4-5.再会と約束

 馬上に目を向けると、黒色の騎兵服が目についた。背後にもちらほらと、おなじ服の兵士たちが行き来している。


「なぜ巡察隊の格好を?」スーリは尋ねた。


「仕事のうちだよ。フィリップ伯には世話になっているからね」

 ジェイデンは制服の首を引っぱった。「それに、目立ちすぎるのは嫌いなんだ」


 たしかに、その服装はいつものキルティングジャケットより彼をいくらか地味に見せていたが、それでもほかの兵士たちとはおなじようには見えなかった。なぜなのだろうか。

 監視するようにならず者の行方を目で追っている横顔を、スーリは見あげた。秀でた額から鼻にかけての貴族的なライン。長めの短髪は後ろに向かって撫でつけている。


 そんなスーリを見て、なにを思ったのか。あるいは無関係なことなのか、ジェイデンは馬から降りてきた。

「おれとは出かけたくないのに、ひとりでなら外出するんだな」


「それは……」

 買い物に出ただけで、遊びに来たわけではない。スーリはそう説明しようと思ったが、口がうまく動かなかった。気晴らしになるかもという考えも、たしかにあった。ジェイデンの怒りはもっともだった。


 おそるおそる顔をあげると、男は自嘲じちょうめいた笑みを浮かべていた。「……いまのはとげがあったな、ごめん」


「ジェイデン……」

 スーリはエプロンの端を握りしめた。「わたしこそ、その……」

「謝らなくていいよ」

 ジェイデンは苦い笑みのままだったが、いくらか優しい声で言った。

「きみがおれと一緒にいたくないのを、すまなく思わせたいわけじゃない。それじゃ、さっきの男といっしょだ」


「……あなたと一緒にいたくないというんじゃないわ」

 スーリは小さな声で言った。

「うん」

「男性に……好意をもたれるのが苦手なの」

「そうか」

「けして、あなたが嫌いというわけでは……」

「うん」

 ジェイデンは、彼にしては簡素な返事を返した。まだ怒っているのかと見つめ返すと、苦笑が深まった。「……腕をさわっても?」


 スーリがこわごわと手を差し出すと、ジェイデンは手袋を脱ぎ、医者のように慎重に腕を取った。ケガがないかあらためてくれているらしい。


 他人に触れられるのは苦手だった。とくに、があってから、男性には近寄られるだけでも恐怖を感じる。だが……ジェイデンには彼らとどこか違うところがある。彼女がおびえているのをわかっていて、不必要に踏みこんでこない気づかいがそこにはあった。恐怖を感じないのはそのせいかも。


 それとも……触れられても大丈夫なのは、相手がジェイデンだからなのだろうか。


「正直に言うと、もうきみには近づかないでいようと決心したところだった」

 彼女の手首に目を落としたまま、おだやかな声で言う。「もっと一緒に時間を過ごしたいと思うけど、きみもそうしたいと思ってくれることが前提で、いやがらせがしたいわけじゃない」

「……ええ」

「でも……さっききみを見かけたときには、なんだかめちゃくちゃな気分だったよ。腹立たしいのと、顔を見れて嬉しいのと、きみに嫌がられてるんじゃないかっていう不安と、あとはやっぱり腹立たしかった」

 ジェイデンは笑みを深めた。「きみはナンパを断るのが、びっくりするほど下手だし」

 大きな手は、そのまま手首のまわりをくるむように重ねられている。貴族的な長い指なのに、触れた部分は固く、温かかった。剣を握るせいなのだろうか。……彼の指が手首をそっとさすった。


「あの……ヨハンナのことは、どうなったの?」

 落ち着かないような、もっと続けてほしいような、奇妙な気分だ。スーリは思わず話を変えたくなった。

「気になる?」

「ええ」

 ふたりの目線は、スーリの手首のあたりでそっと交わっていた。


「村の人たちには狩猟に協力してもらったから、城で気楽な慰労会をやろうと思っててね。そこに彼女が参加できるよう、はからうつもりだよ」

 ジェイデンは言った。「タイミングを見て後押ししてあげられるかも。そうだ、媚薬と言ってきみからブランデーでも渡してやったら? うわさの白魔女の薬だと信じて、勇気が出るかも」


「そういう効果は、なくもないかもしれないわね」

 薬の話が出たことで、スーリもようやく笑った。「偽の薬を飲んでも、病気が治ることはよくあるのよ」


「よし。じゃ、今日の巡回が終わったら彼女に話しておくよ」

「ええ。それらしいビンを用意しておくわ」

「それはむしろ、当日がいいんじゃないかな」

 ふたりは短く打ち合わせた。気まずい空気がなくなったことにスーリはほっとした。


「慰労会ということは、狩猟シーズンがもう終わるのね」

 ふと思いついて、そう尋ねた。ジェイデンは、秋、シーズンの開始とともにこの村にやってきたのだ。


「ああ」

 ジェイデンは手袋をはめなおしながら答えた。

「雪が降る前に王都に帰らないと。兄の婚約お披露目があるからね」


 ジェイデンが王都に帰る……。スーリはそのことをじっくり考えてみた。


「じゃあ、慰労会の夜はわたしも行くわ」

 熟考のすえにそう言うと、王子は皮肉っぽく笑った。

「おれの気持ちを受け入れられないから? 最後の罪ほろぼしに?」

「……そう思ってくれていいわ」

「ひどい話だ。いったいなにを食べたら、そんなにおれに残酷になれるのかな」 

「王子さまが厨房から盗んだタルトかもね」

 ジェイデンは声をたてて笑い、手袋につつまれた手をこちらに伸ばした。抱き寄せられるのではと思うような動きだったが、実際には、頬にかかる髪をはらってくれただけだった。革につつまれた指が頬をかするあいだも、ジェイデンのまなざしが感じられた。


 なにか言おうかと思ったし、言われるかとも期待していた。だが青年はそれ以上なにも言わなかった。


「……じゃあ、慰労会の夜に」そう言って、ジェイデンは立ち去った。



 スーリはその後もしばらく、騎兵服姿の背中を見送っていた。

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