまうピエールもロマネ・コンティを一緒になって空にした共犯だ。そうして結構酔っている。
下心丸出しの愚痴に、隣でヒールを響かせるエルメも可笑しそうに笑いをこぼした。
「ピエールでもそんなこと考えるのね。えっち」
いたずらっぽく冷やかす彼女も言わずもがな、なかなかにデキあがっているようだ。
酔っ払いの三人はあたたかな春の夜風に吹かれながら、赤い煉瓦の水道橋を渡っている。
「えっちって何さ。ええはい、考えますよ。男ですから。あ~あ、これが保健室のマリィ先生かオフィーリア先生だったらなぁ……」
そこに自分が入っていないことに、エルメは口を尖らせた。
「どうせ私は小さいですよ……」
「なにか言ったぁ?」
「いいえ別に。ピエールはやっぱり胸の大きな人が好きなのね、ってこと!」
「それはまぁ好きだけど……『やっぱり』って何? 僕、エルメに女性の好みについて話したことあったっけ?」
「ないわよ」
「じゃあなんで」
問いかけに、エルメはふわりと空を見上げる。星の瞬く夜の空。空気はしんと澄んでいて、頬に当たるとひやりと冷たい。それはまるで、あの日見た天使のようだった。
数か月前のあの日。一瞬の顕現で校庭を半壊させた北極星の天使――畏れ多くも美しい、彼の召喚獣。
「あなたの連れてる天使様も、たいそうナイスバディだったわね。どうせ見慣れているんでしょう? あなたにとっては、Cカップ以下なんて触れてもわからない蟻んこも同然なんだわ」
「え? ああ、ガブリエーレのことかい? まぁ、彼女もスタイルは良いけどさ、見慣れてるって……別にそういう関係じゃないよ」
「でも、一緒に寝てるんでしょう? 前に酔ったとき、『天使はふかふかで触り心地が最高ですよ~』って自慢してたじゃない。やっぱりピエールはえっちよ」
つーん、と拗ねるエルメの言葉に、ピエールは
「はは!」と笑いをこぼす。
「ふかふか……ね。あれはそういう意味じゃないって。羽毛がふわふわでいい気持ちって意味」
「あんな露出度の天使様に対しての感想がそれだけ? 逆に男としてどうなの……?」
「寝る時はさすがにパジャマ着せてるよ」
「あ。そうなの」
「それはそうでしょ」
「ならいいわ」
「……何がいいんだ? 結局一緒に寝てるじゃねぇか」とは思ったが、今のリヒトに酔っ払い同士の会話を止める元気はない。
少し後ろからついてくる件の天使がエルメには見えていないのだろう。自分が話題にのぼったのがわかると、楽しそうにエルメの周りを浮遊してはピエールの頬に胸を押し付けて遊んでいる。
なんとも平和な四大天使がいたものだ。召喚に応じた理由は不明だが、その目的と願いを叶えるだけの資質がピエールにはあるらしい。
(読めない男だな……)
強力な召喚獣を連れているとなれば、暗殺に足る力を有しているとして容疑者の候補にあがる。だが、自分を背負っているこの背と温もりに嘘はないと思いたい。
ピエールは真面目で頼りなくて。でも優しくて、いつも一生懸命で。まるで昔の自分を見ているようで、自分の捨ててしまった自分を持っているようで。リヒトはどうしようもなく肩入れしたくなる。純粋に、こういう人間といると安心するのかもしれない。
(敵じゃなければ、いいな……)
うつらうつらと夢現にそんなことを思っていると、不意に衝撃が頭を襲った。
「痛って!」
驚き目を覚ますと、仰向けに見上げた先でピエールとエルメが手を振っている。
「着きましたよ、リヒト先生」
「ちょっとピエール! 今、ごちんって! ごちんっていった……! ぷぷっ。モノみたいに転がしすぎよぉ……!」
「だって重かったんだから。もう無理。肩が凝って死んじゃう~」
「あはは」と笑うふたりは酒のせいで何かと笑い上戸になっているらしい。そのあどけない笑い声が、彼らが一年ちょっと前まで学生だったことを思い出させる。
(この酔っ払いども……! 手加減なしに転がしやがったな……!)
