第5話

Chap.5


 ふっとかすかな目眩のようなものを感じた気がした。はっとして目を開けるより前に、身体全体が周りの変化を感じ取っていた。

 顔に当たる陽射し。前髪を吹き抜ける微風。スリッパとパジャマの間から入り込んで、足をくすぐる草の感触。さっきまでよりもずっとはっきりと聞こえる子供達の笑い声。

 一瞬にしてもっとずっとクリアに、シャープに、現実に、と竹山君は言ったけれど、まさにその通りだった。

 眩しい日の光も、青い空も、草木の緑も、さまざまな色かたちの花々も、そして少し離れた木の下に座って楽しそうに笑ったり喋ったりしている人々も、現実と何ら変わりがなかった。現実そのものだった。

 パジャマの上にパーカーを羽織ってスリッパをはいた姿で、こんな明るい、昼の光の満ち溢れた庭に立っている自分の方こそが、幽霊だか幻だかのように感じられて、玲は急に強烈な心細さに襲われた。

 自分一人だけが、いるべきでない場所にいるような、存在してはいけないのに存在しているような気持ち。胸がどきどきして苦しくなって、不意に口から叫び声が出そうになってぐっと堪える。

 落ち着こう、と思って辺りを見回すと、右の方になるほど真っ白な『どこでもドア』のようなドア枠とドアがぽつんと立っている。丸いドアノブも真っ白だ。そして

 きっちりと閉まっているドアを見て、玲はぎょっとなった。

 どうして閉まってるの?閉まっててもいいんだっけ?少し開いてるはずじゃなかったっけ?竹山君はなんて言ってたっけ?

 半分パニックになってドアに走り寄る。

 後ろでまたみんなが楽しそうに笑い、子供達のうちの誰かが、一際大きな声で楽しそうに何か言っているのが聞こえたが、注意を払うどころではなかった。

 伸ばした右手で、白いドアノブをぐっと掴む。

 開かなかったらどうしよう!と思うまもなく、ドアノブは何の抵抗もなくくるんと回り、ドアが予想をはるかに上回る軽さでスッと向こう側に開いたので、玲はバランスを崩して前のめりになった。

 あっと思ったら目の前に机があって、かわし切れずに右手からガシャンとぶつかった。

「…いったー…」

 顔をしかめて、さっきまでドアノブを掴んでいた右手をさする。

 机の上に転がってしまった置物。閉じてしまった本。

 置物をそっと手にとる。大丈夫、壊れてはいない。

 玲は震える息をついて、しんとした部屋を見回した。背後に真っ白なドアがあるかと思ったけれど、何もない。

 まだ心臓がどきどきしている。

「…帰ってきちゃった」

 あんな少ししかいられなかった。

 でも、でも行かれた!本の中に入ることができた!

 なんともいえない嬉しい気持ちが、魂の底から沸々と湧いてくる。

 目を閉じて、たった今行ってきたばかりのあの美しい庭に思いを馳せる。

 爽やかに甘い薔薇の香り。小鳥たちの歌声。

 ああ、そしてみんながあそこにいた!

 竹山君が言っていたように、何度も行くうちに、みんながいつか私の存在に気づいてくれるんだ…!

 そこではたと気がついた。

 コリン達が話していたのは、日本語じゃなかった。英語だった。

 パニックになってしまって、きちんと注意を払っている余裕がなかったけれど、頭のどこか後ろの方でしか聞いていなかったけれど、あれは英語だったと思う。

 日本語訳の本の中なのに?

