4-6.善(よ)き魔女

 城で慰労会がひらかれるというその日、ヨハンナは心ときめかせながら魔女の家を訪れたに違いなかった。


 スーリは薬草医のプライドを棚にしまい、今夜ばかりは娘の想像どおりの魔女になりきってやることにした。流行おくれのドレスを貸してやり、手袋の虫食いはリボンで隠した。


 娘はスーリの『媚薬』に大喜びした。いかにも娘が想像するような愛らしい夢の薬だが、中身はたいしたものではない。きれいな小壜に蜂蜜酒ミードを詰め、砂糖やスパイスで風味をつけ、絹のリボンを巻いてやったものだ。偽薬は、それっぽく見えたほうが効く。


「いいこと、ふたりで分け合って飲むのよ」

 スーリはもったいぶって説明した。「半分ずつ、彼の目を見てね。そうしたら、しだいに効いてくるわ」


 医者としての罪悪感はあったが、貴婦人の香水のような小壜にうっとりし、青年を思って目をうるませる娘を見ると、やってよかったとも思った。対面して小壜の中身を飲ませ、目を見つめられるほど接近すれば、青年が娘を憎からず思う可能性はたっぷりある。まったくの嘘というわけでもないと、自分に言い聞かせた。


「お姫さまがた、迎えに来ましたよ」

 扉ぐちに立っているのは、フィリップ伯の息子オスカーだった。「おお、これは美しい。あなたの思い人はなんと果報者なんだ」

 男の世辞に、ヨハンナは真っ赤になってうつむいた。

「馬車に乗ってみたいですか? それとも……、ほかの娘たちよりも早く着きたいかな?」

 オスカーが優しく尋ねた。「もしそうなら、ここにいる俺の部下が、よろこんであなたをお送りしますよ」

 一刻も早く会場につきたい娘の顔が輝き、しきりにお礼を言いながら出て行った。その後ろ姿を見送ると、領主の息子はスーリに向き直った。部屋のなかを見渡して、娘になにをしてやったのかを察したようだった。


「練り香水にローズウォーター、タフタ織のドレス……か。ずいぶん気前よく、あの子を着飾ってやったんだな。おとぎ話のい魔女みたいに」


「治療の一環よ」

 スーリは道具箱を片付けながら答えた。嘘ではないが、それだけでもない。自分のためという理由もあると彼女は気づいていた。


 市場で会った日……。

 スーリの手にふれたジェイデンの指には、彼女をおびえさせまいとする心遣いがこもっていた。友情といたわりと、どきりとするような愛情があった。それでも、怖くはなかった。自分でも驚いたことに。

 いまでは、先日のあのケンカでの発言を後悔していた。自分がだれも愛さないからといって、相手の愛情を軽んじていいことにはならない。ジェイデンの言うとおりだった。


 家にもどってからそのことに気づいたスーリは、娘の恋を手助けしてやろうと決めた。ジェイデンの思いに対する罪ほろぼしかもしれない。彼は、もう王都に帰るのだから……。


「王子から、あなたをお誘いするようくれぐれも頼まれている」

「断ったら?」

「あいつは賭けに負け、俺が金貨二枚もらう。その金で、あいつに失恋酒をおごってやるはめになるかな。……だから、断ってくれてもいいですよ」おどけた調子で言う。

「行くわ」

 スーリは苦笑した。「ずいぶん失望させてしまったから」


 オスカーは手を貸して彼女を馬車に乗せ、御者に命じて発車させた。


 車体は小さく機能的にできていたものの、舗装もされていない山道では快適とは言いがたかった。ガタガタと揺れる車内で、ふたりはしばらくのあいだ無言だった。


「あなたはお人よしだな。医者っていうのはそうなのか?」

 オスカーが尋ね、スーリは窓のほうに目をそらした。

「さあ……。ほかの医者を、さほど知っているわけでもないもの」


「あのドレスだって、一介の薬草医が気楽にもてるしろものじゃない。馬車にも乗りなれているしな」

「……」嘘の苦手なスーリは、黙秘することにした。


 夜の森を馬車が走る。木々のあいだから星がのぞき、興味ぶかげにまたたいていた。森のなかにはいぶかしむような気配がある。人間という異質なものへの、森の生きものたちの好奇の目が。


 オスカーはまだ追及をやめる気はないらしかった。

「親父は、あなたのことを知ってるらしい」


「ここに来るとき、すこしお世話になったの。それだけよ」

 スーリが答えると、じっと彼女を眺めおろした。ジェイデンとはまたちがった意味で、この男には嘘をつけないと思わせられる迫力がある。


 できるかぎり黙っていようと思うスーリに、オスカーは思わぬことを打ちあけた。

「ジェイデンがあなたに入れあげていると報告したら、親父は『放っておけ』と言った。信じられん」

 そんなことを言う。「あいつもあいつだが、親父の意図がさっぱりわからん」


 それじゃ、ここにひとりくらいはまともな判断力をもつ男がいたわけね、とスーリは皮肉げにもの思った。


「第一王子は病弱で、第二王子はすでに婿入むこいりした。あいつには王になれる機会も、その能力もある。それなのに、その男の妻になるかもしれない女が、『森の白魔女』?」


「……

 スーリがぼそりと訂正すると、オスカーはため息をついて「すまん」と謝った。意外に律儀なところがある。


「なぜ放任できるのかわからん。親父は、理屈にあわないことでは動かない男のはずだ。俺にはわからん利害があるのか?

 スーリ殿、あなたは亡国の姫君か? それとも、親父に命の貸しでもあるのか?」

「そのどちらでもないわ」

「ではなぜ、息子ほどにたいせつに思い、国王からくれぐれもと頼まれている第三王子の、未来の国王かもしれない男の妻が、一介の薬草医であっていいなどと言うんだ?」


「わたしにはわからない」

 スーリは正直に言った。「そう悩む必要がある? シーズンはもう終わるし、ジェイデンは王都に帰るのよ」

「あなたを連れて?」

「いいえ、ひとりで」

 スーリはうつむき、膝のうえで手を組んだ。「フィリップ伯も、それをわかっているんじゃないかしら。わたしが彼といっしょに行くことはないと……。反対しないのは、だからでは?」


「どうなんだろうな」

 オスカーもまた、スーリから視線を放して窓のそとに目を向けた。森を抜け、道が広くなってきた。しばらくすると、遠目にもはっきりと、イドニ城の明かりが見えてくる。冬空の下、星にいろどられた城は影絵のようにくっきりと浮かび、おとぎ話の舞台を思わせた。

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