第6話 容疑者まみれの歓迎会
甘い花の薫る体育館裏では、およそ春の陽気にふさわしくない取引が行われていた。小柄な少年フィヨルドは、サイズの合わないおさがりの革靴の先をもぞつかせ、同級生の顔色を伺う。
「ほ、本当に貰っていいのかい? パトリヒト家の小切手であるという証はコレ?」
庶民には見慣れない小切手。その片隅には荒ぶる熊を模った紋章が押印されている。
少年の口にしたパトリヒト家というのは確か、西の外れで豪商をやっていた家系のはずだ。だが、噂によればパトリヒト家は子会社の相次ぐ経営破綻を理由に、数年前に中央商会から除名されたはず。その小切手はすこぶる怪しい。だが、もうひとりの短髪の少年は不遜な態度で胸を叩く。
「そうだ。その紋章が何よりの証。それを銀行で見せれば記載された金額がお前の手に入る。パトリヒト家の次期当主、エリックの名に懸けて誓おう」
「ええと、額は一、十、百、千、万……うん。約束どおり五百万エインだね。わかったよ。でも念のため、約束を破ったら罰が当たるおまじないをお互いにかけてもいいかな? これがただの紙切れだったら、ウチはもう家族全員海に身を投げるしかないからね」
「なんだ、用心深い奴だな。俺の言葉が信用できないと?」
「それくらい火の車なんだよ。ごめん、わかって」
そう言って、フィヨルドはお互いの手を握り、その掌にルーン文字を指で刻んで詠唱した。
――【嘘つきは泡となれ(リューゲ・バブリア)】
リヒトは内心でほくそ笑む。まったく、嘘つきはどっちだか。その魔法はおまじないなんてレベルのものじゃない、契約に背いた者を一瞬で泡に溶かす強力な呪いの一種だ。
だが、同時に感心もした。やはりSSRを手懐けているだけのことはある。彼は、召喚獣も彼自身もSSRの実力者らしい。あの手の呪いをここまで悟られず施せるのは、単にエリックがおバカさんだからではない。フィヨルドは、呪いの邪気を悟られぬよう水の魔法で浄化しながらふたりの両手に印を刻んだのだ。
「小切手……? なんのつもりかわかりませんが、生徒同士でお金のやり取りなんて。早く止めさせましょう!」
「やめろ、下手に近づくな。あのSSRの主の少年、下手をすればそこらの呪術師よりよほど良い腕前をしている。天使や淫魔を呼び出した生徒といい、今年はなんとも豊作じゃないか」
「でも……!」
「それに、『なんのつもりかわからないまま』割って入るのは下策だぞ。どうして彼らがあんなことをしているのかわかるまで様子を見ようじゃないか。なぁに、心配せずともすぐ会える。SSR一年生の担任は俺たちなんだろう? ピエール先生」
「ほんと、なんで僕がそんな大役を……」
「しょんぼりするな、俺が付いている。副担任だがな」
「だから余計に心配なんですよ……明日からの授業、うまくやれるかな……?」
がっくりと肩を落とすピエールを引き連れ、リヒトはその場をあとにした。
◇
リヒトはいわゆる、『飲みニケーション』は大嫌いだ。
職場の飲み会なんて給料も出ないのに時間ばかりが奪われて、無駄、無駄無駄、愚の骨頂。だが、新校長権限で星付きレストランを貸切り、何をどれだけ食べても自由と言われれば『行ってやってもいいか』という気にはなる。
なにせ普段は屋敷から出られない(出せない)女神とふたりきりの生活だったのだ。星付きのレストランなんていくらテレビで特集してても一緒に行く相手がいない。ぼっちでコース料理の店なんて敷居、もといハードルが高すぎてさすがのリヒトにも無理だった。
複数の白い丸テーブルが並び、教師たちはその場に合わせた小綺麗な恰好で各々席についていく。いつもは白衣のマリアもTPOはわきまえているのか闇夜のような紺のドレスを身に纏い、露出度は普段の半分といったところか。だが、それでも常人よりはかなり胸元が開いている。
給仕の男の視線を釘付けにしてはウインクをして笑みを返す姿を見るに、ああいう振る舞いが染みついてしまっているのだろう。いざ迫られたらたじたじになるくせに、不器用なやつだ。
心なしかわくわくしながら料理の到着を待っていると、「リヒト先生がお行儀よくするよう見張るように」と役目を押し付けられていたピエールが小声で教師を紹介し始める。
「リヒト先生は挨拶のときに会って以来ですよね。シャポン校長の隣にいらっしゃるのが、新しい副校長のゴディバート先生です。担当は歴史と空間制御魔法。経営や教育指針にまつわる大事な決めごとや運営は勿論、主に学院に敷いてある召喚陣の管理をしていらっしゃいます」
「ああ、あの初老で強面のおっさんか」
「ぷっ……」
なんともわかりやすい感想。自分も去年そう思ったのが懐かしい。ピエールは内心で吹き出しそうになるのを堪えて続ける。
「で、その隣のご婦人がベテランのデメル先生。僕が学院に生徒として通っていた頃からいらっしゃるから、御年五十は過ぎているかと。多方面に顔のきく、召喚獣の生態を主に研究してらっしゃる先生です」
「要はお局なわけだな」