 

 翌日は、学芸発表会の最終日にある校内合唱コンクールのための朝練があった。心配顔のお父さんに玄関まで見送られて家を出た。抜けるような明るい紺碧の青空に、ヴェールのような綺麗なすじ雲が流れている。

 家から緩い坂を降りたところの角で、いつも里奈と待ち合わせる。今日は里奈が先に来ていた。手を振って、小走りで行く。

「おはよう」

「おはよう。なんか寒くない?今日」

「ほんと。風冷たいー」

 歩き出すと、里奈が気がかりそうに玲を見た。

「玲、大丈夫?」

「うん。平気平気」

 強がりを言っているわけではなかった。二谷先生のことなんかよりも、今は、竹山君と本のことを話したくて待ち切れない気持ちの方が、ずっとずっと強い。

「大したことされたわけじゃないし」

 里奈が目を剥く。

「大したことだよ!」

「そりゃ気持ち悪いけど」

 思い出してしまって、背筋がぞぞっとなった。首筋をバリバリ掻きむしる。

「ああ気持ち悪い。だけどね、レイプされたとかそういうのに比べればマシって思うことにした。あんまりくよくよ考えたくないっていうか。できれば忘れたい」

 本音だった。

 考え続けていたら忘れられない。

 できるなら、きれいさっぱり忘れて、なかったことにしてしまいたい。

 里奈も頷いた。

「そうだよね。覚えていたいようなことじゃないよね。でもさ、気をつけなきゃだめだよ。一人で歩き回っちゃだめ。私もできるだけ一緒にいるからさ」

 玲は微笑んだ。ありがたいなあ、と心から思った。竹山君も、お父さんも、お母さんも、里奈も。何だか目がうるうるしてしまう。

「ありがとね、里奈」

 心を込めて言うと、里奈が照れた顔をした。

「何言ってんの、友達じゃん!…あ、でもね、今日私歯医者だから部活早く抜けるんだ。ごめん。帰り大丈夫?ちゃんと誰かと一緒に帰んなきゃだめだよ」

「うん、大丈夫。ちょうどよかった。今日は竹山君と、」

 おっとっと。

「…竹山君と?」 

 里奈が目を丸くし、次いで、にやーっと笑った。

「竹山君と?続きは?」

「ご、ごめん。言おうと思ってたんだけど、いや、えーと、図書委員のことで、ほら、本のことを、ちょっと」

「ほおほおほーお」

「……」

 玲は言葉に詰まって赤くなった。

 自分のこういうところが本当に腹立たしい。人前で泣くわ、しどろもどろになるわ。もっと大人になれないものだろうか、と心から思う。淡々と、さりげなく。何事にも動じず。そういうのに憧れる。

 そう、例えば竹山君のように。

 そう思ったらますます顔が熱くなった。

「もしかして、恋?惚れた?」

 里奈の目が興味にきらきらしている。

「そういうんじゃない…と思う」

 と思う、なんてつけ加えた自分に自分でちょっと驚く。

「『と思う』ねえ」

 里奈がニヤニヤする。

「玲にもついにきたかあ」

 ちなみに里奈は、昨年から、一学年上の松岡先輩に熱烈な片想い中だ。

「そういうんじゃない…はず」

「抵抗するねえ。いいじゃん、竹山君。美しいし、秀才だし、背も高いしさ。ま、ちょっと頭良すぎて近寄り難い感じなところがナンだけど。でも玲なら顔も頭も釣り合うし、それになーんか竹山君、玲のこと好きそうだし」

「えっ。そう思う?」

 思わず飛びつくように言ってしまう。里奈がまたニヤニヤする。

「昨日さ、なーんか怪しいって思ったのよね。職員室一緒に行った時のあの雰囲気が、なんか護衛!って感じで、玲のこと守ろうとしてるみたいなさ。これは玲のこと好きなのかも?って思って…あ、ねえ、もしかしてあのあと一緒に帰った?」

「…うん。家まで送ってくれた」

「ひゃー!うっそ!」

 慌てて言う。

「でもね、あれは私が泣いたりしちゃったから、心配して送ってくれただけで…」

「まあ、恋愛初心者にありがちな見方ですな。『心配してくれてるだけ』とか『優しくしてくれてるだけ』とかね。そうじゃないのよー玲ちゃん」

 んっふっふと笑う里奈に、玲は真顔で言った。

「なんていうか…竹山君てね、そういうこと好きじゃないような感じがしない?恋愛とか、片想いとか、告白とか、付き合うとか、そういうのくだらないって思ってるような」

 ふむ、と里奈も真顔になった。

「…まあ、ねえ。お高くとまってるというか。告白なんかされたら、あの綺麗な顔に氷のような微笑を浮かべて、『悪いね、僕、そういうことに興味ないから』みたいな」

 玲は口を尖らせる。

「お高くとまってるなんてこと全然ないよ。すごく優しくていい人だもん」

「わー庇ってる!」

 笑いながら小突きあっている二人の横を、後ろから足早に近づいてきた三十代くらいの男の人が、無表情にすっと通っていった。玲はちょっとびくっとしてその人を大袈裟に避けてしまい、里奈にぶつかった。

