2-5.フィリップ伯

 フィリップ伯は握手とともに、彼女の来訪を歓迎してくれた。ジェイデンとの気やすい会話の様子から、ふたりが親子同然というかれの言葉もあながち誇張ではないようだった。できればこれ以上、の話にならないように注意して、クルムの件についての事実を確認する。


「まじめな男でね。今にも首をくくろうかという顔でやってきて、印章指輪をなくしてしまったようだと言う。おとといのことだが」

 フィリップ伯は説明した。「もちろん重要な品物だし、悪用でもされたら困る。盗難ではという声もあったが、盗むにも売りさばくのにも向いた金目のものはほかにも城内に山とある。やはり、クルムがなくしてしまったと考えるほうが自然ではある」


「クルムさんは、ほかにも自分のものやあなたの持ちものがいくつかなくなったと言っていましたが」スーリが確認する。

「うむ。それも聞いた。だが、それらの品物は出てきたのだろう? だから今回の件も、クルムが神経質にどこかにしまいこんで、いずれ出てくるということもあるかもしれない。

 だが、ものがものだけに悠長にはできんし、責任を取らせないわけにもいかぬ。あれの父の代からよく勤めてくれているし、温情をかけてやりたいものだが」


 しばらくするとジェイデンは、さきほどの兵士に呼ばれて出て行った。城にいるあいだじゅう、雨に濡れた洗濯もののように貼りつかれるのではと恐れていたので、スーリはほっとした。


 ふたりきりになると、フィリップ伯のまとう空気がわずかに変わった。じっとスーリを見下ろす目はオスカーとおなじ金茶だ。だが、そこには息子よりはるかに深い知性と、油断できない野心があるように思われた。若いころは、さぞ貴婦人たちの胸をさわがせたことだろう。

「こちらに移ってこられて以来ですな、お会いするのは」


「ここに住むことになったときには、家の手配でお世話になりました」

 スーリはいちおうの社会的儀礼として頭をさげた。


「なに、美しい女性を庇護することも領主の仕事のうちですよ」

 フィリップは人なつこい笑みを見せた。地位と力のある中年男性がこういうセリフを発するといやらしい感じがするものだが、フィリップにはそう感じさせないなにかがあった。なれなれしいが、踏みこみすぎない距離を心得ている男だ。親子ではないが、どこかジェイデンとも似ている。


「城を案内しましょう。自宅だと思ってくつろいでほしい」

 フィリップはそう言い、みずから彼女を案内した。王にも近しい有力貴族が、一介の薬草医相手にほとんど貴賓きひんに対するあつかいである。が、スーリは気にせず、鷹揚おうように後をついていった。


 長い回廊には、たくさんの肖像画が飾られている。フィリップはスーリを飽きさせない程度に絵の人物たちを紹介した。

「こちらは妻と母。息子たち……次男のオスカーにはもうお会いになったかな」

「ええ」


 かれ自身の一族に続き、ひときわ大きな額縁が続く。「こちらはリグヴァルト王と、フィニ王妃」

 スーリはこの国の王だという男をじっと眺めた。髪の色と瞳の形がジェイデンに似ている。

「お子は三人おられる。一番上が、王太子ジョスラン殿下。文武に秀でておいでだ。二番目がキリアン殿下。ドーミアの女帝に婿入りなさった、ご存じかな?」

「いいえ」

 この国の王族のことなどなにも知らない。肖像画の末席にならぶ、ダークブロンドの男以外は。

「……そして、ジェイデン王子」

 金銀の刺繍が入った胴着に、毛皮のふちどりの上衣……。絵のなかの彼は、知らない男のようにスーリには思えた。

 

