第2話 新任教師リヒト=ナガツキ

 久方ぶり……いや、何十年ぶりだ?

 人里を目指そうと【転移魔法ワープ】を起動させるも、全く反応しなかった。

 おそらくは以前にマーキングした地点が他の建物とすげ替わり、異なる物質に変換されてしまったのだろう。となると当然、土地のマナ性質を起点に遠方同士を繋ぐ魔法は使えなくなってしまう。


「仕方ない……」


 リヒトは宙に手をかざし、短く【ブルーム】と唱えた。瞬きの間に現れたのは、風と草木で出来た箒。そこらに生えていたのが瘦せた雑草だったせいか、ひょろりとしたなんとも心許ない箒だ。だが、かろうじて形を成している。


 ――【飛行魔法エアリアル


 樹の幹でできた柄に跨って唱えると、一瞬にして視界が反転する。脳に血がのぼる熱くて重たい感覚。どうやら自分は逆さまに、大地に髪を垂らしているようだ。


「……元々箒は得意じゃなかったな。忘れてた」


 でも。徒歩で山道を下ってバスや電車メトロに乗るのはもっと嫌だ。


「まぁ、飛べればなんでもいいか」


 そう自分に言い聞かせて無理に飛ぶくらいには、リヒトは人嫌いだった。ぎゅうぎゅうの満員電車にはいい思い出がないんだよ。

 逆さまに風を切りながら学院を目指していると、そのすぐ横を旅客機が通り過ぎる。荷を積んだ小型のプロペラ機を操る親父が、葉巻の灰を散らしながら怒声を浴びせてきた。


「何やってんだ兄ちゃん! 危ねぇだろ!? 箒の路線はあっちだよ!」


 指差す先には穏やかな雲に沿って光が走り、その沿線を箒に跨った魔法使いが飛んでいる。


「はっ。お行儀の良いことで」


 リヒトは鼻で嗤ってスピードを上げた。人間の決めた交通ルールなんぞどうでもいい。今はとにかく頭に血が集まって死にそうだ。早く学院に着きたい。もしくはカフェで休憩したい。でもそうすれば遅刻する。それに何より、リヒトはこの光景が嫌いだった。


 空を、飛行機と箒が飛ぶ時代――


 剣と魔法で魔王と戦う時代を中世と呼ぶのなら、今はおよそ近世と呼ぶべきものなのだろう。


 遥か昔の戦いで『最後の勇者』に魔王が倒され、全ての異界の扉が閉ざされて以降、文明はあれよという間に発展し、人の世は資本主義が主流となった。


 それまで数多やってきていたチート勇者どものバランスブレイカーな武器や道具の数々にしっちゃかめっちゃかに乱されていた技術面での発達が、本来の文化――正しい軌道に乗ったせいもあるだろう。

 産業革命が起こってからは科学というものが技術的に確立され、魔法は便利な技術のひとつとしてのみ形を残す。適材適所、といった風に人々は自分に合った仕事を見つけて生きていく。

 各々適性などはあるが、体内や自然に流れるマナさえ利用できれば、努力次第で人は魔法使いになれる。サッカー選手、警察官、企業の社長に銀行員。それらの職業と同じ位置に、魔法使い、という職があるのだ。


 なかにはマナ適性が無くまったく魔法に縁がない者もいる(古めかしく頭の固い魔法使いは嘲りの意味を込めて『真人間』と呼んだりもする)が、だからといって大して困るものでもない。

 生まれつきアレルギーがあったとしても、小麦がダメなら米を食べれば生きられる。最近は米粉パンなんて便利なものもあるし、猫アレルギーなら犬を飼えばいいじゃないか。これには大いに異論もあるだろうが、まぁ「魔法なんて得意な人がすればいいでしょ?」と。そんな時代だ。そのくせインターネットはぼろくそに遅い3G回線。リヒトにとっては便利なんだか不便なんだかわからん時代なのだ。