「お部屋は目の前の扉です。それくらい自分で開けて入ってくださいね。じゃあおやすみなさ~い」
「おやすみ、リヒト先生! 召喚の儀すごかったですね! お疲れ様です。また明日学校で!」
そう言って、ふたりは各々反対方向に向かって廊下を去っていた。寝転がったまま視線を向けると、一瞬、エルメのドレスの中がチラつく。
(白、か……)
上機嫌にスキップ紛いの足取りで自室に向かう姿が可憐だ。屈託のない笑み、清純な私服と控えめな胸元。そしてそれをコンプレックスに思っている……まさに絵にかいたような清純派だ。
(下着(なかみ)まで清楚可憐だとは……エルメ、なかなかにアリだな……)
人をモノのように転がして遊んだ罪はアレでチャラにしてやろう。そう思うくらいには、リヒトはまだ酔っていた。
気力を振り絞って部屋を空けた――次の瞬間。目の前の光景に、怒りで酔いが吹き飛ぶ。
「あんの、糞堕女神ッ……!!」
バァン! と勢いよく後ろ手で戸を閉める。
ベッドの上で両腕と股を広げているのは裸体の少女人形だ。銀糸の髪をシーツに垂らし、お腹の上にはご丁寧に『YES♡』の枕まで。
「だぁれがラブドールを用意しろと言った!? 俺はポケットWi-Fiを用意しろと言ったんだぞ!!」
すぐさま【転移(ワープ)】を起動させる。
本来であればこんなことはしたくない。瞬間転移魔法は、遠見の魔法で衛星から見た空間座標(XY地点)を指定し、それらを地脈のマナ流動を通じて瞬間的に繋ぐ高等魔法だ。地点同士を繋ぐのに多少の時間は要するが、一度繋げば次からは楽に移動ができる便利魔法。
だがそれ故に、下手をすれば悪意を持つ誰かにマナの動きで繋いだ先の座標――自宅の位置を特定されかねないリスクを伴う。
寮に越してきた際に忘れ物があまりに多かったため仕方なく繋いでおいたのだが……って。そんなことはどうでもいい!
小脇に裸体の人形を抱え、リヒトは転移の門(ゲート)をくぐった。
「おい、堕女神! これはいったいどういうことだ!!」
自宅の自室に入るや否や、ベッドの上でもぞもぞと身体をくねらせていた女神が飛び起き――否、飛びついて来る。
「理人! 理人おかえりぃ~!! はぁはぁ♡ 一週間ぶりくらい? ああっ! 本物はやっぱり違う! 理人のいい匂いがしゅる~♡♡」
「うわ、うざっ。ひっつくな!」
「もう理人の枕じゃあダメなのよぅ。満足できないの。お願い、ぎゅ~って抱き締めて♡」
一週間ぶりの自室はみるも無惨な有様だった。大きく引き伸ばしされた等身大の写真が抱き枕に貼り付けられ、得体の知れない粘性の液体にまみれている。それに、見渡す壁一面に自分、自分、自分の写真。これではまるで、リヒトが何もかもを通り越した超越的なナルシストのようではないか。あの女神、相当寂しかったらしい。だが物事には限度があるぞ!
何度引き剥がしても両腕を広げて迫って来るその正面に、等身大の人形を投げつける。女神は「ふみゃあ!」と悲鳴をあげ、人形に押し倒される形でベッドの上に転がった。
「ねぇコレどう? すっごく良い出来でしょお~!? 最近お腹のお肉が気になるな~って思ってたから、取ってこねこねして作ったの。おかげで手触りもサイズもぜ~んぶ本物! ナカの作りもおんなじなのよ~?」
と。今度は自慢げに人形の股をまさぐりだした。
「イイとこ突くとね、ほら!」
『ひゃぁん♡』
「声まで出るの~! 蓄音魔法の陣がナカに仕込んであってね。自分でするのはちょぉっと恥ずかしかったけど、音声収録がんばっちゃった♡♡ バリエーションもいくつかあって、激しいときと優しいときと、あとはえ~っと……」
リヒトは思う。
すっっっっごい才能の無駄遣いだと。
(ダメだ、頭が痛くなってきた……)
それはおそらく酒のせいではないだろう。
「でもでも、ちゃあんと界を隔てる波長――電波を取り込む回路も取り込んであるから、理人の好きなゲームのさぁばぁにも接続が可能……って、理人?」
「ふざけるな! こんなもの部屋に置いておけるわけないだろう!?」
リヒトは怒りのまま、ドヤ顔で説明する女神の両肩を掴んでぐらぐらと揺する。
「無論部屋に誰も入れる予定はないが、今日は酔いつぶれて介抱されていた! もしピエールたちの面倒見がよくあのまま部屋の中まで運ばれていたらどうなっていたか!」