「はい。でも、捉えようによってはデメル先生はわかりやすいお方です。あの方は、元気に挨拶ができて素直に言うことを聞く人が好きなだけなので」
「それ十分面倒くさいだろう。ふむ、そんなおばさんよりも。あちらの可憐なご令嬢は?」
視線で促した先にいるのは、純白のシルクドレスを身に纏った細身の美少女だ。歳は十代後半か二十前半に見えるが、この場にいる以上は彼女も教師なのだろう。
女神の加護以外で若返りの魔法を使ったことは無いが、シャポンといい彼女といい、魔女は見た目と実年齢が乖離し過ぎていて読めない。
しかも、その白い少女は姿勢を正してまっすぐに正面を見据えたまま、ぴくりとも表情を動かさないのだ。それは、まるで心を持たない人形のような美しさだった。
「ああ、オフィーリア先生ですか。まぁそうですよね、そうなりますよね。男だったら誰しも一度は目を奪われますもん。
あの方は妖精学を担当している先生で、男性教師陣の間では『深窓の令嬢』と呼ばれる謎めいたお方です。実年齢が不明なのは勿論、噂によればあの白い髪や肌は『白の蝶々(ティタニア)に呪われた証』なのだとか。詳しいことはわかりませんが、いつもああやってぼーっとしてらっしゃることが多いですね。僕も話したことはあまり……あれ? 一度もないかもな……?」
なんとも頼りない説明に、ピエールの隣に腰かけるエルメが口を尖らせ割って入る。
「ちょっとピエール先生、その説明じゃあ『美人』ってこと以外なにも伝わらないじゃない」
彼女もレストランに合わせた衣装替えをしており、真面目そうなカーディガンとは一変してあか抜けた黄色のドレスを纏っていた。こげ茶の髪をアップで纏めるとうなじが露出して艶やかだ。
リヒト的には、清純そうな女子がたまにみせるこういう色気がなんともいい。いつもとちょっと違うエルメに、ピエールもたじたじだ。
「そんなこと言ったって、本当に喋ったことないんだよ……」
「もう、それでも一年勤めていたの? リヒト先生、オフィーリア先生は女性教諭の間では『窓辺の白百合』と呼ばれているんです。
あの美しさですから、男性陣はいつも鼻の下を伸ばして『バレンタインにオフィーリア先生にチョコを貰えたら伝説になれる』だなんて盛り上がってるみたいですけど、デメル先生の話では、挨拶もしないし話しかけてもうんともすんとも言わないし、言われたことだけやってのけるお人形みたいな人なんですって。出世とかキャリアにも興味がなくて、万年窓際族ってやつです」
「それで『窓辺の白百合』と。わかりやすい嫌味だな。それとも女のやっかみか」
「でも、私は違うと思ってて。前にオフィーリア先生と一緒に授業の資料を作るのを頼まれたとき、それがとっても綺麗で丁寧で。私はこの学院であの方以上に繊細でわかりやすい資料を作る人を見たことがありません。あれだけの資料で毎回授業ができるなら、口数が少なくても割と成り立っちゃうよなぁって、いい意味で。だから、私はあの方を尊敬しています」
「ああ、それで一時期躍起になって資料作りに没頭していたんだ? 夜遅くまで居残りしているから熱心だなぁって思ったよ」
「うん……」と照れくさそうに顔を逸らすエルメ。そんな彼女を心配して自分も夜遅くまで残っていたのか。優しい同期様だな。なんだかんだでふたりは新人同士支え合ってきたことがよくわかる。
(だから、なんだろうな……)
リヒトはちらりと、ピエールから少し離れた背後に佇む白翼の美女を見た。神々しい六枚羽で艶やかな裸体を隠す、場に不釣り合いな召喚獣。「隠すくらいなら服を着ろ」と言いたいが、言った日にはおそらくただでは済まないだろう。
目が合うと、天使はにこりと柔和な笑みを浮かべる。まったく、白々しい。愛想笑いができる程度の社交性は身に着けているようだが、リヒトがピエールを困らせると一瞬、あいつは氷で刺すような殺気を放つのだ。
(なぜあのような破格の召喚獣が、こいつに……)
しかも、ご丁寧に霧と光で他の者から見えないよう姿を隠している。女神の加護のせいかリヒトには見えてしまうのだが、そのせいで初日は目が合うたびに殺気を飛ばされた。
天使が何かに気が付きひそひそとピエールに耳打ちをする。慌てて時計を見たピエールはグラスを持って席を立った。
「ではお時間になりましたので、入学式お疲れ様会&リヒト先生の歓迎会を執り行いたいと思います! 皆さま、グラスをお手に。乾杯!」
「「乾杯~」」
楽しげな声と共にグラスの中のワインが揺れる。目の前に次々と並べられる輝くような料理の数々。リヒトは柄にもなく「飲み会もたまにはいいか」と思ったのだった。
同時に、内心でほくそ笑む。
紹介された教師は全てではなかったが、残りはおいおい探っていこう。暗殺の容疑者に囲まれた飲み会というのもまたいい。スリルを肴に、酒が進むというものだ。
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