 魔法使いは、文字通り魔法を使って世に利益をもたらすのが目的だ。だが、学術的な側面が強く沢山の知識を必要とするため、魔法の力を応用して誰でも簡単に使える道具を産み出す準魔法使い――魔法科学や錬金術に取って代わられてしまいがち。魔法使いはなりたい職業ランキングでも決して上位と呼べない順位だった。


 しかも、魔法科学や錬金術を専攻する者がエンジニアとして大手企業に就職し、治癒魔法の使い手が病院や教会などに勤めていく一方で、召喚術や攻撃魔法の世間での扱いはいわゆる学者様といった認識に近い。


 尚、近代における魔法は主に三種に分類されており、先に述べた魔法科学や錬金術、加えて魔法剣など、魔法とモノを組み合わせて相乗効果を狙う技術を『第二次魔法学』と呼び、これらを修めている者たちは準魔法使いと呼ばれる。最近ではいたるところで便利屋扱いされがちな、高給魔法使いにあたる。「魔法使いと合コンするよ」と言われてこれらが来たら、男女ともにまぁアタリだな。


 一方でリヒトの教えるような古きゆかしき自然を用いた純粋な魔法は、『第一次魔法学』と呼ばれ、攻撃魔法や召喚術、降霊術などを主流としている。

 言い方はやや良くないが、未だ社会に一定数いる『真人間』の皆さまには目に見えない不思議現象であることが多く、それ故に理解されないことも多い。見えない≒コワイだからな、気持ちはわかる。仕方ない。

 かと思えば一方的に物凄く憧れられたり……「魔法使いと合コンするよ」と言われてこちらが来たら、ハズレがアタリかは受け取り手によって大きく変わるだろう。


 そうして、『第三次魔法学』だが……これらは総じて癒し系。要は医療に通ずる治癒魔法使いや、教会に勤める心の癒し手――精神干渉やストレス緩和を行うセラピストなどだ。


 とまぁ。長くなったが、そんなこんなで召喚学校といえば研究気質な物好きか魔法生物好きが通う、将来性は二の次な学校というイメージだった。

 リヒトはローブのポケットから薄い板スマホを取り出して舌打ちをする。


「くそっ。女神がいないと界を跨ぐ電波も入らん。あっちの世界のログインボーナスが途切れる前に、なんとかしてポケットWi-Fi……ならぬポケット女神を開発しないと。しかし、何年研究を続けても異界繋ぎは魔法としての仕組みがさっぱりだ。ああ、また女神あいつに頭をさげるのか。面倒だ」


 数年ぶりの頼み事に、歓喜し図に乗る女神の姿が目に浮かぶ。だが背に腹は代えられない。


「『ひとりで夜を過ごすのは寂しいから、お前の分身のようなものが欲しい』……うん、これでいこう」


 あいつは愛に弱くてチョロいから。

 リヒトがほくそ笑みながら箒で風を切っていると、視界の端に赤茶の煉瓦で出来た尖塔が見えてきた。どうやら、ご到着らしい。


 リヒトは無事、頭の血管が切れる前に目的地に辿り着いたのだった。


      ◇


 ジャン=ドゥ=エヴァンス召喚専門学校は、二期制ため春と秋に大きなクラス替えや入学式典が行われる。

 三月も終わりとなったこの季節は新入生を受け入れる準備で誰も彼もが慌ただしく職員室を駆け回る。そんな中で舞い込んだ不幸な報せ――学院長の死に、教職員は一様に絶望の色を浮かべていた。


「そんな……! これから私たち、どうすればいいっていうの!?」


「先日入試の結果を貼りだしたばかりで、式典の準備だって何も進んでいないのだぞ……」


「準備が進んでいないのは主導するあなたがトロくさいからでしょう、ピエール先生!」


「ぼくのせいですかぁ!? そそそ、そもそも次の校長は誰になるんです!?」


「誰って、そりゃあ……」


 取り乱す女教師、頭を抱える中年男、周囲に当たり散らすお局、慌てふためく新任教師……彼らの視線が一斉に、丸メガネで童顔の女教師に注がれる。


「ふえ……? わたし……?」


 幼女と見紛うあどけない表情に、職員室はため息が溢れた。


「しっかりしてください副校長! これからはエヴァンス様に代わってあなたが学院を守るのですよ!? そんな顔して私より二十も年上でしょう!? ああもう! 本当に変装魔法がお得意ですね、羨ましいわっ!」