「何、どうしたの」

「ごめん。…あの人がこっちに来そうな気がしちゃった」

「……」

 里奈が両腕できゅっと玲の腕を抱きしめてくれた。

「大丈夫だよ」

「うん。ありがと…」

 玲は戸惑いながら答えた。

 思わずあんなふうに飛びのいてしまった。あの男の人、気を悪くしたかな。

 喉のずっと奥の方で心臓がどくどくいっている。

 まさかこれってよく聞くPTSDとかいうのだろうか…。嫌だなそんなの。

 でも、と思い直す。あれって眠れなくなったりするんじゃなかったっけ。私、昨日の夜はぐっすり眠れたもの。だから大丈夫なはずだよね。 


 学校ではいつものように時間が過ぎていった。

 朝のホームルームでは、加藤先生と目が合い、お互い目で頷き合った。被服室に行く時やトイレに行く時、手を洗いに行く時などはいつも里奈と一緒だったけれど、これは普段と同じだった。 

 廊下に出るたびに、特にD組の前を通る時には、やっぱり竹山君の姿を探してしまう。でも一度教室の向こうの方に後ろ姿が見えただけだった。クラスが違うと、結構会えないものなんだなあと初めて気がつく。

 残念。放課後を待とう。

 二谷先生を見かけることもなかった。こちらは残念なんてもちろん思わない。ほっとする。部活の時間になったら嫌でも顔を合わせなくてはならないけれど、その時は竹山君がいてくれるはずだからきっと大丈夫、と自分に言い聞かせた。


 昼休み、玲は図書委員の当番だった。給食をささっと食べて、昼休みの開始に間に合うように、職員室の前川先生のところへ図書室の鍵を受け取りに行く。里奈も一緒に来てくれた。

 職員室に入るときはやはり緊張した。入り口で「失礼します」と言いながら、二谷先生がいないかと部屋をさっと眺め渡す。いないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。

 里奈と二人で前川先生のところへ行く。前川先生が、机の引き出しから図書室の鍵を出して手渡してくれながら、玲をじっと見た。

「気分はどうですか」

 玲も先生の目をしっかり見つめ返して答える。

「大丈夫です」

「よく眠れましたか」

「はい」

「ご両親にはちゃんと話しましたか」

「はい」

 先生は頷いて、玲と玲の後ろに立っている里奈を交互に見やって、

「くれぐれも一人で行動しないように」

「はい」

 後ろで里奈も頷いているのが気配でわかった。

 職員室を出る前に、水島先生とも清水先生とも目が合った。目礼すると、水島先生は頷き、清水先生は「お」と言って片手を上げた。昨日あんなふうに泣いてしまったので、先生達に会うのはやっぱり決まりが悪かった。

 昼休み開始のチャイムがなる少し前だったけれど、図書室の前ではすでに何人かの生徒達が待っていた。その中に、今日一緒に当番の一年生の男の子もいる。

 萩谷翔太君。小柄な、やんちゃな感じの子だ。図書委員には珍しいタイプ。前にも当番が一緒になったことがあるが、図書準備室では自分で持ってきた漫画を読んでいた。漫画は学校では禁止になっているけれど、仕事はちゃんとしてくれるので、まあよしとする。