「あう、あうあう♡」
「いくら世相に疎いとはいえ、常識でモノを考えろ! 俺を『女神を従属させるだけでは飽き足らず、本人は放置してその細胞で専用の高性能ラブドールをこさえさせるド変態』にするつもりか!!」
「あら、変態だなんてそんな。これも一種の愛情でしょう?」
「誰も命じていない! 望んでいない!」
「じゃあどうして私に『夜のお供が欲しい』だなんて?」
揺さぶられながらきょとんと首を傾げる堕女神。リヒトは掴んでいた手を離し、眉間を抑えて大きなため息を吐く。
「なんだ、この部屋にはバベルの呪いでもかけられているのか? まるで話が通じていない。俺は、ひとりで過ごすのは寂しいから通信機能を持つ小型のお前を用意しろと言ったんだ。手のひらサイズで十分だと、あれほど説明しただろう!?」
だって、本当に欲しいのは通信機能だけだから。その他は作らせるための方便だ。
「そこまで言うなら設計図のひとつでもちょうだいよ!? きちんと機能は果たしているのに文句をつけようっていうの!? ねぇ、それより。部屋に誰かあがる状況になっていたって本当!? 誰よそいつ! 誰なのよ!」
女神は首輪についた金の鎖をヒステリックに振り回しながら、腰に縋り付いて責め立てる。
「まさか女じゃないでしょうねぇ!?」
「男! ピエール! ただの同僚!」
エルメのことは口に出したら殺される。だが、女神はどこまでも訝しげな眼差しだ。
「うそ~。うそうそ。だって今日の理人からは高い香水の匂いがいくつもするわ。しかも女物の」
「それは、飲み会があったから……!」
と。そこまで言って我に返る。
「ど、どうして俺がお前に対して浮気を弁解するような言い訳をしなきゃならない! そもそもお前は俺の奴隷で、恋人でもなんでもないだろう!? 俺が誰に会おうが誰を部屋に入れようが、俺の勝手だ!!」
「うわ~ん! 理人がピエールって男と致した~!」
「してねぇ!! 糞バカ!!」
ああ神よ。何故あなたはこんな子を、世に生み堕としたもうたのか……
(――あ。もう、どうでもいいわ……)
急に冷めたリヒトはベッドの上でジタバタと憤慨する女神をどけて横に腰かける。
「で。北の大魔女から連絡は? エヴァンスの遺体と面会はできそうなのか?」
トーンを落とすと、女神はひょろりと身を起こし、ベッドの下のお道具箱から手紙を拾い上げる。なにやら細かな突起がついた怪しいおもちゃが入っていたようだが、全て見なかったことにし、黙って目を通すリヒト。
北の大魔女とはエヴァンスの姉、シルスマリア=ドゥ=エヴァンスのことだ。彼女とはエヴァンスの生前、何度か会ったことがある。知的で美しく、弟想いの良い姉だった。
魔法の腕もさることながら、彼女は魔法を使わない人間とも親交を深く持ち、科学という新たな技術と魔法使いの共存の道を模索していた。
しかし、エヴァンスの死を受けてひどく落ち込み、今は誰も寄り付かない極北の城に籠り切りになっている。無論、電波も繋がらない。
手紙には様々な感情を吐露する言葉と共に、胸の苦しくなるような謝罪が。
『ごめんなさい。あなたの言いたいことはわかっているつもりなの。でも、今は、ジャンの遺体の写真を撮って送ることなど、到底できないわ……』
リヒトは沈痛な面持ちで手紙から目を離した。
「……だめ、か」
エヴァンスの遺体は死後、シルスマリアによって完璧な状態で凍結封印されている。検死、とまではいかないが、それらを見ればある程度犯人の手口や殺害に使われた武器などを特定できるのではないかと思ったが、こうなっては実際に見に行く他手はない。
シルスマリアによれば、エヴァンスの遺体は発見当時より何の損傷も見られず、驚くくらいに綺麗な状態だったとか。だが、大魔女としての勘か、シルスマリアもただの老衰ではないと思い、凍結封印していたそうだ。
当時の状況と彼女の今を報せる手紙から、悲痛な思いがこれでもかというくらいに伝わってくる。
(いったい誰が、こんなこと……)
リヒトは翌日からの授業に向けて、想いを改めて胸に抱く。
SSR級の召喚獣とその術者。そして教師陣――
その中に、必ず。
旧友を殺した仇がいるはずだ――
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