「変装じゃないです、美容魔法です~。ちょっと細胞を若返らせてるだけですよ?」


「どっちも詐欺じゃないっ!」


 五十代のお局教師に両肩を揺さぶられ、副校長の小柄な体躯に似合わぬ巨乳が揺れる。その反動で眼鏡がずり落ち、水晶のような瞳がうっすらと涙を浮かべた。


「でも、でも私……ううっ。エヴァンス様~!」


 長年傍に居て、誰よりも校長と親しかったのだ。一番悲しいのは彼女に決まってる。かくいう職員の誰もが彼を尊敬していた。それくらい人望の厚い人だった。だから……


「でも大丈夫ですっ! エヴァンス様のお友達という方が、今日からこの学院にやって来ますのでっ!」


 その一言で、職員室が歓喜に沸いた。


「おおっ! まさに救世主! エヴァンス様のご友人であれば、如何なる難題もたちどころに解決してくださるはずだ! 実は先日、王都の銀行から融資を打ち切るという話が――」


「式典の準備は彼に任せましょう! へっぽこのピエール先生には任せておけないわ!」


「ちょっとエルメ先生、同期でしょう!? どうしてぼくにそんな当たり強いんですか!?」


「あら~? 喧嘩は良くないわ。ピエール先生、よければ私が慰めてさしあげましょうか? 保健室で、しっぽりと……♡」


「あっ。いえ。そんな……」


 色っぽい養護教諭は丈の長い白衣を着こんでいるが、先端だけを隠して胸元はガバガバだ。下なんて履いているのかすら怪しい。露出狂と誤認されそうなその恰好にピエールが赤面して目を背けたその先に――


「職員室はここか? シャポン副校長は何処に――」


「あ。シャポンは私です」


 遠慮がちに手をあげる副校長を一瞥し、真っ黒な男はあからさまに不機嫌な顔をする。


「なんだ、この小娘は。シャポンは麗しく優秀な魔女だと聞いていたが、まさかこんな胸ばかりに栄養の偏ったちんちくりんがそうだとは抜かすまいな?」


「ぴぇっ……!?」


「俺はエヴァンスの遺言を受け、教師として彼女をサポートする為やってきたリヒト=ナガツキだ。この学院を最上位へ押し上げるべく、今日から多種多様な改革に取り組む所存。まずは教師の出勤に対し、手厚いログインボーナスを付けてもらおうか? とはいえ俺は新任だからな、スタートダッシュ的な褒美があると尚喜ばしい」


 高慢、尊大、厚顔無恥。あらゆる無礼を詰め込んだような男の登場に、職員室は静まり返る。

 誰も二の句が継げない現状に、副校長が勇気を出して切り込んだ。


「あ、ああ、あなたがエヴァンス様のご友人の……?」


「先もそう言った。なんだ、言語が理解できないのか? 幼稚園に入れ直してやろうか?」


 あまりの物言いにさすがのシャポンも怒りで顔が熱くなる。何故こんな若造に自分が幼稚園児呼ばわりを――しかし、ぐっと堪えて頭をさげた。

 シャポンほどの魔女ともなれば、彼の実力は見ただけでわかる。纏う雰囲気、集うマナ。そして、袖に隠れた金の腕輪が異質な霊気を放っていることも。幻獣でも従えているのか? あれほどの強い加護を自分は見たことが無い。


「お待ちしておりました、リヒト様……」


 その姿に、職員らが呆然とどよめく。リヒトは驚いたように目を丸くし、口元に薄っすらと笑みを浮かべてお辞儀を返した。


「こちらこそ。よろしく頼もう、シャポン殿。先の無礼は許してくれたまえ。なにせあなたが大層若くて驚いたものでな」


 白々しくのたまう男は颯爽と外套を翻し、校長室に通された。シャポンが幾つかの重要な資料を手に部屋に入る。これからの方針を打ち合わせするのだろうか。

 職員室で唯一隣が空席のピエールは内心で大きなため息を吐いた。


(ああ嫌だ。あのひと、絶対ぼくの隣に来るよなぁ……)