 準備室には図書委員だけが入れる決まりなので、里奈は貸し出しカウンターに近いテーブルに陣取り、持ってきた英語の教科書とノートを広げた。

 玲と萩谷君はしばらくの間本の返却作業に追われた、といっても数人分なのですぐに暇になる。昼休みの図書室利用者は少ない。放課後の方が多い。

 さて私も星新一を探してきて読もう、と立ち上がりかけたとき、すでに漫画を開いていた萩谷君が、「あ」と言って顔を上げ、ひそひそ囁いた。

「先輩、昨日二谷にすごいセクハラされたってほんとですか」

 驚いた。

「どうして知ってるの」

「太田が、あ、と、太田が言ってました」

 さん付け君付けをするのが、一応学校の規則だ。

「美術部の太田 円香まどか

 太田円香さん。一年生だ。彫刻をやっているグループの一人。昨日竹山君が、彫刻のグループの中であのとき偶然顔を上げた人がいれば、見えたかもしれないと言っていたっけ。

「二谷が先輩の首にキスして、先輩泣きそうになってたって」

 泣きそうに見えたのか…。恥ずかしい。頑張って無表情を装ってたつもりだったんだけど。やだな。竹山君にもそう見えたのかな。

「あいつサイテーですよね。女子にベタベタ触りまくるし…。先輩、美人だからきっとこれからも狙われますよ」

 萩谷君は、真剣な顔をして玲を見た。

「やられっぱなしじゃだめですよ。反撃しないと。ゴキッと殴ってやればよかったのに」

 ゴキッと。思わず想像してしまった。グーパンチ。

 できたらすっきりするだろうな。手が痛そうだけど。

「ぞっとして硬直しちゃって…反応できなかったんだ」

 そう言うと、萩谷君は同情したように頷いた。

「そっか…そりゃそうですよね。あんなやつ、クビになるといいのに」

「ほんとにね」

 心から同意して頷いていると、カウンターに人影が現れた。

「お疲れさま」

「竹山君!」

 椅子から飛び立つようにしてカウンターのところへ行く。話したいことがいっぱいだ。でも萩谷君の前ではちょっと話せないし、大体図書室でおしゃべりはよろしくない。

「昨日はありがとう」

「どういたしまして。これ。読んでみようと思って」

 『木かげの家の小人達』を差し出す。なんだか嬉しい。受け取って貸し出し手続きをしながら、玲は小声でこそっと言った。これだけは言いたかった。

「行ってみた」

 竹山君がにこりとする。

「どこ?」

「竹山君と同じとこ」

 さらに声をひそめる。

「でもパニックになってすぐ帰ってきちゃった」

 竹山君の目がおかしそうに瞬く。

「後で聞かせて」

「うん。ね、星新一って、ここにもある?」

「あると思うよ。探してこようか」

「ううん、私行く」

 漫画に読み耽っている萩谷君を振り返り、

「ちょっと本探してくるね」

「はーい」

 準備室を出る。顔を上げた里奈が小さくにやりとしてみせた。

 竹山君が一緒に来てくれる。本棚の奥の方に行く。この辺りだと低い声でなら少し話せる。

「…あった。この辺だね」

「わあ、いっぱいあるんだ」

 一応仕事中でもあるし、さっと見渡してぱっと選ぶ。『未来いそっぷ』。

「今日はまだあいつに会ってない?」

 二谷先生のことだ。

「うん、大丈夫。里奈もずっと一緒にいてくれてるし。…あ、そうそう、萩谷君、昨日のこと知ってた」

 竹山君がちょっと驚いた顔をする。

「太田さんから聞いたって」

「彫刻のグループ?」

「うん」

「そうか。見てた人がいたんだ。よかった」

 玲はちょっと眉を寄せた。

「私はなんだか…複雑だけど。もうそんなふうに噂になってるなんて」

「目撃者は多い方がいいよ」

 竹山君が安心させるように頷いてみせた。


 六時間目が終わり、掃除の時間になった。玲がせっせと教室を掃いていると、とんとんと遠慮がちに肩を叩かれた。同じクラスの斉藤由莉さん。大人しい無口な人で、会話を交わしたことはほとんどない。