「中庭で兵士たちが訓練をしている。ジェイデン王子が剣の指導をしているのが見えますか?」

 スーリがうなずくと、フィリップはほほえんだ。

「彼に木剣を持たせて剣を教えたのが、つい昨日のことのようだ。やんちゃ坊主の負けず嫌いでね、上達も早かった」

 目を細める城主のまなざしには、父親に似た暖かさがあった。さししめすのは爪まで整えられた優美な長い指だったが、かつては彼も優秀な剣士だったのだろうと思わせる。


「ここでの彼は……わたしの知る彼とは、ずいぶんちがうようだわ。まるで、知らない男のよう」

 スーリは正直な感想を述べた。社交辞令も、当たりさわりない会話も得意ではない。まして、王侯貴族たちの政治の駆け引きとは無縁に生きてきたスーリである。


「男は成長すると変わるのですよ」

 フィリップは誇らしげに言った。「ああ見えてジェイデンは、なかなかいい指揮官でしてね。さきの戦では、魔法使いが配属された一個師団に対しても互角以上の戦いを見せた。……おっと、この話題はあなたには不適切でしたな」


「……」スーリは沈黙で答えた。


「聞くところでは、ジェイデンは毎日あなたのところにお邪魔しているとか? ご迷惑をおかけしているようで申し訳ない。ふだんはもっと、そつのない男なのですがね」

 そつがないのはたしかね、とスーリは思った。

「息子のように思っているのなら、えたいのしれない女に近づくのを止めるべきでは?」

「あの子は大人ですよ」

 フィリップは笑った。「それに、美しい女性に恋することは、止められてやめるようなものじゃない。いくら身分が違おうともね」


「ほんとうに恋しているならね」

 スーリは鎌をかけてみた。が、フィリップはうすい笑みのままだった。残念ながら、腹芸でこの男に勝つのは難しそうで、あきらめざるを得なかった。


  ♢♦♢


 城の図書室はまずまずのものだった。彼女が知るものにはおよばないが、国内外の主要な書物が陳列されている。外国の文献が多いことや、壁に飾られた詳細な地図から、国境を守る辺境伯としてのフィリップの意欲がつたわってきた。


(本棚は持ち主をうつす鏡だというものね)

 スーリは興味深く内部を歩きまわった。残念ながら、彼女が好む伝承類や薬草学にかかわる蔵書はそれほど多くない。

(だとしたら、わたしとフィリップ伯は、あまり気が合わないのかも)


 もちろん、合わないに決まっている。フィリップは領主で軍人で、スーリは薬草医だ。そのことに思いいたって、スーリはおかしかった。


「おもしろいものはあった?」棚のあいまからぬっと顔を出したのは、もちろんジェイデンだった。兵の稽古は終わったのだろうか。


「そうね、いくらかは」

 本のおかげで、スーリは機嫌よく答えた。「あなたは本を読むの?」

「うーん、まあ、その」

 ジェイデンは頭をかいた。「読むべきものは、たまにはね」


 スーリは笑った。それでは、フィリップどころの話ではない。

「わたしとあなたは、ほんとに合わないわね」

「本当のところ、ここが苦手なんだよ。……子どものころ、オスカーといっしょにここで書き取りをさせられたんだ」

 王子は書見台のほこりを指で払った。

「だいたいは家庭教師がついてるけど、たまにフィリップ伯もやってきて、どこまでできたかチェックするんだ。あれは怖かったな」

「想像がつくわ」

「ここには遊びに来てるのに、伯はやれ勉強だ狩猟だって厳しくてね。昔は苦手だった」

「いまは、まるで親子みたいに見えるわね」

「そう言われることもあるんだよ」

 ジェイデンは本気とも冗談ともつかない顔をしてみせた。「フィリップ伯が、あまりにおれをかまうもんだから、おれが伯の息子だってうわさが……。王妃の不義密通ってやつだね」

「まあ」

 スーリは目を見ひらいた。「でも、あなたは国王にそっくりじゃないの」

「肖像画を見たのか」

 ジェイデンは笑った。「まあね、うわさってそんなものだよ」


「さて、そろそろきみにペストリーを食べさせないと。……本は戻しておいで」

 たしかに、そういう約束だった。スーリはうなずいて従った。

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