      ◇


 ピエールは真面目な男だった。というより、真面目なことくらいしか取り柄が無いと言っても過言ではない。

 どうせ誰もリヒトに近づきたがらない。だったら校舎を案内するのは隣席の自分の仕事になるのだろう。案の定隣の席に足を組んで腰かけるリヒトに、恐る恐る問いかける。


「あの……校長とはどのようなお話を?」


「ああ。学院のカリキュラムと、現状抱える問題点についてざっくりと。さしあたっては来週に控えた入学式の準備が何もできていないとか? 担当はお前なのだろう? 学院に足を踏み入れた際、花壇に棲む妖精たちが笑っていたぞ。例年であれば入学式を盛り上げる為に『天から花を撒け』だの『新入生を驚かせろ』だの頼まれるのに、今年は何も命じられていないと」


「えっ……!? そうだったんですか!?」


 入学式は一年を通して最も華々しいイベントのひとつだ。いくら最低ランクとはいえ召喚学校にはその特色上、様々な種の珍しい魔法生物が生息している。この学校はいわば、普段は魔法に縁のない人間の子どもたちでさえもときには遠足に来るくらい、国内屈指の『魔法生物園』なのだ。

 だが、その入学式を一緒になって魔法生物が盛り上げていたなんて……


「知らなかった……」


 日々の授業と職務に追われ、入学式について勉強する機会がなかったとはいえ、なんという無知だ。ため息を吐くピエールの肩を、リヒトは叩く。


「知らなかったならこれから知ればいい。知の探究は常に無知との戦いだ。そして、万物を見通す目を持たない限り終わりがない。お前も魔法を扱う者の端くれであれば、これを機会に知れば良いではないか」


「リヒト先生……」


 良いことを言っているのはわかってる。彼なりに自分を慰めてくれていることも。でも、どうしてそんなに偉そうなんだ? 歳は自分とそう変わらないくせに。副校長にもタメ口だしさ。


「ということで。早速シャポンに入学式の補佐を頼まれた。しかし何もわからない。色々と教えて貰おうか?」


「えっ」


 新任教師にぽん、と大事な式典を任せる職場のブラックさに呆れつつ、その日はふたりで過去の式典進行表プログラムとマニュアルを読むだけで日が暮れてしまった。

 しかも。ああだこうだと話しているうちに、リヒトがとんでもなく世間知らずということに気づく。


 礼儀もそうだが、どれだけの山奥で暮らしたらそうなるのだというほど、市井の文化や世相に疎い。

 だって現在の王様の名前は愚か、公的書類の書き方も碌に知らないし、買い物もこの十年通販しかしたことないとか言うんだぞ? そんなリヒトに買い出しなんて頼めない。


 結局、司会進行や備品の準備、新入生や参列者への招待状……あらゆる仕事をピエールがするハメになった。ただ、リヒトは驚くくらいに魔法に関することには精通していた。だからピエールはひとつだけ、彼に頼み事をしたのだ。


「入学式では例年、新入生がこれからの学院生活を共にする召喚獣の相棒を呼び出す儀式があるんです。その召喚獣の属性や強さに応じて、ぼくたちはバランスよくクラス編成を行います」


「ほう。要はガチャだな?」


「ガチャ……? 何を言っているかはわかりませんが、リヒト先生は召喚術も卓越なさっているんでしょう? だから儀式の進行と監督をお願いします。

 新入生全員分ですから、例年この儀式はとっても時間がかかるんです。これを頼めるなら、その間にぼくは他の準備を進めることができますから助かりますよ」


「なるほどな。生徒の選別とクラス分けか……」


 ふむふむ、と頷いたリヒトは「任せておけ」と頷いた。しかし、それこそがすべての始まりだったと言えるだろう。

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