4-3.思わぬケンカとしょんぼりスーリ

――おれがこの子を口説けばいいと? きみのかわりに? 本当にそんなことを思ってるのか?


 冷たい声でそう追求するジェイデンに、スーリは驚きとわずかな恐怖を感じた。ふだんの温厚な男とはあまりにも違ったから。

 だが、ジェイデンには優しいだけではないなにかがある、ということは気づいていた。

『もっと非道なものにもなれる、その必要があるときには』と、彼自身が言ったのだ。

 なのに、その冷酷さが自分に向くことがあると思っていなかったとは。弟の言うとおりだ。わたしは鈍くて不用心すぎる。


「それが、おれの気持ちに対するきみの返答なのかな」

 王子は、さらに念を押すように尋ねた。射貫くような目だった。


「そ……そのとおりよ」

 スーリはかろうじて答えた。「本心から……そう思っているわ」

 彼と時間を過ごすのは思ったより苦痛ではない。むしろ楽しいと感じはじめたところでの警告だった。……思えばそういう浮かれた気分こそ、弟がいちばん懸念していることだったのかも。

 もし、この娘とジェイデンが恋人どうしになれば。

 ジェイデンと知り合ったのをなかったことにはできないが、すこし距離を置くことはできるかもしれないと思ったのだ。


 だが、もちろんジェイデンには彼女の内心は知ることもできない。射るような目つきのまま、黙ってスーリを見つめていた。こつ、こつ、とブーツの音を固く響かせて、彼女の周囲を野生動物のように歩く。


「本心。いったいきみがおれに、本心を打ちあけてくれたことなんてあるのかな」

「疑うのなら、もう一度くり返したっていいのよ。あなたはわたし以外の女性を探すべきだわ。このでも、ほかのどんな娘でも」


 ふたりの険悪な空気を、娘がおそるおそるうかがっている。

「あの、魔女さま……? その、わたしは……」

 答えないスーリのかわりに、どこからともなくダンスタンがやってきて、娘の腕に長い首をこすりつけた。娘は、ガチョウの手ざわりにほっとしたような顔を見せた。


「きみがまだ知らない人生のルールがある。他人の欲望を軽くあつかう者は、おなじあつかいを受けてもしかたがないということだ」

 ジェイデンは冷たく、それでいて平然と告げた。


「ヨハンナを送っていくよ。きみの望みどおり」

 そして、娘の背中を押して出て行った。


 ♢♦♢ 


 ぱち、かつん。

 ぱち……


 駒を動かす音がたびたび止まって、心地よいリズムを乱していた。


「そこに塔を置いてもいいが、ゾウと女王はいいのかね?」

 深く渋みのある声で、ダンスタンが指摘した。「2手先で詰んでしまうが」


「最悪」

 スーリはうろんな目で盤上を見つめた。「なんで気づかなかったのかしら?」


「心の平穏が揺らいでいるのだろう」

 ダンスタンはなぐさめるような声で言った。「最近の貴女は、敵に追われたハリネズミのようにぴりぴりしていたからね」


 ジェイデンとのやりとりがあって、数日後の居間である。隣の温室には「立ち入り注意」の札が下がっていた。冬にむけて、寒さに弱い鉢植えを室内に取りこむつもりだったが、うちの何個かを割ってしまったばかりだった。テラコッタの破片は縁石にでもするしかないし、株分けしたばかりのハイドランジアは大きなショックを受けただろう……。


 失敗はそればかりではない。希少な薬草を乾燥させすぎてこなごなにしてしまったし、本にけつまずいて倒れてアゴをしたたか打った。おまけにそのとき、手に持っていた乳鉢が吹っとんで、ピンポイントにガチョウの頭を直撃した。結果、ダンスタンがターメリックまみれになった。苦労して手にいれた春ものの薬草だったのに。


「ひどい話だわ」

 スーリはまだ痛むアゴをさすり、ため息をついた。「でも、だんだん良くなってくるはずよ。これで弟に心配をかけることもなくなったし」

「そうかね?」

「そうよ。なんといっても、あの男はもう来ないのだもの」

 それから、自信なさげにつけくわえる。「たぶん……すごく怒ってたし……」


 ダンスタンは「クワッ」とため息のような小さな音をたてた。

「スーリ、賢い友よ」

 そして続ける。「貴女はようやっと人の世にまじわりはじめたばかりだ。いま貴女が抱える心の痛みは、ずっと長く続くと言っておこう」


「……どうしてそんな予言ができるの?」


「目の前の林檎が熟していれば、これから落ちると告げるのは予言でもなんでもない。見たままを告げたにすぎぬ」

 ダンスタンはやんわりと続けた。「盤上ではしばしば忘れてしまうが、貴女はまだ若く、だれにもおとらず美しい。そして人生のよろこびは、おおいなる失望と苦渋の隣にある……だれかを思って心ゆれうごくのは、恥ではないのだよ」


 スーリは、友人のわかったようなもの言いが腹立たしくなった。

「あなたが耄碌もうろくしたっていう可能性もあるんじゃないの?」

 そう言うと立ち上がり、盤を片付けはじめた。「今日はもうやめにするわ」


 そんな日々にかぎって客も来ない。

 薬を宅配しおわったメルに駄賃をやり、読み書きを教えてやったのが、ここ数日で唯一、ダンスタン以外の人間と会話した出来事だった。しかし少年がやってくるのは週一回だ。粉ひきのノブも、先日来たばかりだし。


 ふだんならうっとうしいだけの来客でさえ、今はあればいいのにと思わずにいられなかった。イライラして落ち着かない。


 気分転換に薬草を摘みに行こうにも、気候が悪かった。先週の長雨続きで道はぬかるみ、草を摘む時間より服の泥を落とす時間のほうが長くかかるだろう。


 ページをめくってはため息をつき、書きつけにぐじゃぐじゃと毛虫のようなものを書き散らしてはため息をつく。


 こんなときは、甘いものでも食べて寝るにかぎる。スーリは買い置きのペストリーをたいらげ、冬用に買いこんでいたレーズンや干しイチジクをむさぼった。しかし、もともと備蓄にとぼしい家のなかにはたいした甘味はなく、すぐに在庫が尽きてしまった。


 この近辺で、菓子を買いに行けるような場所は市しかない。月に二度の開催日まで、スーリはスイーツ欲を持てあましてイライラしながら過ごすことになった。

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