「さっき二谷先生が来て、大宮さんに、部活の前に美術準備室に来るように伝えてくれって…」

 清掃中の騒音と周囲のお喋りの声にかき消されそうなか細い声だったが、言われたことははっきりと玲の耳から胃まで突き刺さった。

「…わかった。ありがとう」

 どうしよう。

 里奈は理科実験室の清掃当番なのでここにはいない。

 玲は箒を持ったまま、廊下に出て、祈るような気持ちで隣のD組の戸口へ行ってみた。竹山君の姿は見当たらない。

 困った。どうしよう。

 落ち着いて。まだ清掃時間中だ。とにかく掃除をやってしまおう。その後もう一度竹山君を探そう。

 教室に戻って掃き掃除の続きをしながら、玲は一所懸命考えた。

 里奈に一緒に行ってもらうのは不自然だ。里奈は美術部員じゃないんだから、先生に変に思われてしまう。一緒に行ってもらうなら竹山君だけど、部活の前に会えるかはわからない。掃除が終わったら、まず職員室に行って、加藤先生か前川先生に話してみよう。

 掃除が終わった。理科実験室から戻ってきた里奈に、二谷先生からの伝言のことを話す。

「ええっ。やだ何それ!絶対行っちゃだめだよ!」

「だって行かないわけにいかないよ」

「とにかく一人で行っちゃ絶対だめ。竹山君は?」

「さっき隣に行ってみたけどいなかった。だから今から職員室に行って、加藤先生か前川先生に話してみようと思って」

「…そうだね。よし、行こう」

 二人で職員室の前まで来ると、ちょうど職員室から出てきた竹山君にばったり会った。

「あっ、竹山君!」

 二人に同時に叫ばれて、ちょっと驚いた顔の竹山君。

「どうしたの?」

「二谷先生が…私に、部活前に美術準備室に来いって」

 竹山君の目元が、きゅっときつくなる。

「いつ言われたの」

「直接じゃないの。掃除中に斉藤さんが私のとこに来て、さっき二谷先生が来て、私に部活前に美術準備室に来るようにって言ってたって」

「わかった。一緒に行こう。でもその前に先生達に一応知らせておこう」

 職員室に入ると、加藤先生はおらず、前川先生は他の生徒と話していた。

「誰に話す?」

「水島先生にしよう」

 言いながらもう竹山君は、お茶を飲みながら何か書き物をしている先生に向かって歩き出していた。玲と里奈が後に続く。玲は歩きながらさっと辺りを見回した。大丈夫。二谷先生はいない。

「先生」

 竹山君が、少し身をかがめるようにして低い声で言う。

「さっき二谷先生がC組まで来て、大宮さんに、部活前に美術準備室まで来るようにという伝言を残していったそうです」

 水島先生は眉を寄せた。玲を見る。

「そういうことはよくあるのか」

「いいえ。初めてです」

「僕が一緒に行きます。一応お知らせした方がいいと思って」

「わかった」

 水島先生は頷いた。

「他の先生達にも伝えておくから」

「お願いします」

「今から行くのか」

「はい」

「…わかった。何かあったらすぐ…いや、俺も行こう」

 椅子をぎしりといわせて先生は立ち上がった。

「準備室の外まで一緒に行こう。何か録音できるもの持ってるか」

「スマホなら」

「じゃ、特別に許可するからそれで会話を録音しろ。念のためだ」

「はい」

 まずそれぞれの教室に寄って、荷物を取ってきた。竹山君がリュックからスマホを出して制服のポケットに入れる。玲は里奈と顔を見合わせた。なんだかどきどきする。

 美術室の近くに来るまで、四人は無言で歩いた。

 美術室へは、本館から渡り廊下を通って行く。屋根はあるが壁は下半分しかないので、冬などは「おお寒い」と身を縮めるところだ。でも今の季節は中庭の紅葉が美しい。いいタイミングで通りかかると、夕日と紅葉が一度に見られる。

 渡り廊下を渡り終えると、美術準備室はすぐそこだ。すぐ隣が美術室。美術室の廊下側は窓になっていて、既に何人かの美術部員達がいるのが見える。

「じゃ、俺と森崎はここにいるから」

「はい」

「ま、大丈夫だとは思うけどな。でも一応気をつけろ。…竹山、」

 頷いて行きかけた二人を追うように先生が言った。

「気持ちはわかるが、抑えろよ」

 竹山君がちょっと苦笑して頷いた。

「気をつけます」

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